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ペリーの旗立岩

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    ここは中城村新垣。この巨岩を「ペリーの旗立岩」と呼びます。






    ペリーが初めて琉球を訪れたのは、1853年6月6日のことでした。

    20130409140244_0.jpg

    米国東海岸を出港した黒船はアフリカを迂回し、インド洋を経由してシンガポールに到達しました。目的地は日本です。

    シンガポールから琉球に渡ったペリーは、泊港を拠点に、浦賀(2度)、小笠原、香港へ出向きました。琉球は食料や燃料の供給基地として機能し、ペリーの航海を大いに助けたのです。


    ペリーは江戸幕府と日米和親条約を、琉球王府と琉米修好条約を、それぞれ締結しましたが、日本との和親条約が不調に終わった場合、琉球を占領し、江戸幕府に圧力を加える意思があったようです。

    そのためペリーは、調査団を編成し、現在の那覇市からうるま市に至る広範囲を踏査しています。

    その調査団に同行した米国の絵画師が、琉球各地の様子を描写しており、その絵画が青い目が見た「大琉球」に収録されています。




    その絵画の一枚がこちら。



    そして、その場所の今です。



    ここは、太平洋と東シナ海の両方を一望できる丘陵地。息を飲むような絶景を前に、調査団の一行は「なんて美しい島なんだ。」と感激したことでしょう。

    そこにこんな巨岩があれば、そのてっぺんに星条旗を掲げたくなる気持ちは良くわかります。


    おそらく、この場所にペリー自身は来てないと思います。

    那覇に戻った調査団が、先ほどの絵をペリーに示し、どれほど素晴らしい場所であったか、熱く語ったのは間違い無いでしょうね。


    ペリーに関する過去の投稿はこちらです。

    那覇のペリー町

    牧志の散歩(4) 牧志朝忠(上)

    泊港の風景(2)ペリー来航

    ペリーの航海


    コメント
    ペリーの航路は大西洋→アフリカ・・・で、
    太平洋経由じゃないですね。
    http://www.tt.em-net.ne.jp/~taihaku/geography/column/perry.html
    • nobu
    • 2015/03/19 12:12 AM
    確かにインド洋経由ですね。ご指摘ありがとうございました。
    • coralway
    • 2015/03/19 1:38 AM
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