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八重瀬町具志頭「クラシンジョー」

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    八重瀬町具志頭の具志頭城址公園入口から海に下りる坂道の途中。右手にある巨岩とその奥のスペースを「クラシンジョー」と呼びます。




    この日は地元の皆さんによる草刈りの日。

    手前のオジサンが、

    オ「おお、クラシンジョーに来たの?」

    C「ええ。」

    オ「懐中電灯が無いと入れないよ。」

    C「いやぁ、壕には入らんから。」

    つまり、クラシンジョーとは、沖縄戦で使われた自然要塞のこと。具志頭の東隣に位置する港川に米軍が上陸すると予想し、陸軍第九師団がここに配置されたのです。


    クラシンジョーへは、この階段を登ります。



    岩に囲まれた空間と言えば、斎場御嶽の三庫理(サングーイ)が思い浮かびますが、ここはもっと深い。



    見上げた先に見える手すりは城址公園のものでしょう。



    次の写真の奥に壕の入口が見えますが、実は、あちこちに入口があります。間口は狭いのですが中に入ると広いそうで、修学旅行生の戦跡コースにもなっています。




    ところで、クラシンジョーの名前は、浦添グスクと首里城にもあります。

    まず、浦添グスクでは、英祖王と尚寧王の墓所「ようどれ」の入口にある暗しん御門。現世とあの世を結ぶ門です。



    次の写真は戦前の首里城。御庭から御内原に抜ける左掖門(さえきもん)を暗しん御門とも呼びます。下の写真で、正殿の右端に開いた口が左掖門です。

    20120218213041_0.jpg

    聞得大君や神女が出入りする通路で、テンペストでは孫寧温が真鶴に入れ替わる場所でした。


    つまり、クラシンジョーは具志頭グスクの門(ジョー)の一つか、もしくは御嶽として古くからあり、そこを陸軍が使ったということ。戦時のトーチカが残っていました。




    見える人や聞こえる人には向かない場所だと思います。単に、岩が形成した自然空間ってことではありません。



    沖縄戦の前に陸軍第九師団は台湾へ移動し、米軍の上陸地点は読谷でしたから、ここが戦場となったのは、沖縄戦末期のことだったと思います。
     

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