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豆腐小坂から御茶多理坂(2) 御茶多理坂

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    さて私は運玉食堂前からゴルフ場北側を抜け、西原町桃原の構造改革センター前にいます。



    広場に案内がありました。



    その案内によると、私が歩いて来た道は「御茶多理道(ウチャタイミチ)」。

    首里弁が岳から豆腐小坂を下り、桃原、呉屋、内間を経て、中城の和宇慶に至ります。


    それにしても御茶多理道って、ナイチの皆さんは違和感があるでしょうね。「なんでそんな名前やねん」と。ウチナーグチに無理に漢字を当てるからこんなことになるんです。

    車の窓に貼ってある癒汰志駆(ユタシク)のシールと同じで、それに違和感を感じるって言われても、「そりゃそうでしょうね」と答えるしかありません。

    ところで私は、癒汰志駆なんて少しも良いとは思いませんでしたが、ナイチの夜露死苦(ヨロシク)に対抗してるんだそうで、今は「おっ、そんなら頑張れ」と思っています(笑)


    ウチャタイはこの辺りに住んでいた人の名前です。フルネームでは御茶多理真五郎(ウチャタイマグラー)。相撲が沖縄一強くて唄三線が得意。どこの集落にも一人はいたスーパーマンです。

    五郎の死後、彼はどうしても成仏できなかったらしく、夜な夜な、現れて大声を出したり三線を弾いたりしたそうです。集落の人達はそれを恐れ、御茶多理の名が残りました。だから、五郎の亡霊が現れた場所は御茶多理毛(ウチャタイモー)です。


    私は今、桃原集落の御茶多理道に立ち、首里方面を向いています。



    この坂の向こうから琉球国王の一行や、ペリーの視察隊が現れたのですね。言い忘れましたが、この坂の名は御茶多理坂(ウチャタイビラ)です(笑)

    国王がこの道を通って、どこに向かったのか、行き先が思い付きません。おそらく、この道を通ったのは尚円王で、即位後も内間御殿を利用していたのだと思います。桃原集落の人達や、内間御殿から来た人達が、この坂道で国王を出迎えたそうです。

    そのため、御茶多理坂をマチンジャービラとも呼ぶそうです。


    あっ、それからペリーの視察隊は、小橋川集落で野営をした後、御茶多理道から外れて、中城の崖の上へ登りました。ハンタ道を通り、巨岩に星条旗を掲げたことは以前、投稿しました。


    さて、次の投稿で、いよいよまとめに入ります。言い忘れたことは、今のうちに言っておかないと(笑)

    豆腐小坂(トーフグヮービラ)の話ですが、あの急坂に別名があるそうです。

    その名が御意見坂(グイチンビラ)。

    内間御殿に住む金丸(53歳)は、尚徳王(28歳)の政治に大いに不満がありました。

    お父さんの尚泰久王はあんなに立派な人だったのに、息子はなんでこんなボンクラなんだろうと嘆き、尚徳王のやる事なす事が、不満であり心配でもありました。

    内間御殿で居ても立ってもいられない金丸は首里に向かうべく、ブツブツ言いながら豆腐小坂を登ったのでした。

    だから、御意見坂。

    グイチンしたぐらいでは、とうていラチがあかないと悟った金丸は、とうとうクーデターに打って出たのでした(たぶん)。

    私が立っているこの坂を、首を傾げ、ブツブツ言いながら歩く金丸を想像すると、なんだか彼に親近感を覚えてきます。

    (もう一回、続く)


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