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儀保交差点から太平橋(1) 儀保御待所

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    首里平良町で太平橋の遺構が発見されたので、先日、その発掘現場を見てきました。

    残念ながら、石橋のアーチ部分は沖縄戦で失われていて、発掘中の遺構は橋の取付道路の擁壁です。



    それにしても、見事な石積みです。太平橋が首里の北玄関にふさわしい橋だったことがよくわかります。


    首里の古地図を見ましょう。



    5の枠が太平橋。

    南に下って4の枠で宿道が二つに分かれます。右が「上道(ウィミチ)」、左が「下道(シムミチ)」。いずれも首里城へ向かいます。

    その分岐を拡大すると。



    御待所(ウマチドゥクル)と記されています。

    この建物は儀保(ジーブ)御待所。国王が北部へ行幸(ぎょうこう)した帰路、家臣らがここで出迎えました。

    あるいは、王府直轄の祭祀の際、各地のノロがここに集合し、揃って首里城へ向かいました。


    以前、聞得大君の御新下りに関連して、赤田御待所を紹介しました。

    赤田御待所は現在の大角座歩道橋の近くにあり、首里の東玄関でした。

    御待所で出迎えることを坂迎え(サカンケー)、あるいは境迎えと言います。儀保も赤田も、首里と他界との境だったのですね。


    北から首里城に向かう人は、太平橋を渡り儀保御待所に入りました。そこで暫し休憩し、身支度を整えたのです。

    まあ、こう言っちゃあナンですが、汚れた格好のまま、儀保御待所前を素通りしたのは、1609年の島津軍と1945年の米軍でした。

    礼儀を知らない「バ〜ロ〜」は、これだから困ります。

    (続く)


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