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百十踏揚が玉城へ向かった理由(3)

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    玉城に避難した踏揚は、次男三津葉多武喜(みつばたぶき)が住む大川グスクに身を寄せました。

    大川グスクは安次富グスクのすぐ近く。道路を挟んだ向かいです。

    道があり、岩の切れ目がありますから、その先が住居跡ではないかという気がします。



    行ってみました。



    土地が平らなので、ここに住居があったのではと思いますが、あてずっぽうです。

    しかし、多武喜と踏揚が、このあたりで暮らしていたことは間違いありません。

    安次富金橋は屋良腹、三津葉多武喜は仲栄真腹の始祖で、例えば、国場組を創業した国場幸太郎氏は多武喜の子孫にあたります。


    多武喜の墓は大川グスク内にあり、踏揚の墓は現在の玉城中学校の敷地内にありましたが、後に、二人とも玉城富里の仲栄真腹門中の墓所に移されています。



    道路が拡張されたり、中学校の敷地が拡張されたりしたので、子孫が二人を静かな場所に移したということですね。


    さて、長男の金橋はどこにいるのか。こちらも子孫の手により、屋良腹門中の墓所近くの墓に納骨されています。

    20110612222216_0.jpg

    奥が金橋。そして、手前が父親の泰久王(笑)。

    金橋は「クソ親父」と一緒でした(笑)。

    (続く)


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