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島添大里のカニマン御嶽

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    島添大里のカニマン御嶽です。



    「異形」という言葉が、まず思い浮かびます。いかにも沖縄な雰囲気です。

    琉球石灰岩の岩上に、石灰岩を筒状に積み、その上部にドーム状の屋根石。そのまた上に球状の宝珠。


    カニマンは金満と書き、一説によれば鍛冶屋を意味するそうです。

    この御嶽が造られたのは、おそらく琉球王朝時代の前の三山時代。

    鍛冶屋は、軍隊には武器を作り、農民には農具を作りました。国王からも国民からも頼りにされていたのです。


    私はかつて、鉄鋼メーカーで23年勤めましたが、当時、印象に残った言葉が「鉄は国家なり」。高度成長の時期、鉄鋼業界には国を牽引している自負があったのです。

    古琉球の時代は、尚更、鉄を支配する者は国を支配できたと言えるでしょう。鍛冶屋の地位はかなり高い所にあったようです。

    まあ、そこで、鍛冶屋の娘がノロとなり、カニマン御嶽が造られたと。おそらく。


    この場所は島添大里グスクの西端です。グスクからも行けますが、チチンガーの前を通り、集落を抜けたほうが分かりやすいでしょう。

    チチンガーはグスクの井戸です。



    この石組みは井戸の拝所。左手の階段を地下8メートルまで降りた所に井戸があります。








    チチンガーから集落の奥へ道なりに進むと、カニマン御嶽へ続く石段があります。



    石段の先に、小さな広場が見えてきます。




    この広場は遥拝所。当時の平民はここまでしか入れませんでした。

    カニマン御嶽の遥拝所と、



    国王(南山王)の墓の遥拝所。



    カニマン御嶽のポジションは国王の墓と同列ってことになりますね。


    広場から石段を進むと、そこはかつてのグスク内。現代の平民は自由に出入りができます。



    そして、石段を登った先に、カニマン御嶽があります。




    う〜む。鍛冶屋は偉かったんですね。

    「しばしも休まず、 槌打つ響き・・・」

    なんてイメージしてると大間違いです。


    最後に、島添大里グスクの物見台から眺めた那覇です。肉眼では慶良間まで見通せました。



    仕事に疲れた鍛冶屋が、私と同じ場所に立ち「う〜〜ん」と背伸びをしたことでしょう。

    で、私も「う〜〜ん」って、やっておきました(笑)。

    コメント
    ≫カニマンは金満と書き、一説によれば鍛冶屋を意味するそうです。

     あの頃の鍛冶屋は、希少な物を造る技術で、強かなウェーキンチュ(金満家)で、
    権力もあったと思います。

     日本もかつては、世界に冠たる鉄鋼をはじめ
    重厚長大産業で、世界を席巻し高度成長していた時があった・・
     今や「軽薄短小」産業に後塵を拝する始末。

    年金をもらう年頃になると、あの頃を思い出します。
    • へそまがり
    • 2015/07/30 7:47 PM
    へそまがりさん

    >年金をもらう年頃になると、あの頃を思い出します

    鍛冶屋の頃かと勘違いし、狼狽えました(笑)
    • coralway
    • 2015/07/31 12:40 AM
    コメントする









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