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白梅学徒隊の4ヶ月(1) 第二高等女学校

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    ここは那覇の松山公園。かつての松尾山(マーチューヤマ)です。



    1944年10月の那覇大空襲の日まで、この場所には沖縄県立第二高等女学校がありました。校章は白梅。



    校庭の一角に井戸がありました。井戸の側にゆうなの木があったことから、ユーナヌカーと呼ばれ、近年整備されて、ガジュマルと共に、公園内に残っています。




    校舎の焼失後も、付近の官舎や民家などを利用して授業の継続が試みられましたが、戦況の悪化により、学校は自然消滅してしまいます。


    第二高女の4年生56名は、第32軍司令部からの要請で、補助看護婦として従軍することになりました。

    後に白梅学徒隊と呼ばれた彼女達は16歳。献身的な看護により、多くの負傷兵の命を救いましたが、戦火に巻き込まれ、22名が命を落としてしまいます。


    当時、16歳の子供を徴兵する法律はありませんでした。彼女達が従軍するには両親の承諾が必要で、軍による強制は無かったようです。つまり、彼女達は家族と共に疎開することもできたのです。

    では、何故、従軍を志願したのか。

    まず、「お国のため」って意識があったのでしょう。沖縄が空襲される事態となっても、最後は米国に勝つと思っていたようですからね。

    また、彼女達にとって、看護婦は憧れの職業でもありました。

    そして、彼女達の両親は、危険をおかして疎開させるよりも、軍隊と共にいるほうが安全だと判断しました。米軍は病院を攻撃しないとも、考えていたようです。


    無知では言い過ぎでしょうから、数々の誤解が彼女達を戦場に送り込むことになりました。




    16歳ですよ。

    将来の日本のために、何があろうが守らなくてはいけない子供達でした。

    (続く)


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