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中城村新垣集落の散歩(3) 県道開削記念碑

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    昭和の初期。車が通行できる県道の開通は、新垣集落住民の悲願でした。

    こちらは新垣集落を流れる若南川に架かる石橋。



    初めて見た時に、なんとも可愛らしいサイズだなぁと思いました。今になって分かることは、集落内に車道が無かったので、これで充分だったということ。ガーラの水圧に耐え、人や馬が渡ることができればよかったんです。

    集落に県道が通ることは、島に橋が架かることに似ているかもしれません。ところが、島ならば船が使えます。陸の孤島の不便さは、場合によっては離島を上回ると言えるでしょう。


    新垣集落に県道を通す取り組みを始めたのは、新垣出身の伊佐善則でした。

    残念ながら、善則は県道開通を目にすることなくこの世を去りましたが、その遺志を引き継いだ息子の善俊が小学校の校長を辞め、沖縄県議、中城村長となり、県道開通に尽力しました。

    人口数百人の新垣集落のために、崖地に県道を通す事業です。当初、沖縄県は難色を示していたようですが、伊佐親子の働きかけが実を結び、昭和9年に現在の県道35号線(奥間〜普天間)が開通しました。

    新垣集落の住民は県道の開通を祝い、道脇に開削記念碑を建立しました。碑の前で椅子に腰掛けているのが善俊氏のようです。



    その後、県道は拡張され、現在、開削記念碑は新垣公民館前に移されています。



    集落を抜ける県道35号線。



    普天間方面へ向かうこの大きなカーブを新垣集落では「チーマーイ」と呼んでるそうです。ナイチャーの私にとって、大曲がりをチーマーイと呼ばれると、そこに特別な意味を感じてしまいますが、新垣の皆さんにとってチーマーイは単なるチーマーイなんでしょうね(笑)


    さて、2006年6月に大変な出来事がありました。



    左下から右上に崖を登る県道35号線。その上部が長雨で地滑りし、県道は分断され、その復旧に2年半を要しました。

    地滑りした崖地の上を村道が通っていまして、そこの状況がこちらです。



    いや、もうなんか。崖っ淵に家を建てると眺めはいいでしょうけど、やっぱりリスクがありますね。

    県道が復旧した年は、私が沖縄に来た年でした。この近くを通る度に「あそこが地滑りした場所だ」と何人かのウチナーンチュが教えてくれたことを覚えています。

    (続く)


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