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「兼高かおる世界の旅」を懐かしむ

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

     

    兼高かおるさんがお亡くなりになったんですね。昭和3年生まれの90歳。20年前に他界した私の父と同級です。

     

     

    私が2歳の時に放送が始まった「兼高かおる世界の旅」は31年も続く長寿番組になりました。

     

    私がこの番組を観ていたのは子供の頃でした。つまり、両親が必ず見る番組だったので私もその横で観ていたということ。海外旅行が一般的ではなかった時代でしたから、両親の世代はハマっていたのかもしれません。

     

     

    番組の内容はほとんど覚えていませんが、兼高さんの山の手言葉は耳に残っています。彼女が通った某お嬢様学校では、運動会で前のランナーを追い抜く際に「ごめんあそばせ」と声をかけたそうです(笑)

     

    美人で英語が使えて、伝統的な日本女性の所作を身につけていた彼女は、パンアメリカン航空幹部(ヒョーショージョウのおっさん)の目に留まり、同社とTBSが企画していた新番組のレポーターに抜擢されました。パンナムは世界各地の支店網を駆使して、彼女の訪問先を探したそうです。

     

     

    一般女性としては世界で初めて南極点に到達し、北極点にも立ったので、今の若い人が聞けば、イッテQのイモトみたいなもんかと思うかもしれません(笑)

     

    イッテQとの違いは、番組が放送された時代背景にあります。今はその気になれば世界のどこへでも行けますが、私の親の世代は海外に行か(け)ない前提で、兼高さんを通した疑似体験を楽しんだと思います。

     

    祖父が満州鉄道の職員だったので、私の父は満州生まれです。戦後、内地に引き揚げて以降、海外へは出てないと思います。父の死後、私の家族と共に母をサイパンへ連れ出したことがありますが、母の海外渡航経験は(今のところ)それだけです。

     

     

    この投稿のきっかけになったのはこのツイートでした。

     

      

    私と相互にフォローしている方ですが、フォロワーの数は桁違い。この方が私のツイートにいいねをくれたら、私のブログのページビューがグンと上がる関係にあります(^^)

     

     

    本屋や図書館に行けば、必ずノンフィクションや紀行文の棚に向かう私としては、旅行ジャーナリストで思い浮かべる名前は「深夜特急」の沢木耕太郎や「アジアンジャパニーズ」の小林紀晴など。

     

    兼高さんの著書は、私にとっては観光ガイドに近いもので、興味の中心からは外れます。それは、海外を旅する彼女に(私の両親みたいな)気持ちが入らないからでしょう。

     

    「兼高かおる世界の旅」は昭和を代表する番組であり、私が子供の頃、日曜朝の風景の一部でした。「兼高かおるジャンルの人」に異議なしです。


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