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中城村新垣集落の散歩(4) 新垣集落のノロ

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル


    ウィキペディアの「ノロ」のページに掲載されているこの写真。



    このブログでも何度か使わせてもらってます。写真のノロは比嘉カマトさん。中城村の新垣、泊、添石、伊舎堂の祭祀を担当していました。


    そして、この写真を撮ったのは、人間国宝の鎌倉芳太郎さん。1927年(昭和2年)の撮影だそうです。

    芳太郎さんは紅型の復興で知られていますが、取り壊し寸前の先代首里城を救出した人でもあります。そのため、芳太郎さんに対する尚家の信頼は絶大で、あの伊波普猷でさえ取材が難しかった中城御殿に、芳太郎さんはフリーパスで出入りができたそうです。


    一方、カマトさんは代々ヨキヤノロと呼ばれたノロの家系にあり、先ほどの4集落の祭祀を担当すると共に、琉球国王の世子、すなわち中城王子への祈願を担当していました。

    つまり、芳太郎さんはたまたま出会ったノロを撮ったのではなく、カマトさんとは会うべくして会ったということ。


    これは私の想像ですが、写真を撮った場所は中城御殿の敷地で、カマトさんは写真を撮らせるために正装し、芳太郎さんの前に立ったのではないでしょうか。カマトさんの表情や姿勢が、私にはそのように見えてしまいます。


    余談になりますが、芳太郎さんは中城御殿を写真に撮り、スケッチし、記録を取り続けました。取材ノートは80冊を超え、その内容は解剖学を思わせるような、緻密で正確なものだったそうです。

    中城御殿は復興が決まっていますが、その際、芳太郎さんのノートは充分に活用されるはずで、ノートに従って復興されると言っても良いかもしれません。

    首里城を守り、紅型を復興させ、没後もなお、中城御殿の復興に貢献する芳太郎さんは、ウチナーンチュにとって恩人と呼んでも差支えないでしょう。沖縄に移り住んだナイチャーってところだけ同じの私にとって、芳太郎さんは神です、神。

    (続く)


    コメント
    尚家とは、父が友人関係にあったのですが。
    尚家の方に電話して聞いたら「首里城」は中城御殿の持ち物だ(だった)との事でした。
    中城御殿も復元されるのでしょうか。
    楽しみです。ネ

    私も、世が世なら友達関係で門番にやとってもらえたのですが。

    • NAO
    • 2017/08/01 7:35 AM
    人間国宝の鎌倉芳太郎さん、、、すみません、うちなーんちゅとして存じ上げておりませんでした。たいへん沖縄文化の存続、復興に貢献している人と知り、このブログに感謝いたします。

    なんか30年位前(私が沖縄にいた頃)は全く名前を聞いたことないような

    沖縄在住のうちなーんちゅは現在、どのくらいの方が知っているのでしょうか?逆にそちらの方が気になりますねー
    • うちなーんちゅ
    • 2017/08/01 4:30 PM
    NAOさん

    中城御殿復興のニュースを見たのは5年前です。

    http://coralway.jugem.jp/?eid=1298

    御殿跡は更地になり、いつでも着手できるはず。

    またいつもの「やるとは言ったが、いつとは言ってない」ってやつですかねぇ(笑)
    • coralway
    • 2017/08/01 5:42 PM
    ウチナーンチュさん

    与那原恵さんの「首里城への坂道」がお勧めです。

    県立博物館で企画展があったと思いますが、知名度は今ひとつかもしれません。
    • coralway
    • 2017/08/01 5:47 PM
    私は55年前に尚家の招待でお昼に呼ばれました。
    その時の御姫様は、尚弘子先生、ご主人の尚詮さんです。
    今、世が世なら「門番」に雇ってもらえるのですが。
    55年前私は、4歳でした。

    首里城の石垣は、張りぼてです。
    本殿は、木造ですから、台風時に雨漏りします。
    これは、琉球王国の「国家秘密」です。
    • NAO
    • 2017/08/01 8:54 PM
    ども〜!(^^)/
    東京・・・梅雨が明けたってのに曇り空と雨降り続き・・・/( ̄へ ̄;)

    >鎌倉芳太郎・・・
     ここで取り上げられたことが何とも嬉しい。

    当時、最先端のカメラ機材を駆使したとはいえ、速成カメラマンの指導を受けただけなのに、何とも凄い写真を残してくれました。
    やはり芸術家は素晴らしいです。
    東京空襲からも乾板を守り抜いて・・・そのお陰で琉球の文化の一端が今に伝わっているのかと思います。

    その鎌倉芳太郎に大きな影響を与えた首里の “末吉麦門冬”こと“安恭”の功績など・・・ご存知でしたらお知らせください。(^^)/
    • JJ花咲
    • 2017/08/01 9:35 PM
    末吉麦門冬ですか。

    まったく知りませんでした。かすりもせず。

    お役に立てなくてすみません。

    • coralway
    • 2017/08/01 10:02 PM
    与那原恵さんの「首里城への坂道」ポチッしました^^

    アマゾンのレビュー 6件あり全て5つ星です、その内の一つの書き出しです。

    歴史に「例えば」「だったら」という仮定の単語があり得ないのは承知の上で、それでも使わせて貰うなら、戦争さえなければ沖縄が戦禍を被らなければ、首里城を頂点とする沖縄文化は、京都と並ぶとも劣らない我が国を代表する文化財の島となっていたのだろう。2回読み返して私は真にそう感じた。

    本が来るのが楽しみです^^ ありがとうございます。
    • うちなーんちゅ
    • 2017/08/02 7:14 AM
    うちなーんちゅさん、ナイス!!(^o^)/
    • coralway
    • 2017/08/02 8:15 AM
    ども〜!(^^)/
    >うちなーんちゅさん・・・
     与那原恵さんの“首里城への坂道”は何とも素晴らしいです。
     “琉球”の文化を心憎いほどに伝えてくれている作品だと思います。
    また、東洋工房の“モモトVol4”も“首里城”を頂点とする沖縄文化を伝えてくれていると思います。
    琉球そして沖縄・・・深いです。
    Cさんの更なる探求に期待・・・です。 m(_ _)m
    • JJ花咲
    • 2017/08/02 10:18 PM
    JJ花咲さん、Cさん、、沖縄県立芸大の鎌倉芳太郎資料画像データベース 見ました! 

    何が一番驚いたか、感動したか、、昔の沖縄の人が描いた絵! 大和の文化にしかないと思っていた「侘びさび」 を感じる画風、センス。
    本土と頻繁に交流していたはずではないと思うので、やはり中国と内地のエッセンスを取り入れながら、独自に高まった文化、なのでしょうか。正直 明治以前に描かれた「琉球」の絵を始めて見ました(ネットでの小さい画像ですが)。実物を見ることはもうできませんが、そのような絵心、技術をもった方が琉球の文化を支えていた、と考えるだけで興奮します。
    • うちなーんちゅ
    • 2017/08/03 8:54 AM
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