JUGEMテーマ:地域/ローカル
ナカヌカー公園からメーミチを東に進み、公民館に着きました。ここは村屋があった場所で、敷地の北西角に一本の木があるはず。
ありゃ、無いじゃん。
この切り株なのか、その横のスペースにあったのか。
その昔、集落の犯罪者を吊るした木(ブルブルギーまたはヌスドゥサギーギー)があると聞いてましたが、いや、見たかった。
多くは窃盗や傷害だと思いますが、犯人はスビカリーンされ、村人全員の前にホーラカされ、ヒサマンチさせられたと。(しょっ引かれ、放り投げられ、正座させられた)
そして、ブルブルギーに吊るされたんですね。木に吊るされるのは想像するよりは辛いでしょうが、どこか優しさを感じますね。「最後は許す」みたいな。
窃盗、傷害の他には、毛アシビをやっては駄目です。他の集落の毛アシビに加わっても駄目。ブルブルギーです(笑)
毛アシビってのは、村の原っぱに男女が集まり、太鼓三線で唄ってお酒を呑むわけで、合コンみたいなもんかと思ってたら、ちょっと違うんですねぇ。
前川守賢さんの大ヒット曲「遊び庭」によれば、
毛遊びぬ夜や、イソーサ肝どんどん(アリッ)。遊び庭に皆な寄てぃ来う、太鼓三線かたみてぃ来う。
毛アシビの夜は嬉しくてドキドキするさぁ。皆んな集まって来い!!、太鼓や三線持って来い!!
アン小達が舞いやよー、ガマクんくんしみてぃ(アリッ)。ヤッチー達が弾ちゅる三線に、フェーシ立てぃとてぃチビふいふい
姉さん達の踊りはガマクをキュッと締めて、囃子を立てて尻振り振り
う〜む。そもそも姉さん達がその気なのか。これはお持ち帰り率が高いでしょうね。
大阪岸和田では、だんじり祭りの夜、姉さん達が沢山お持ち帰りされて、お祭りベィビーが生まれるそうですが、娯楽の少なかった時代、毛アシビはかなり刺激的だったんでしょうね。
やっぱ、ちょっとしたトランス状態になるのかな?
などと、考えながら、喜屋武集落の東端に着きました。
ここは黄金森の南、製糖工場跡です。
かつては黄金森の稜線がこのあたりまで延びていて、ワイトゥイになってたそうです。県道が開通し、その痕跡はありません。
古い、と言っても1957年の写真がありました。製糖工場が写っています。
馬がグルグル回っていたサーターヤーの時代が終わり、製糖機械が導入されました。
かなり高い位置からの写真なので、先ほどのワイトゥイの端あたりから撮ったのかもしれません。
今はこんな感じ。
近くの小学校の入口に、こんな石碑があります。
「うまうぃーぐゎ跡」、つまり馬場の跡です。
立派な石碑も結構ですが、花壇や芝生を使うとかして、もう少し、馬場跡を実感できる工夫は無いものかと思いますね。色々書いてありましたが、省略します。
喜屋武集落のはずれにワイトゥイがあり、その先に製糖工場や馬場があり、一面のサトウキビ畑。そんな風景を想像して、喜屋武集落の散歩は終わりです。
(終わり)