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ケーシーおじさんの通路

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

     

    15年ほど前、私が仕事で訪ねたシカゴの工場で聞いた話です。

     

    その工場で働いていたケーシーおじさんは、入社以来、同じ職場で同じ仕事に就いてました。長い歳月が流れ、彼は定年退職の年を迎えましたが、その真面目な働きぶりが認められ、雇用期間が幾度も延長になりました。そして、入社50年目を迎える日をもって、彼の退職が決まったのでした。

     

    工場の正門脇から職場まで、50年間、来る日も来る日も彼が往復した通路は「Casey's road」と名付けられることになりました。そして、彼の退職の日に合わせて、通路は煉瓦色に塗装され、壁面には記念のプレートが埋め込まれました。

     

     

    彼が工場を去る日。「Casey's road」に沿って集まり、彼を拍手で見送った従業員達は、この工場が50年もの間、稼働し続けることかできたのは彼のおかげだと、心からそう思ったそうです。

     

     

    米国的と言えばその通りで、米国人が好む話と言えばその通り。この話を聞いて私の考え方が変わったという意識もありませんでした。

     

    ところが、「(認められる)仕事とは何か」という議論を(あるいは自問自答を)する時、あの煉瓦色の通路を思い浮かべてしまうのは確か。

     

    そして、「やっぱ、そういうことなんだよなぁ」と、私は納得してしまうのでした。


    コメント
    50年間働いてきたから認められたのではなく、プラスαの価値を生み出す必要な人だったのでしょうね。
    必要な人材になる事の重要さを転職を繰り返すことでおぼえました。
    マイナス状態から脱するのに時間が掛かりました。
    あの人がいてくれて助かるよなあ、という存在でいたいですね。
    人事考課的表現を使えば「余人をもって変えがたい」人物だったんでしょう。もちろん、それが最初にありますが、20年や30年では通路に名前をつけてはもらえませんから、次に「50年」ってことですね。
    • coralway
    • 2018/07/17 4:27 PM
    大統領の執事
    ていう映画もこんなだったね。
    こういう話はアメリカ人は好きだよね。古き良きアメリカ話
    コツコツと地味な仕事を続けてきた人が亡くなって、家族は小さな葬儀を行うが、どこからきたのかというくらいの参列者がやってきて、みながいかに亡くなった人が素晴らしい人だったを語る、とか。
    認められる仕事というか、自分のことよりも周りのことを考える人だった、という話しが多かった。
    • ikoka
    • 2018/07/19 1:40 PM
    会社の先輩の奥様が亡くなった時、告別式の会場に参列者が全然入りきれなくて。

    その先輩は「私は妻のことを何一つ知らなかった。そのことを、今、気付かされました」と言って号泣しとった。

    「大統領の執事の涙」か。良さそうやね、その映画。
    • coralway
    • 2018/07/19 2:00 PM
    そうそう、それ。
    よかったよ。
    • ikoka
    • 2018/07/19 4:32 PM
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