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百十踏揚が玉城へ向かった理由(1)

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    今から500年以上前。1469年に勃発した金丸のクーデターにより、第一尚氏王統は終焉を迎えました。

    第一尚氏最後の国王は尚徳王(1441-1469)尚泰久王(1415-1460)の三男です。

    尚泰久王には、長男安次富金橋、次男三津葉多武喜、四男八幡加那志がいましたが、彼らの母親は謀反を起こした護佐丸の娘。正妃の子でありながら王位を継承できず、側室の子尚徳が、1460年、王に即位したのです。

    父、尚泰久に反発した安次富金橋(あしとみかなはし)ら三兄弟は、伯父の尚布里(しょうふり)を頼り、現在の玉城當山(たまぐすくとうやま)に移り住んだのでした。


    那覇から玉城に向かうには県道48号線を走ります。

    ここは玉城小学校前交差点。



    左に入ると玉城富里(たまぐすくふさと)、右に入ると玉城當山です。

    交差点を直進すると、やがて右手に尚布里の墓が見えてきます。





    尚布里は尚泰久王の兄。王位継承のチャンスがありましたが果たせず、玉城で58歳の生涯を終えました。


    さて、「妾の子(尚徳王)」に王位を奪われた金橋ですが、玉城に移り住んだ後も怒りが収まらなかったようです。

    つまり、「あのクソ親父!!」。

    住居とした安次富グスクから、天の神に父親を裁いてくれるように御願を繰り返したそうです。

    安次富グスクは尚布里の墓を通り過ぎ、次を右に曲がった所、左手です。



    グスクと言っても城壁があるわけではありません。大きな岩です。

    彼の住居跡は不明ですが、岩の右手に「いかにも」な入口がありました。



    その奥には小川があり、「この付近に住んでいたんだろう。」という気がします。



    ところで、金橋の御願は「ティンジーの御願」という方法だそうで、それは四方八方十二支の方向それぞれに、53回ずつ手を合わせて拝むもの。

    かつて、安次富グスクの巨岩の上には、御願を行う金橋の姿があったのでしょう。

    いやぁ、彼には運がありませんでした。

    (続く)


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