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白梅学徒隊の4ヶ月(5) 白梅学徒隊の解散

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    1945年5月末に首里が陥落しました。軍司令部は摩文仁への撤退を決め、八重瀬岳に新たな防衛ラインを定めました。これまでの艦砲射撃や空襲に加えて、戦車や歩兵が攻めて来ます。

    八重瀬岳第一野戦病院壕の閉鎖が決まり、6月4日、病院は国吉(糸満)にあるウテル原の壕に移動することになりました。

    後の記録によると、米軍が八重瀬岳周辺に到達したのは6月5日。翌6日には本格的な攻撃が始まったようですから、間一髪のタイミングでした。


    千人を超える患者と白梅学徒達はどうなるのか。

    まず患者は、歩ける者は国吉への移動を、歩けない者は青酸カリによる自決を求められました。

    本来、歩けるはずの無い兵士が杖を使ってヨロヨロと立ち上がり、両脚を失っていた兵士は這って壕を出てきました。


    そして、学徒隊には解散が告げられ、全員に3ヶ月分の給与が支払われました。

    思いもよらない宣告に学徒達は驚き、戸惑いました。当然、自分達も国吉に移動するものと考えていましたからね。口々に学徒隊の継続を訴えましたが、それはかないませんでした。


    「ふざけんな!!」と、言いたい。

    砂漠の真ん中まで連れていって、「はい、ここで解散。自由に行動しなさい。」って。


    学徒達は、「何故?」と思う前に、ポカーンとして、今、何を言われたのか、よくわからなかったと思います。

    「足手まといになる」という、不眠不休で働いた学徒達には、とうてい受け入れ難い理由から、「一ヶ所にいるより、バラバラのほうが生存確率が高い」という、少しマシな理由まで想定できますが、私にはよくわかりません。




    それでも言われた通りにするのが、16歳の女の子。3、4人のグループを作り、南へ向かうことにしました。

    学徒達はこの時初めて、軍隊は自分達を守らないってことを知ったのですね。


    くらっ!!安倍晋三!!

    お前、ちょとここへ来て、どうするのか決めてみろっ!!

    存立危機事態だの、後方支援だの、切れ目の無い何チャラだの、言わんでよろしい。

    この事態を解決すべく、指示を出せっ!!

    ボケッ!!


    「患者と学徒隊を壕に入れ、兵士は白旗をあげて壕の前に立て。」

    ほ〜、正解や。

    やればできるやんか。

    (続く)


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