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糸満市真栄里の特攻艇掩体壕

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    糸満市真栄里に、日本軍の特攻艇を格納した(掩体した)壕が残っています。



    特攻艇とはこんな船です。通称はアマガエル。



    操舵席後ろのフックで爆雷を懸架し、それを敵艦近くに落とし、急旋回して逃げるというもの。

    しかし、その方法では操舵士に高度な技術が求められるため、後には、船首に起爆スイッチを設置し、体当たりする方法に変更されたようです。

    しかし、沖縄戦で特攻艇が戦果をあげたという話を聞いたことがありません。


    この特攻艇には自動車用のエンジンが転用され、その馬力は現在の軽自動車並でした。そのため、見た目ほどの速力が得られない上、搭載できる爆雷の量にも限度がありました。また、船体はベニア板でしたから、銃弾でも沈没しました。

    つまり、速度、爆雷の威力、船体の強度など、どの項目においても戦艦には通用せず、相手が商船ならなんとか効果があるレベルだったようです。


    その前に、沖縄戦で使用するには、本土から特攻艇を運ぶ必要があります。ところが日本軍は制海権を失っていたため、特攻艇を満載した輸送船は次々に沈められ、沖縄に到着した特攻艇は僅かでした。

    さらにその前に、日本軍には空母も戦艦も残っておらず、まともな戦いはできなくなっていました。それで、特攻機や特攻艇に頼る戦闘しかなかったということ。


    もちろん、今だから言えるのですが、米軍の艦隊が読谷沖に到着した時点で負け。こんな壕を掘って、何になるって話です。



    特攻艇の戦果が上がらなかったことで、多くの命が救われたのだと考えるほかありませんね。


    コメント
    このマルレは当初、舟に体当たりするものだったのが、第一戦隊長の梅澤の進言により反転攻撃に変更されたとの事です。
    しかしこの梅澤は本当の事を言っているのか疑いたくなる男なのですが、必死ではなく決死であった事に間違いはありません。
    特幹隊員達の証言は少ないのですが、突っ込むつもりでいたのか、反転攻撃するつもりでいたのかはあやふやです。
    どのみち機銃の雨の中、死ぬだろうという諦観はあったようです。
    ただ、はっきりしている事は、沖縄では反転攻撃を前提とした訓練をしていた事です。
    憲兵に向かって「必ず生きて帰ってみせますよ」と言った兵士がいることでもわかります。
    阿嘉島の第2戦隊が唯一の戦果を挙げたと言われていますが、検証はしていません。
    どてらい男という小説では、主人公のモーヤンが基地隊員なのにマルレに乗って出撃して爆雷を投下していますwww
    • 阪神
    • 2015/12/14 1:26 PM
    梅澤って、慶良間の梅澤ですよね。まったく、いいかげんを言うなら黙ってろですねぇ。

    まあ、どちらにしても虚しい話です。沖縄戦でそれを言ってはおしまいですが。

    どてらい男は西郷輝彦でしたね。お懐かしい。

    • coralway
    • 2015/12/14 1:52 PM
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