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落穂拾い的、那覇の石橋巡り(1) 首里鳥堀町の「大橋」

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    那覇市内で見逃していた石橋が2ヶ所ありましたが、今日はそれぞれの近くを通る用事があったので寄ってみました。

    まず、首里鳥堀町の「大橋(ウフハシ)」。

    大角座の歩道橋下から南風原方面に向かう市道(鳥堀南線)は道幅の狭い急な下り坂になっています。そこを下った所に小川があり、石橋が架かっているはずです。

    市道からそれて小道を下ると小川に出ました。この小川は金城ダムに流れ込み、安里川になります。



    ありました。名前は大橋ですがアーチは小さめです。



    川に降りて石橋を正面から見たいのですが「え〜っ、ここを降りんのかよぉ」みたいな場所でした。

    でも、降りました。




    ここで、琉球古地図を見ましょう。



    下部の赤枠内に橋が描かれているので拡大します。



    この橋は下原(シチャーラ)橋



    大橋から200mほど下流にある琉球王朝時代の石橋で、首里と島尻東部を結ぶかつての幹線道路上にあります。つまり、島尻方東街道。久高島を参拝するために琉球国王が渡り、御新下り(ウアラウリ)に向かう聞得大君が渡った橋です。

    一方、大橋は首里古地図に描かれていません。琉球が沖縄県になった後、大角座と南風原を結ぶ里道ができて、そこに大橋が架けられました。その後、道路が拡張されて市道になり、周辺に住宅地が造成されたのです。


    読谷のむら咲き村に泉崎橋のレプリカがありますが、あれを眺めてちっとも面白くないのはそこに道が無いから。

    石橋の建造技術に興味がある人なら、石橋があれば良いのでしょうが、私の場合は、道があってこその石橋。その道がどんな役割で、誰が通ったかに想いを馳せたいわけよね。やっぱり聞得大君が渡った下原橋には歴史的価値があると思うし、石橋としての格は大橋よりも上と言わざるを得ません。

    せっかく訪ねた大橋でしたが、近くに下原橋があるがために、「あっ、そう」って感じになってしまいました。すみません。

    (続く)


    コメント
    大橋と下原橋、見に行きました。橋を見るのが目的ではなく近くに有る野戦病院ナゲーラ壕を見に行く時にです。砲爆撃にさらされながら、よく残っていたものですね。
    • 西谷
    • 2017/04/29 4:41 AM
    せっかく残ったのですから、標識を立てるとか、橋が見える場所を設けるとかすれば良いと思います。橋の上を度々通過している人でも、そこが石橋だと知らない人が多いのではないでしょうか。
    • coralway
    • 2017/04/29 11:25 AM
    確かにそうです。でも、標識が有ってもアバウト過ぎてたどり着けない所も有りますよね。明日は早起きしてユーベ墓を探しに行きます(o^−^o)
    • 西谷
    • 2017/04/29 3:10 PM
    ジュリ馬祭りで出てきた尚灝王の奥さんですか。亭主の好色に苦労されたんじゃないですかね(笑)
    • coralway
    • 2017/04/29 5:17 PM
    そうです。好色で少し危ない人だったらしいですね。
    • 西谷
    • 2017/04/29 5:28 PM
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