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羽地朝秀の改革(1)

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    羽地朝秀(1617-1676)は、琉球王府最高位にあたる摂政の地位にあり、その任期は1666年から1673年までの7年間でした。


    羽地朝秀が政治、経済の大改革を断行した時代。琉球が置かれていた状況を整理しましょう。

    日本が鎖国し、明が海禁(自由貿易の禁止)していた時代、両国と通商が可能な琉球は、地の利を生かし、大交易時代を迎えていました。その交易範囲は東南アジア全域に及びました。まさに琉球王国は黄金時代を迎えていました。

    その権益を奪うために薩摩藩が琉球に侵攻したのは1609年のことでした。

    薩摩藩は3千人の兵を琉球に向かわせ、古宇利島に上陸したのが3月25日。翌26日、琉球軍との戦闘が行われましたが、実戦経験の無い琉球軍は完敗し、27日(あら、今日か!!)、運天港から上陸した薩摩軍に今帰仁城を占領されました。

    そして、4月3日。首里城に攻め込んだ薩摩軍に、琉球は降伏することになったのです。尚寧王はヤマトに連れ去られ、以降、琉球は薩摩から様々な圧力を受けることになりました。


    もう一つの重要な出来事は、明の滅亡でした(1644年)。

    明と良好な関係を築いてきた琉球は、その権益を失い、琉球の大交易時代は終焉を迎えたのです。

    交易による稼ぎを失い、薩摩に搾取され、琉球は踏んだり蹴ったりでした。

    国の財政は極度に悪化し、人心は乱れました。役人は不法な税徴収を行い、ワイロも横行していたので、嫌気が差した農民達は畑を捨て、都市部に逃亡しました。国の収入は減る一方でした。


    そんな状況の中、羽地朝秀はどのような改革を行ったか。

    結論を先に言えば、改革は成功し、琉球は国力を回復させたのです。

    (続く)

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