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船増原の水路(3)

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

     

    水路の水源を船増原公園付近と予想しましたが、それは外れ。水源は城岳の丘ではなくて与儀の丘でした。

     

    では、開南本通りまで戻って、水路の下流を辿ってみましょう。開南本通りを横切った先(写真では手前)は見るからに暗渠。天井のコンクリートが路面より高くなっています。

     

     

    暗渠は神原中学校横の一方通行に向かいます。

     

     

    水路が現れました。一方通行の道路下をくぐって、消防署の地下に繋がっています。ここから先はコンクリート管のようです。

     

     

    このコンクリート管が直進していれば、消防署と神原中学校の地下を抜け、ガーブ川へ合流するはず。

     

     

    はい、ガーブ川へ来ました。ひめゆり通りに架かる橋は四条橋です。

     

     

    余談ですが、与儀公園内のガーブ川に架かっている橋は三条橋と二条橋です。その上流に一条橋があるのかどうかは知りません。また、四条橋の下流は神原橋なので五条橋はありません。従いまして、沖縄に浦島太郎みたいな人はいましたが、牛若丸はいません(笑)

     

     

    四条橋から見下ろすと、ガーブ川に流れ込むコンクリート管が見えました。ひめゆり通りとの位置関係を考えると、船増原の水路に間違い無いでしょう。

     

     

     

    琉球王朝の時代、現在の農連プラザ一帯は海で、奥深い入江でした。その入江の最深部にガーブ川が流れ込んでいて、その場所は現在の与儀公園付近だと思われます。

     

    そして、ガーブ川から分岐したか、もしくは別の水源を持つ川があり、入江の南岸、船増原で海に流れ込んでいました。場所は現在の与儀十字路のあたり。近くにはケーシンダーと呼ばれた山原船の発着場がありました。

     

    このあたりの理解を深めるためのヒントは、船増原とケーシンダーの名前の由来にありそうです。近々調べて、この話の続きを投稿します。

     

     

    「なんだよ。そこまで調べてから投稿しろよ」とのご意見もありましょう。

     

    疑問を持つことは大変意味のあることで、沢山ある疑問の上にプカプカ浮かんでる状況を私は好きです。ある日、何かのきっかけで疑問の一つが解消した時、バババッといくつもの疑問が連なって解決することがあり、それがもう快感で(笑)。

     

    小学校の先生に「疑問に思ったら、その都度、解決しなさい」と教えられましたが、私の沖縄生活においては、それではちょっともったいない気がします。

     

    (終わり)


    コメント
    国際通りは戦前まで湿地帯だったと言いますから、水の溜まる場所なんでしょうね。一帯がかつて河口であったなら納得です。
    • ahaha
    • 2018/10/27 6:12 PM
    漫湖と同様に、海と言うより汽水域だったんでしょうね。旧農連市場の井戸は塩分を含んでいて飲用には向かなかったようです。
    • coralway
    • 2018/10/27 6:29 PM
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