JUGEMテーマ:地域/ローカル
久茂地尋常小学校の遺構説明会に参加しました。
沖縄戦で焼失した久茂地尋常小学校は、当時の資料がほとんど残っていないそうです。那覇市文化財課主催の説明会は、市民への情報提供の場であり、情報収集の場でもあります。
上の写真はたった一枚残っているもので、南向きの正門を入って校舎、その裏に校庭(体操場)、校庭の裏が一銀通りです。
校舎の入口に説明者が立っています。
校舎は左奥に向かってL字に曲がっていて、右手の人が立っている場所が校庭です。礎石の間隔からの推定で、校庭側には廊下があり、3.5間×4.5間の広さの教室が4室並んでいたようです。
次の写真に多数の礎石が見えます。大きな礎石は柱と屋根を支え、小さな礎石は床を支えていました。
校舎前にある煉瓦組みの用途は不明です。こんな時に尋常小学校OBが現れて「これは花壇だよ」と言えば解決ですが、残念ながらそうはなりませんでした。
こちらは八角形の石組み。手洗い場ではないかとのこと。
尋常小学校の遺構は、久茂地小学校の校庭を約40センチ掘った場所で見つかりました。
戦前、このあたりは湿地帯の埋め立て地で水はけが悪く、雨の後の校庭は使いものにならなかったそうです。その校庭は焼土となり、赤味を帯びていました。
先ほどの煉瓦組みの写真にある円形のコンクリートは、戦後この場所に建てられたツーバイフォーの礎石です。その間隔がフィートなので米軍が建設したもののようです。
広大な湿地帯に長虹堤が築かれ、埋め立て地に上級神女(なは大あむ)の屋敷が建ち、後に久茂地尋常小学校と久茂地小学校が101年の歴史を刻みました。
この場所には市民会館が建つ予定ですので、この校庭を再び見ることができるのは数十年先になるでしょう。
その時、那覇はどんな街になっているんでしょう。私はとっくに死んじゃってますが、今の小学生達が私の年代になり、遺構の様子をブログに投稿してるかもしれません。