JUGEMテーマ:地域/ローカル
黄金森の頂上で三方に分かれた道。左手に進むと、仏の前(フトゥキヌメー)と呼ばれる拝所があります。
黄金森の中でも、仏の前の周辺は「喜屋武シジ(高い所)」と呼ばれていて、言わば喜屋武集落の聖地。年中行事では、各門中の代表がここで拝みをします。
「飯上げの道」の名が付けられたのは70年前の沖縄戦以降のこと。それより数百年前から、この道が喜屋武集落の「御願の道」であったことがわかります。
飯上げの道を文化センターまで戻り、もう一本の「御願の道」を歩いてみました。場所は町立図書館の裏手です。
奥の階段を上がって黄金森に入ります。
この道に沿って、下ヌ嶽、中ヌ嶽、上ヌ嶽(イシジャー)と続くはずですが、下ヌ嶽は見あたりませんでした。
中ヌ嶽と、
イシジャー。
(下から)
(前から)
(横から)
この御嶽は、喜屋武集落の始祖と言われている門中が管理しており、その門中と分家の拝所となっています。言い換えれば、それ以外の門中は拝まないということ。
例えば、イシジャーの周辺に施された植栽を、始祖の門中の者が伐るのはかまわないが、それ以外の者にはできません。
限られた門中だけが拝む御嶽って初めて聞く話で、それが普通のことなのかどうか、ちょと私にはわかりません。
喜屋武集落の聖地である黄金森とその西側に広がる喜屋武集落。
それを遮るかたちで、県道241号線が開通し、南風原町の文化センター、公民館、図書館などの公共施設が建ちました。
「御願の道」が分断されてしまったことになりますが、喜屋武集落の皆さんは、県道が通り、公共施設が建って便利になったと思ってるのか、迷惑してるのか。どっちなんでしょう。
一つ前の投稿で紹介した、県道241号線の下をくぐるトンネル。
数年前、行政が「防犯上いかがなものか」と言い出して、「御願の道」であり「飯上げの道」でもあるこのトンネルを埋めようとしたことがありました。
幸い、今もトンネルは残っているので、その提案は通らなかったんでしょう。
(続く)