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沖縄県営鉄道(軽便鉄道)まとめ

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    二つ前の投稿で、軽便鉄道の遺構巡りはほぼ終わりです。

    そこで、軽便鉄道の投稿をまとめました。軽便鉄道に興味がある方は、ご利用下さい。


    [1]嘉手納線

    沖縄の軽便鉄道(1)壺川〜古波蔵






    軽便鉄道の枕木(楚辺)


    沖縄の軽便鉄道(2)屋富祖
    __.JPG

    大山ターブックヮの営み(2)
    20110814135747_0.jpg


    [2]与那原線

    沖縄の軽便鉄道(3)大里、国場




    軽便鉄道の枕木(国場)


    復元された軽便鉄道与那原駅



    [3]糸満線

    幸之一カーブを走ってみた(1)
    幸之一カーブを走ってみた(2)
    幸之一カーブを走ってみた(3)




    糸満市与座の散歩(3) 軽便高嶺駅跡


    南城市大里「軽便駅かりゆし市」


    軽便糸満線の三角橋



    [4]書籍、資料

    辻真先著「沖縄軽便鉄道は死せず」


    ゆたかはじめ著「沖縄の鉄道と旅をする」


    軽便鉄道の時刻表が見つかった!!


    20120421143430_0.jpg


    コメント
    団塊世代である私の地元にも、軽便鉄道が来てたという事を教えられていました。だが、それだけの事でした。誰もそれを詳しく研究した者はいなかったです。
    あらゆる事柄に関して、ウチナーンチュは怠慢ですね。
    • キー坊
    • 2015/03/22 10:07 PM
    キー坊さん

    あるウチナーンチュが「ウチナーンチュは自宅から100メートル以内のことにだけ興味がある。」と言ってましたが、当たってるかもしれません。

    歴史も政治や経済も、テーマは沢山ありますが、怠慢と言うより、興味が無いのではと思います。

    一方、私のブログの読者は6割がウチナーンチュ。これが謎なんですよねぇ。
    • coralway
    • 2015/03/22 11:04 PM
    coralwayさん、夜分又失礼します。

    >私のブログの読者は6割がウチナーンチュ

    わかる気がします。情けない事ですが、沖縄の事物に付いて、ウチナーンチュよりもヤマトゥンチュに教えられる事が、インターネット時代になって多いからです。拙ブログにも数名のヤマトゥンチュ研究者が、詳しいコメントを呉れてますね。
    人口的にも百対一で仕方ないですが、そんな例は枚挙にいとまがないです。

     教えられて初めて、ウチナーンチュは、あ、そうか、そうだ、の気持ちになるのでしょう。
    • キー坊
    • 2015/03/22 11:32 PM
    キー坊さん

    このブログを始めた時は、本土在住の沖縄ファンを読者に想定していました。ところが、Googleの解析によれば、6割が沖縄在住者なのです。

    これはまったく想定外の結果で、「ナイチャーの言うてることを、真に受けたらあかんで〜。」と、今も思ってます(笑)。

    本土や海外在住のウチナーンチュを含めれば、ウチナーンチュ比率は更に上がるでしょう。その割に、コメントを下さるウチナーンチュは限られており、大半は「すーみー」(笑)のようです。

    もちろん、私としては読んでいただければ嬉しいわけで、それを良いとか悪いとか言っていません。

    と感じる今日、この頃です(笑)。
    • coralway
    • 2015/03/23 4:02 PM
    はじめまして、キー坊さんに紹介いただきました。
    軽便は宜野湾市立博物館で車輪を見ました。
    沖縄戦の住民証言の中では汽笛を「アヒー」とか「アフィー」と書いて表現しています。
    軽便は西武山口線に乗った事があるのですが、あの狭い客車と煙の臭いが忘れられません。
    戦時中の証言で軽便に乗車した話が出てくるのは学生がほとんどですね。
    それゆえ軽便を懐かしがるのは学生だった人くらいでしょう。
    • 阪神
    • 2015/03/23 11:10 PM
    阪神さん、Cさんの知見は貴兄にとっても勉強になるのではないかと思います。

    小生の身内で、軽便に乗った事があると聞いたのは、明治生まれの祖母(父の母)だけです。それはその弟が県立2中の学生だったからで、弟を訪ねるために乗ったのでしょう。
    阪神さん、キー坊さん

    沖縄の歴史遺産の多くが、沖縄戦や戦後の開発で壊滅してしまったことが残念でなりません。それらが無ければ、那覇は京都や鎌倉に匹敵する歴史の町になっていたでしょう。

    その想いから、琉球王朝の時代から戦前までの沖縄をイメージできる場所を訪ねては、ブログに投稿しています。グスク、石畳道、井戸、石橋、村獅子、墓所、集落のスージなどですね。

    軽便跡を訪ねることもその一部で、鉄道に興味があるわけではなく、軽便が走っていた「時代」を知りたいということ。

    沖縄の歴史を学ぶ上で、その現場に立つことはたいへん重要なことだと感じています。
    • coralway
    • 2015/03/24 11:54 AM
    まだ あるのかな 一日橋の橋の下を覗くとレンガの部分があったけど あれ軽便鉄道と関係ありますか?
    • たゆ
    • 2015/03/25 10:39 PM
    たゆさん、ありがとうございます。

    軽便鉄道の橋脚は最近まで一部残っていたようですが、完全に撤去されたものと思っていました。

    ところが、今日確認すると、上間交差点側の河岸に橋脚の一部が、確かに残っていました。

    河岸をコンクリートで固める際、橋脚が邪魔になり、一部を削って表面をそろえた感じです。コンクリートの節約にもなりますしね。

    しかし、軽便の橋脚に対する敬意がありませんね。橋脚が哀れです。いっそのことコンクリートを塗って、見えなくしてくれたほうが良かったんじゃないか、とさえ思います。
    • coralway
    • 2015/03/27 1:54 PM
    Cさん わざわざ見に行っていただいて ありがとうございます。 もう35年も前に覗いて不思議に思っていました。
    ほんとに中途半端に残っていますよね。
    • たゆ
    • 2015/03/28 1:43 PM
    たゆさん

    近々、投稿しますね。

    また、ブツブツ言うやろうけど(笑)
    • coralway
    • 2015/03/28 6:56 PM
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