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琉球王朝の街道「国頭方西海道」(1)

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    読谷村での仕事の待ち時間を利用して、村内をうろうろすることを続けています。

    読谷村は、琉球王朝の頃、読谷山(ゆんたんざ)間切りと呼ばれていました。間切りとは、現在の市町村のことです。

    首里の琉球王府と沖縄本島各地の間切りとの間は、宿道(しゅくみち)が整備されていました。現在の国道です。

    そのうち、読谷山から本島北部へ西海岸を北上する宿道が国頭方西(くにがみほうせい)海道です。

    読谷村から恩納村に向かう国道58号線に沿って、その海道の一部が残っています。

    CIMG4463s.jpg

    写真は、恩納村の仲泊遺跡近くに残る、比屋根坂(ひやごんびら)石畳道です。

    この付近、海道は丘陵地を越えていきますが、その丘陵地から恩納村への下り坂が石畳になっています。

    現在のように、山を切り崩し、トンネルを掘り、橋を架けというようなことができませんから、海道はくねくねとしたアップダウンの多い道となります。

    当時の通信手段は早馬だったそうですが、ここを馬が走るのは、かなり大変そうです。


    ところで、この丘陵地から見る海の眺めが素晴らしく、イユミーバンタと呼ばれています。

    イユはウチナーグチで魚ですから、イユミーバンタは魚を見る崖という意味になります。

    漁に出る前に、ここから魚の群れを捜したのでしよう。

    CIMG4460s.jpg

    残念ながら、私の視力では、魚の群れを見つけることはできませんでした。

    写真右上に、恩納村のリゾートホテル群が見えます。その向こうの島影は本部半島です。

    那覇から北部へ向かう国道58号線は、読谷村を抜けて恩納村に入るあたりで一気に視界が開け、車窓から美しい海を眺めることができます。

    観光バスの車内が歓声に包まれる瞬間です。

    その時、進行方向右手に切り立った崖があり、その上がイユミーバンタです。


    ところで皆さん、「この男、ちゃんと仕事をやっとんのか?」と思われてるでしょうね。

    読谷での仕事は来週末で一旦完了の予定ですから、もう少しうろうろしないと、悔いが残ります。

    ご心配なく。仕事は順調に進んでいますから。

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