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糸数グスク陥落にまつわる二つのお話(2)

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    糸数グスク陥落にまつわる、二つ目のお話です。

    糸数グスクは識名の上間按司に攻め落とされましたが、その時、上間按司が採った戦法は火攻めだったようです。

    油や乾燥した草などを城内に投げ込み、火矢などで着火したのでしょうか。具体的な方法はわかりません(知りません)。

    糸数グスクの復元予想図を見ましょう。



    糸数グスクは玉城の丘陵地(サナン台地)の西端にあり、南北と西は断崖絶壁または急斜面。東は平地なので、グスクの東側に高い城壁が築かれています。

    二つ前の投稿に載せたこの写真。



    北のアザナに上がった私が南を振り返って撮ったものです。つまり、左が東(城外)で右が西(城内)。城内のほうが低いのですから、火を投げ込みやすいと思いません?。

    先ほどの復元予想図で、北東方向の小さな山に城壁が乗り上げている部分が北のアザナ。その山からの侵入を防ぐことと、北(中山)と東(サナン台地)の監視が目的です。

    糸数按司がグスクの東側にかなり気を遣っている(おびえている)ような気配を感じます。やはり、この立地は糸数グスクの弱みと言えますね。


    孫子の兵法に「火攻め」の項があり、怖いことが書いてあります。

     火攻めほどひどく人を傷つけ、物をこわすものはない。戦争はやむをえない場合にのみ行うべきもので、火攻はさらにやむをえない場合にのみ行うべきものである。

    ミサイルも核兵器も無い時代、火攻めは最強の、攻められる側にとっては最悪の戦法だったのです。

    孫子の兵法の続きです。

    火が燃え上がっているのに、敵兵が冷静で混乱していないなら、敵はなんらかの対策ができている証拠。しばらく待機して様子をうかがえ。そして火が燃え盛り、敵兵が騒ぎ乱れだしたら攻めろ。

    まあつまり、糸数グスクの戦は、こんな感じだったんでしょう。


    ところで、中山配下の上間按司は、どんな立場にあったのでしょう。

    三山時代、中山の首都は浦添グスクでしたが、尚巴志が中山を征服した時、既に首里グスクはありました。尚巴志は首里を首都に選びましたが、その時、首里の南に位置する識名台地も首都の候補地になったようです。

    識名台地は、現在の繁多川から識名、上間まで。首里の丘に比べて面積が広く、四方が急斜面。首都に適した立地に思えました。

    ところが、その広さがグスクの防御を難しくするという結論に至り、しかも識名台地の南端は、南山との国境を流れる国場川です。そんな議論があって、識名台地への遷都案はボツになったようです。

    首里に首都を置くとすれば、識名台地は決して南山に奪われてはいけない要所になります。そのため、中山は識名台地に強くて信頼できる按司を配置する必要がありました。

    そこで指名されたのが上間按司でした。

    上間按司は広い識名台地で敵を迎え撃つシミュレーションを繰り返していたと思います。そして、自分が一番やられたくはない戦法で、糸数グスクを攻めたのです。


    最近の調査で、陥落時の糸数グスクは城壁の改修中だったことがわかりました。糸数按司は更に強固な城壁を築こうとしていたのです。

    伝承によれば、中山は糸数軍の兵長、比嘉ウチョーにビビって、糸数グスクに手を出せなかったとされています。それで、ウチョーが城壁の建設資材を調達するためにグスクを留守をしたスキを狙って、糸数グスクを攻めたことになっています。

    しかし、どう見ても、ビビっていたのは糸数按司のほうでしょう。

    そして、上間按司が待っていたのは、ウチョーの留守ではなく、空気が乾燥し、北東方向から強い風が吹く日だったのです。

    (終わり)


    コメント
    Cさんの、まるで見てきたかのような(笑)歴史解説が好きです。
    図書館で調べまくってるんでしょうねぇ。
    私みたいに図書館に行かない人間にも解りやすい!
    本、出せるんじゃないですか?
    • しもちゃん
    • 2015/04/11 1:01 PM
    しもちゃん

    比嘉ウチョーは、糸数に墓があり子孫もいるようなんで、実在したと思います。戦闘能力の高い兵士だったんでしょう。

    そんぐらいにしとけばいいのに、糸数グスクの裏口にある石橋を持ち上げたとか、中山国がウチョーにビビったとか、上間軍に取り囲まれて矢を放たれ仁王立ちのまま死んだとか言われると、イラッとするのよね(笑)。

    最後の三行を書くことだけが、投稿の目的でした。つまり(笑)。
    • coralway
    • 2015/04/11 2:09 PM
    糸数城とは関係ないのですが、こちらに書かせてください。
     玻名城にある多々名城というグスクに行ったのですが、そこそこ規模の大きなグスクらしい説明があるのに入口が全く分かりませんでした。近くの遊歩道に入ると「左手がグスクです」という案内はあったのですが、全く道らしき場所は見つけられませんでした。
     汗水節の碑近くにあるグスクの説明版に「この急な坂道を登りつめた先に…」とあったのですが、まさか説明版のところの藪を分け入った先にあるのでしょうか?
     何かご存知ですか?このブログで紹介してくださると次に挑戦する時に心強いのですが。
    • ahaha
    • 2015/05/02 9:45 PM
    ahahaさん

    玻名城にそんなグスクがあるんですね。知りませんでさした。藪の中に入るのはイヤなので、そこを通るしかないのなら行かないでしょう(笑)。

    佐敷の小谷と大里の大城の間の古道が廃道になっていました。最近、地元の皆さんが藪を切り開き、道を復活させたそうで、私も近々、歩きに行く予定です。

    多々名城がそうなれば、是非、行ってみます(笑)。
    • coralway
    • 2015/05/03 6:07 PM
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