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首里末吉町のノロ殿内跡、遍照寺跡(1)

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

     

    末吉公園内でノロ殿内跡の発掘調査が行われていると聞き、さっそく現地に向かいました。場所は沖縄そば「しむじょう」前の道を進んだ先。末吉公園駐車場のすぐ奥です。

     

     

    現場ではドローンによる空撮中で、那覇市の職員に「撮影中は入れません」と言われてしまいました。確かに、そこらのオヤジが資料映像に写ってはマズイだろうなと思い、遠くから写真を撮りました。

     

     

    ここに住んでいたのは末吉集落のノロ。地方ノロではありますが、かなり立派なお屋敷だったようです。ノロ殿内跡の存在は以前から知られていたところ、末吉公園整備事業の予算化を機に発掘し、その記録を残すことになったのです。

     

    そうなんです。保存ではなくて記録。記録が終われば、ノロ殿内跡は公園になります。

     

     

    こうした琉球王朝時代の遺構を保存するか、記録にとどめるかは、行政が学識者の意見を踏まえて決めます。ところが、学識者(多くは大学教授)の判断は、学術的に価値があるか否かによります。

     

    学識者に「地方ノロの住居跡ならあちこちに残っているので、記録しておけば充分でしょう」などと意見されると、行政は「あっ、そうですか。ほんなら一応記録して、それが終わったら更地にしましょうね」ってなるわけです。

     

    なんだか、「海はなんぼでもあるっ!!」と言いつつ、そこらじゅうの海を埋め立てる発想に似てますね。まさか、ノロ殿内跡を芝地にして遊具なんかを置くんじゃないでしょうね。そんなら怒るで、しかし。

     

     

    琉球王朝の神女制度は尚真王(1465-1527)が整備したとされています。全国的な祭政一致体制を確立したということ。1600年代に、それを形骸化させたのは薩摩藩でした。それは、琉球の統治機構から信仰を排除したということ。そして、琉球王朝の終焉と共に、神女制度は廃止になりました。

     

    今も、沖縄の各集落にはノロ殿内が残っています。次の写真は首里末吉町の集落内にある、現在のノロ殿内。

     

     

    世襲を続けたノロが現存している集落もあります。次の写真は南風原町津嘉山の玉那覇ノロ(1992年)。

     

    私は末吉のノロ殿内跡をなんとか保存して欲しいと思います。沖縄戦で琉球王朝の遺構のほとんどは失われましたから、琉球の風を感じとれる場所はいくらあっても足りないくらいです。市民生活に影響を与える場所ならともかく、ここは公園の一角で、まさに好立地。これを保存しなくて何を保存するのかとさえ思います。

     

    とは言いながら、それは首里末吉町の皆さんが決めることなんでしょうね。もしそこで、不要の結論が出たのなら、本来、部外者が口を挟むことではありません。

     

     

    せっかく来たのにノロ殿内跡をよく見れなかったので、この後私はすぐ近くの遍照寺跡に向かいました。長くなったので投稿を分けましょう。

     

    (続く)


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