<< ハンタ道を歩く(7) ツンマース、根屋、殿 | main | ハンタ道を歩く(9) KEEP GOING >>

ハンタ道を歩く(8) ペリーの旗立岩〜中城グスク

0

    JUGEMテーマ:地域/ローカル


    (16)ペリーの旗立岩

    ペリーの旗立岩に着きました。



    沖縄に来航したペリーは部下に沖縄本島の調査を命じました。那覇を出発した調査隊は与那原から東海岸を北上し、石川付近で西海岸に出て那覇に戻るルートを辿りました。

    その際、調査隊がこの巨岩を訪れ、岩の頂上に星条旗を立てた様子が、同行した絵画師によって描かれています。



    ペリーは江戸幕府と日米和親条約を、琉球王府と琉米修好条約を、それぞれ締結しましたが、日本との和親条約が不調に終わった場合、琉球を占領し、江戸幕府に圧力を加える意図があったようです。つまり沖縄を占領することを想定して調査を行なったということ。

    上の絵画で調査隊は西を向いています。その方角には宜野湾の台地があり、広大な平地が見えていたはずで、そこが後の普天間飛行場。

    「勝手に旗を立てんな」と言いたい。


    (17)ゴルフ場

    ペリーの旗立岩から先のハンタ道はゴルフ場の敷地に消えてゆきます。そのため、ゴルフ場を迂回し中城グスクに向かう代替ルートを歩きます。



    このあたりでスマホのバッテリーが無くなり写真はこれが最後です。これ以降は、特に写真に撮りたいモノもなく、ゴルフ場のネットの脇を黙々と歩きました。

    戦後、このゴルフ場の付近は米軍が占領していて、当時の中城村を分断していました。そのことが原因で村の北半分が北中城村になったのです。土地が返還された後、村は再び一つになるかと思われましたが、いまだに実現していません。

    概ね、中城村は合併に前向きですが、北中城村が消極的。現在の人口は北中城村が1万6千人で中城村が2万人。合わせて3万6千人の村(あるいは市、町)になっても合併効果が少ないと北中城村は考えているようです。


    (18)中城グスク

    ゴルフ場を抜けたハンタ道は森の中に入り木陰になったので、私は少し休むことにしました。森を抜ける風が気持ち良いこと。

    思わぬ大休憩になった後、ホテルの廃墟を経て中城グスクの南端に出ました。

    グスク北端の料金所近くのベンチで数人のオジぃオバぁがゆんたく中でした。そのうちの一人が「え〜、どっから来た?」と聞くので「首里城」と答えたら、全員一斉に「お〜〜!!」と歓声を上げ、オバぁは拍手(笑)

    説明するのが面倒なので、驚いたままにしておきました。「どこから歩いて来たのか」と問われれば南上原でございます。


    「おい、せっかくだからこのまま勝連グスクまで歩いたらどうか?」とどこからか聞こえたような気がしましたが、既に私の脳内は「お家、エアコン、シャワー、ビール」の4点セットが占領中。「阿麻和利は歩いたぞ」と言われましても、あいにく私は阿麻和利ではありません。

    料金所のオバさんにタクシーを呼んでもらいました。ゆうなタクシーで、南上原までの料金は1,670円でした。

    中城グスク到着は12時半。首里城を出てわずか4時間半ですが、継世門の前に立っていたのが昨日のことのようです(笑)


    投稿が8本にもなってしまいましたが、最初からお付き合いいただいた皆様、ありがとうございます。お疲れ様でございましたm(_ _)m

    このあと、おまけがあります。


    コメント
    やっぱり帰りは車ですよねー。自分は旗たて岩からハンタ道は通らずに最短距離で帰りました。今来た道を振り返ると何で、こんなに歩いた!と、自分を呪いますね。
    • 西谷
    • 2017/06/28 8:15 AM
    >つまり沖縄を占領することを想定して調査を行なったということ。

    ペリー一行の調査が米軍の地図に生かされているはずですが、その後も調査されているようです。例えば「投降する者は(宮城恒彦)2006」P.86には、「地名も方言読みで記入された詳細な地図も作成されていたのである。沖縄本島より先に慶良間諸島に上陸した米軍は、すでに座間味の詳しい地図を持っていた。ローマ字で「ニタ」「ンナザチ」「タチザン」など、地元でも、若い人達には馴染みのない地名が克明に記されており、地図を見せられた島人たちを驚かせた。島の古老の話によると、明治の頃に外国人が来島して、ある島人の道案内で各島を隈なく歩き回り、地名・地形などを調査して帰った。」とあります。
    貪欲ですね。
    護佐丸バスなどを利用して戻るつもりでしたが、エアコン、シャワーとビールしか頭に無かったもので。

    トイレを我慢して我慢して、やっとトイレの扉の前って状況に似ています(似てないか笑)

    • coralway
    • 2017/06/28 8:34 AM
    阪神さん

    米国はペリーの頃から沖縄に目をつけていて、100年かけて占領したことになりますね。日本軍とは戦略の立て方が根本からちがいますよねぇ。

    宮城恒彦さん座間味の方でしたね。
    • coralway
    • 2017/06/28 9:13 AM
    帰りはタクシーですか?
    女子4人で宜野湾〜中城城址まで往復歩きました。
    結構きつめの階段とかあり叫びながら歩け、歩けでした。
    景色や歴史を感じるどころではなかったと今思い返しています。
    次回はもう少し余裕・・・イヤイヤ、2度と歩かないような気が。
    • yashi
    • 2017/07/06 8:37 AM
    往復されたんですかっ!!。体力的にもだけど、今来た道を戻れるところが素晴らしい。私はもうエアコンとビールしか頭にありませんでした。

    もっとも、あのコースを往復ジョギングするグループもあるそうで、体力と関心の持ち方で人それぞれってことになりますね。
    • coralway
    • 2017/07/06 9:07 AM
    コメントする









    この記事のトラックバックURL
    トラックバック
    calendar
      12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    2728293031  
    << May 2018 >>
    プロフィール
    profilephoto


    念願の沖縄生活を始めて8年になりました。
    沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。
    Twitter
    お勧めの本と映画
    selected entries
    categories
    archives
    recent comment
    • ハーバービュー通りとひめゆり通りを繋ぐ古道(6)
      うちなーんちゅ (05/28)
    • ハーバービュー通りとひめゆり通りを繋ぐ古道(6)
      coralway (05/28)
    • ハーバービュー通りとひめゆり通りを繋ぐ古道(6)
      NAO (05/28)
    • ハーバービュー通りとひめゆり通りを繋ぐ古道(6)
      coralway (05/27)
    • ハーバービュー通りとひめゆり通りを繋ぐ古道(6)
      NAO (05/27)
    • ハーバービュー通りとひめゆり通りを繋ぐ古道(6)
      coralway (05/27)
    • ハーバービュー通りとひめゆり通りを繋ぐ古道(6)
      coralway (05/27)
    • ハーバービュー通りとひめゆり通りを繋ぐ古道(6)
      うちなーんちゅ (05/27)
    • ハーバービュー通りとひめゆり通りを繋ぐ古道(6)
      Achi (05/27)
    • ハーバービュー通りとひめゆり通りを繋ぐ古道(3)
      coralway (05/25)
    recent trackback
    profile
    search this site.
    others
    mobile
    qrcode
    powered
    無料ブログ作成サービス JUGEM