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羽地朝秀の改革(3)

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    羽地朝秀(1617-1676)による「羽地仕置」第4項の内容です。

    4.役人の不正を取り締まり、疲弊した農村の復興をはかるため農民にも開墾を奨励する


    当時の国の財政は極度に悪化し、人心は乱れていました。役人は不法な税徴収を行い、ワイロも横行していたので、嫌気が差した農民達は畑を捨て、その結果、農作物の収穫量が減り、国の収入は減る一方でした。

    朝秀は、従来の地割制度を改め、農民が自ら開墾した土地の所有や売買することを認めたので、農地は拡大し、農作物の収穫量が増えたのです。


    朝秀にとって追い風になったのは、儀間真常(1557-1644)が中国から導入した製糖技術でした。

    サトウキビから抽出した黒砂糖は、高値で売れに売れ、製糖は琉球の基幹産業となりました。その結果、琉球王府は莫大な借金を完済することにができたのです。

    更に、1605年に野国総管が中国が持ち帰ったさつまいもは琉球全土に広まり、農民を餓えから解放しました。


    羽地朝秀の改革は、琉球の基幹産業を交易から農業へ大転換することに成功したのです。

    今、沖縄の各地で見られるサトウキビ畑の風景もまた、朝秀の以降のものと言えますね。


    中山世鑑は、王命により朝秀が編纂した、琉球で初めての正史です。

    その内容は、朝秀が進めた改革のポリシーを色濃く反映しており、日琉同祖論と関係付けられた内容になりました。

    その中に、源為朝(1139-1170)の伝説が記載されたのですね。

    朝秀は500年前に生きた為朝の伝説を誰に聞いたのか知りませんが、琉球の伝統を否定する材料として都合が良かったのでしょう。


    繰り返しになりますが、為朝の伝説は歴史研究者の間では否定されています。付会の説であり、より分かりやすく言えばでっち上げ。

    朝秀の意図を理解せず、中山世艦から為朝伝説だけを取り上げることは、間違いです。

    運天に建てられた為朝上陸の碑。





    どんな意図があるのか知りませんが、史実と異なることを、さも事実であるかのように主張する姿勢はいかがなものかと思います。

    不快感がつのり、とても私は見に行く気にはなれません。

    (終わり)


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