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南風原町照屋集落の散歩(2)

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

     

    照屋公民館横の赤瓦の家。

     

     

    寄棟型の屋根は四方向に雨水を流せる上、垂直面が無いので強風に耐えます。台風の多い沖縄では必然の屋根。その屋根を二つ組み合わせて建物に被せたこのお宅は、簡単に言えばリッチなお宅です(^^)

     

     

    さて、次の話題に入るつもりでしたが、一つ前に投稿した琉球絣と三線についてもう少し。

     

    琉球王国は約450年続きました。ヤマトの時代区分では戦国時代から安土桃山、江戸時代に相当します。

     

    琉球は地の利を活かして、朝鮮半島から中国、東南アジアの国々まで、活発な交易を続けていました(大交易時代)。一方、ヤマトはその時代の約半分を鎖国し、他国との交流は極めて限定的なものでした。

     

    文化の風は西から東へ。大陸文化の流入量は、琉球がヤマトを圧倒していたのです。

     

     

    こう言っちゃあナンですが、南風原は田舎で、柔らかく言えば郊外。そこの小さな集落で絣(本部)や三線(照屋)の技法が引き継がれていることは、大陸の文化が琉球に深く根付いたことの証です。

     

    絣の技法は薩摩に伝わって薩摩絣となり、ヤマト全域に広がりました。三線もまた、三味線に姿を変えてヤマトに浸透しました。その時差は百年から百五十年。

     

     

    沖縄は伝統工芸の島。ナイチから来た観光客が「沖縄の工芸品って凄い」と口にします。私はナイチャーなのでよく分かりますが、その言葉には「小さな島なのによく頑張ってる」というニュアンスがあります。

     

    それは大間違い。お弟子さんがお師匠さんにそんなことを言えますか?

     

    学ばせていただきますの姿勢で、「沖縄の工芸品って凄い」と言うことが適当だと私は思います。

     

    (続く)


    コメント
    我が家も大きな「かーら屋」でしたが
    真っ直ぐ作れば、大工も苦労しないのですが
    ファションと言いますか。お金あるぞーーー
    との自慢であえて「シム」のあたりから写真の様に曲げて作っていました。この家もエーキンチュの家です。子供は、屋根の上に登って遊ぶのが、楽しみでした。雨水を集めて大きなタンクに貯めていました。天水です。(水運び仕事が無い)。当時コンクリートは、高級品でお墓を作るか、軍のトーチカ作りに利用されていました。
    • NAO
    • 2019/11/05 10:02 PM
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