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東方の村獅子

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    与那原と佐敷の村獅子を3ヶ所見て歩きました。

    本島南部の東海岸は東方(あがりかた)と呼ばれ、ニライカナイの方角に向くことから、古くから多くの聖地があります。

    ところが、沖縄戦の初期。この海に米国の大艦隊が押し寄せ、各集落は無数の砲弾を浴びてしまいます。鉄の暴風の中、形のあるものが残っていることが不思議です。


    先日投稿した「よーんなあ道路」の近く。板良敷集落の村獅子です。



    広い国道が開通すると、集落が分断されるばかりか、国道に沿った街づくりが行われるので、集落の形が曖昧になります。

    この村獅子の立つ場所が、かつての集落入口だったのか。あまり居心地が良さそうには見えません。



    石灰岩が朽ちることは仕方ありませんが、この村獅子は顔の左側に何かの衝撃を受けていますね。

    足を見れば、後にコンクリートで整形された形跡がありました。



    こんな内股にしなくても(笑)。

    まったくの想像ですが、この村獅子は沖縄戦で左方向から何らかの衝撃を受け、倒れてしまったのではないでしょうか。

    地面に転がった(あるいは地中に埋まった)村獅子が後に整形され、この場所に置かれたように見えました。


    次に向かったのは、佐敷冨祖崎の村獅子です。



    このあたりの村獅子はちゃんと獅子の形をしていますね。ウェストがありますからね(笑)。



    足に指がある獅子は珍しいなと思ったら、



    どうやらこの足も、後から整形されたようです。


    最後は、冨祖崎獅子のすぐ近くにいる、外間集落の村獅子です。



    ああ、こいつも左足をケガしていますね。



    そして、左の首筋に銃弾の跡が二つ。


    私の勘違いもあるでしょうが、どの村獅子も、戦火をくぐり抜けてきた様子がうかがえました。

    村獅子は、集落の守護神として、その場所に立ち続けることが役目です。その役目を果たそうとして、酷い目に合いました。


    板良敷から冨祖崎までの間で、私は他の村獅子を知りません。この日の村獅子達は、転がされたり、銃で撃たれたりはしましたが、粉々になることは免れたわけです。

    つまり、多くの村獅子が跡形もなく消えてしまったのだと思います。


    何しろ、村獅子は動くわけにはいきませんからねぇ。

    「よく頑張ったな。」って気持ちになります。


    コメント
    瀬長の田頭地区の石獅子もそうですが、他の石獅子達も、健気ですね。頭が下がる思いです。
    • ahaha
    • 2015/09/14 11:02 PM
    ahahさん

    その健気さが、村獅子ファンが多い所以でしょうね。

    • coralway
    • 2015/09/15 4:38 AM
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