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新城集落のジオラマ(2) 森のようなガジュマル

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    宜野湾市博物館にある新城集落(昭和初期)のジオラマです。

    西側から見た新城集落。



    集落の向こうを宜野湾並松(ジノーンナンマチ)が左右に通っていますね。左手が普天満宮です。


    写真を拡大します。中央の大樹は集落のシンボルで「森のようなガジュマル」。



    茅葺き屋根もありますが、瓦屋根の大きな屋敷が多く、裕福な集落だったことがわかります。



    ガジュマルの手前のお宅は、母屋に離れ、家畜小屋に穀物小屋まであり、当時の典型的な(リッチな)お屋敷です。


    最初の写真を少し引いたのがこちら。



    集落から手前に一本の道が通っていますね。そこを拡大します。



    道の真ん中に一本の木があり、その左上がサーターヤー。手前の川に石橋が架かっていまして、石橋の向こう、道の右手にある広場は闘牛場です。


    道の右手にある防風林が今も残っています。

    普天間飛行場の木立が邪魔をして、その防風林を基地の外から見ることはできませんが、Google earthならわかります。



    手前の校庭は普天間第二小学校。校庭と飛行場を遮断するかのように、防風林が見えます。集落は更地になり、林だけが残りました。


    それから、石橋のあった場所は、現在の「いしの木通り」です。戦前、そこにはトロッコ馬車の軌道がありました。

    古い写真を探しましたが、見つかりません。これは本土の写真で、馬がもっと小型だったかもしれません。




    当時の地図によれば、トロッコ馬車の軌道は、軽便大山駅を起点に喜友名(きゅうな)で二本に分岐していました。

    一本は、新城、普天間を経由して野嵩まで延び、他の一本は、(現在の)普天間飛行場を横断し、宜野湾、我如古を経由して西原の手前まで延びていたようです。

    普天間飛行場一帯は肥沃な耕作地帯でした。収穫したサトウキビや農産物を嘉手納の製糖工場や那覇の市場へ運ぶなど、収穫量に見合った物流ネットワークが整備されていたのですね。

    (続く)


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