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久しぶりの城岳公園

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

     

    久しぶりに城岳公園に来ました。

     

    前回はいつ来たかなと思い出してみれば、沖縄に来た翌年に来てました。

     

    当時、葛飾北斎の「琉球八景」が描かれた場所を探してまして、その一枚が城嶽霊泉。それ以来、8年半ぶりの2度目です(^^)

     

    農連プラザから目と鼻の先にありながら、どうしてこんなことになってるかと言えば、やはり公園としての魅力に欠けるからでしょうね。

     

    丘の上とは言いながら、高さは7、8階建てのビルの屋上程度。特に眺望が良いわけではありません。

     

    周囲に何も無かった頃は良かったでしょうね。琉球八景の時代であれば海が見えて、その先には浮島が見え、長虹堤が見えたでしょう。風光明媚な場所だったと思います。

     

     

    では、公園に入りましょう。裁判所前の入口から公園に入り、振り返りました。奥に那覇地裁。

     

     

    重要な裁判の後には、ここに人が集まり、報道機関が入ります。良い結果なら万歳をしたり、悪い結果なら「断じて許すことはできないっ!!」などと叫んだりする場所です。

     

     

    城岳の南側斜面と、

     

     

    良い枝ぶりのガジュマル。

     

     

    かつての城岳公園は荒れていて、「不良のたまり場だから、あそこへは行かないよ」みたいな印象がありましたが、今は綺麗に整備されています。

     

     

    話が逸れますが、昨年の那覇市長選挙で城間市長が再選を果たしました。その際、相手候補が「那覇市内の公園は雑草が生え放題で遊具も放ったらかしだ」と城間候補を非難しました。

     

    まったくその通りで、那覇市は公共施設を維持・管理することに予算をつけません。ところが、このところ、あちこちの公園が目に見えて綺麗になってます。選挙と関係があるのか無いのかは知りませんが、たいへん良いことだと思います。

     

     

    丘の上の広場です。

     

     

    いい感じではないでしょうか。

     

     

    戦後復興の時代。ここには「新世界」という名の遊園地があったそうです。

     

     

    私が子供の頃、私の故郷の呉でも、デパートの屋上でこんな飛行機が回ってました。

     

     

     

    さて、城岳公園の北端からの眺望です。

     

     

    最初に見える高い建物は、閉店した泉崎りうぼうの向かいに最近建ったマンションで、その右奥にハーバービューホテル。

     

    その右隣は旭橋の再開発地区で、白い建物はマンション。その右隣に最上階に窓の無い東急ホテル。更に右手でこちらを向いているリーガロイヤルホテル。

     

    沖縄県庁。那覇高校。

     

    那覇高校の向こうに高層マンションが見えますが、名前も場所も分かりません(^^)

     

    そのマンションの右手で建設中の建物(クレーンが乗ってる)は国際通りの「ホテルコレクティブ那覇」。台湾資本のラグジュアリーホテルだそうで、今年の12月開業です。浮島通りを国際通りに出てすぐ右です。

     

    当然、那覇タワーはありません(^^)

     

    こうして眺めてみると、私のように那覇市内を毎日ウロウロしていても、知らない建物ばかりです。風景が落ち着かないんですよね、那覇って街は。


    コメント
    あれーーー。写っているのは、私の駐車場
    私の車が、
    この公園のはずれには、二中健二の塔があります。
    刻銘された生徒の中になぜかしら開南中学の学生が、どさくさでこちらに刻印された様です。肝心の開南健二の塔に行きましたが。刻印なし。
    最後の様子も調べましたが、遺族にお知らせすべきか、もう終わった事かもしれません。
    • NAo
    • 2019/04/18 12:50 AM
    NAOさん

    ガジュマルの左奥の駐車場ですか?。自分の車がいきなり現れると驚きますよね(笑)

    城岳公園は市民のだれもが知ってる公園でありながら、いまいち皆さんの足が向かないのは、城岳が御嶽であることと、戦争の気配が残っているからではないかと。

    もちろん、健児の塔を城岳に移したのは学校から近いからでしょうが、鎮魂の場と市民の憩う場はもう少し分けたほうが良い気がします。

    正直なところ、城岳公園は少し気が重くなるんですよね。
    • coralway
    • 2019/04/18 8:24 PM
    この公園の地下には、大きな「ガマ」が、あって入っていた人によると、運動会が出来た???とか言われています。入口は、鍵がかかっています。高射砲部隊のおじいさんが言うには、那覇港に方針を向けていたとの事。開南中学と首里城が燃えるのをこの場所で見たとの事。私の職場には、昔、逓信省の大きな鉄塔が建っていました。沖縄のどの場所にも「まぶやーー」が、うろうろしています。
    • NAO
    • 2019/04/19 6:41 AM
    NAOさん

    この日、ガマの入口も見ましたが、一つ前のコメントの趣旨で投稿には載せなかったってことです。
    • coralway
    • 2019/04/19 6:56 AM
    フムフム、、、開南健児の塔、、、二中健児の塔、、っと、いやあ、NAOさんと、Cさんの会話には歴史や史実を超えた真実が含まれていて、たいへん勉強になります。


    奥武山から城岳に移設された、、、まぁ確かに二中、那覇高同窓生からしたら、、まぁわかるけど、、しかし開南中学校生の「名」が二中健児の塔にあるって、、、うーーん、色んな意味でまぶやーーがうろうろしていそうです。



    あっ、、何度も公園いきましたが、Cさんの言うとおり、こんなに手入れされているのは初めて見ました。そうです城岳生はここに行くと、「やー銭ぐゎー持っちょーみ」攻撃に合いました^^;今は大丈夫そう、、 
    • うちなーんちゅ
    • 2019/04/19 9:20 AM
    もう終わってしまった事かもしれません。

    当時、開南中学校には、学徒出陣は、なかった為、
    近くの二中の通信隊として従軍した生徒がいました。
    厚生省の記録上は、摩文仁で戦死した事になっています。
    靖国にも祭られています。
    二中健二の塔にも記名されています。

    真実は。

    その生徒は、摩文仁まで生き延び、捕虜となりました。
    あの屋嘉の捕虜収容所からハワイへ移送されます。
    船は、7月7日に嘉手納を出てパールハーバーに向かいます。
    船内では、丸裸にされ収容されました。俗に裸組と呼ばれました。
    太平洋に捨てられるのではないかと思い余ったその生徒は
    太平洋の真ん中で止める2人の米兵を振り払い。海に身を投じたのです。
    当時、現場にいた同僚兵や米国の資料で裏をとりました。
    この真実を知っているのは、私だけかもしれません。
    この真実を家族にお知らせする事について
    私は、迷っています。

    当時、ハワイに移送された捕虜には
    私の父やあの、皆様が良く知っている農連の「かまぼこ屋さん」の親父さん
    がいました。

    すでに終わった事なのかもしれません。
    • NAO
    • 2019/04/19 8:24 PM
    『もう終わってしまった事かもしれません。』


    親、親族にとっては知らない過去なのかも知れません。



    ご冥福をお祈りいたします
    • うちなーんちゅ
    • 2019/04/19 11:10 PM
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