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琉球五偉人、羽地朝秀の墓

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    一つ前の投稿で、私と浦添市教育委員会との会話(作り話です)を紹介し、そこで私は、『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀(1617-1676)を日琉同祖論の始祖だと言いました。

    羽地朝秀は儀間真常(1557-1644)らと並び、琉球五偉人と讃えられている人物です。薩摩支配直後の琉球で数々の改革を断行し、その後の琉球・沖縄の基礎を築いたと言われています。


    ではまず、羽地朝秀に会いに行きましょう。

    ここはモノレール儀保駅の近く、平良バス停です。



    そこで西を向けば、以前は首里平良郵便局があったのですが、移転したのか、建物を新築中でした。



    その右奥に緑色の看板があり、細い坂道が右手に分岐しています。



    ネットにぶつかりそうな細い坂道です。



    右手の森は通称「チャーギ山」。沖縄ではチャーギの葉をヒヌカンにお供えします。

    どこにチャーギがあるのか探していたら、坂道が石畳道になりました。



    細っそい坂道とバカにしていたら、実はこの道、末吉宮の参道なのでした。琉球国王が末吉宮に参拝する際に通った道です。それならそうと言ってほしいものです。

    やがて参道は三叉路となり、末吉宮へは左の道を進みます。



    そこを右に進むと、突然、大きな墓が現れました。



    で、でかっ!!

    ここが羽地朝秀の墓。正確には羽地家の墓だそうです。亀甲墓の雰囲気がありますが、亀甲墓が広まる少し前のスタイルです。

    墓所内に石碑がありました。



    読み辛いのですが、「贈正五位 羽地朝秀之墓」とあります。

    大正11年に建てられた石碑で、この年、羽地朝秀は大正天皇から官位を与えられたのですね。


    コメント
    日本政府が羽地朝秀にこの時期官位をあたえたっていうのは随分中途半端な気がしますが、
    どういう理由でしょうかねぇ?
    • nobu
    • 2015/03/30 8:17 AM
    贈位は生前の業績に対する叙位で、明治20年に公布された叙位条例が適用されたようです。該当者は明治から大正にかけて、断続的に叙位されています。

    沖縄では、例えば、琉球王朝末期の三司官、宜湾朝保(1823-1876年)が大正4年(1915年)に、従四位を追贈されているようです。
    • coralway
    • 2015/03/30 9:48 AM
    特段の政治的意図は無く、内地と同等に沖縄を処遇したわけですね。
    • nobu
    • 2015/03/30 6:18 PM
    そうだと思います。

    沖縄は叙位のタイミングがちょっと遅いかもしれません。
    • coralway
    • 2015/03/30 7:10 PM
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