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漫湖むかしなつかし写真展

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

     

    (写真を削除しました)

    写真展の写真は撮影不可だったらしく、湿地センターから削除の依頼があり、(*印の箇所で写真を削除していますm(_ _)m



    漫湖水鳥・湿地センターで昔の漫湖の写真展が開催されていると知り、仕事帰りに寄りました。

     

     

    「ラムサール条約登録湿地」

     

    漫湖は釧路湿原や尾瀬などと肩を並べる湿地ってこと。いや、素晴らしい。

     

     

    ところでこのチラシ。

     

    「嘉数バンタから漫湖を望む」とありますが、それはもう、チラッと見ただけで間違いだと分かります。

     

     

    チラシの写真の右奥に嘉数の丘が写ってるんですから話になりません。つまりキャプションで「勝連グスクから中城湾を望む」と言っておきながら、その写真に勝連グスクが写っているようなもの。

     

    湿地センターは環境省の施設ですからね。こんな初歩的なミスは正してあげないと。

     

     

    さて、その写真の前に立ちました。

     

     

    そしたら、写真の横にこんか吹き出しが。

     

     

    つまり、間違いには気づいたものの、撮影場所が分からないと。

     

    写真の前で「う〜む」と唸っていたら、湿地センターの研究員が側に来ました。彼女は小泉進次郎君の部下ってことになりますね(^^)

     

     

    研「この写真に何か思い出がおありですか?」

     

    C「いや、この吹き出しを見てたんだけど。この写真の撮影場所がわからないの?」

     

    研「えっ、お分かりなんですか?」

     

    C「分かるよ。簡単!」

     

    研「えっ、どうして分かるんですか?」

     

    C「真ん中の島がガーナムイはいいよね」

     

    研「はい。間違い無いと思います」

     

    C「右奥が嘉数の丘で、その左が国場の瓦屋原」

     

    研「瓦屋原?」

     

    C「そう。沖縄で最初に瓦を焼いたところ。その奥に与儀のタンクが写ってるでしょ」

     

    研「あっ、本当だ。これ、与儀のタンクですね」

     

    C「国場川が左へカーブしてるから見えないけど、嘉数の丘と瓦屋原の間が真玉橋」

     

    研「あっ、なるほどです」

     

    C「真玉橋とガーナムイを直線で結んで、それを延長すればいいわけだから、小禄の森口公園かガジャンビラが撮影場所ってことになるね」

     

    研「間違い無さそうです。うわぁ」

     

     

    沖縄には「昔沖縄」ファンが沢山いますから、上級者なら撮影場所をピンポイントで言い当てるでしょう。

     

    彼女は漫湖の生物が専門分野なので、畑違いってこと。彼女が漫湖の蟹を捕まえてきて「この蟹をご存知ですか?」と問われても、オジサンにはそれが蟹ってこと以外何もわかりませんてば(笑)

     

     

    撮影場所の見当はついてるので、来週、配達の途中でそこから同じ構図の写真を撮り、彼女に見せようと思います。

     

    そして、吹き出しをペリっと剥がす権利を私がいただくと(笑)


    コメント
    手前の住宅街が、「小禄、にっぽん」ですか
    与儀のタンク跡と呼ぶ時と古波蔵タンク跡と呼ぶ場合がありますが、どっちが正しいのでしょう。??
    パイプラインの起点です。
    手前の煙突は、ベニア工場の煙突ですか。
    エントツの上でストライキしたエントツかな?
    水上貯木場があって、左側にチリ捨て場があって年中煙が上がっていたような、明日にでも見に行こうと思います。
    • NAO
    • 2019/11/16 7:19 PM
    ども〜!(* ̄▽ ̄)/
    >Cさん・・
      Yeah!! V(* ̄▽ ̄*)
    • 花咲JJ
    • 2019/11/16 8:38 PM
    NAOさん

    展示されている写真の下に、その写真にまつわる思い出を書き込むメモが置いてありました。協力されてはいかがかと思います(^-^)v
    • coralway
    • 2019/11/17 9:03 AM
    花咲JJさん

    アハハ。やりました(^^)
    • coralway
    • 2019/11/17 9:03 AM
    本日、早速、出かけて説明して来ました。
    ベニア工場の名前は、外資系で「プライウッド」社でした。煙突の上でストライキをした時は毎日、報道されていました。この会社のその後については、色々、ありました。公には、語れない事もあります。現在も会社は、名前を変えて存続しています。
    タバコ会社「琉煙」のエントツ、電報局の鉄塔、首里の放送局の鉄塔もかすかに見えています。
    • NAO
    • 2019/11/17 12:55 PM
    与儀タンクは私が6歳時に解体が開始されたようです。小学校頃、その解放地で遊んでいました。ただの土の広場でしたが、一部山もあり、防空壕もあり、そこで陣地取り合戦をしていました。広っぱでしたので、よくどこかのお兄さんがヒモにつないだラジコン飛行機をくるくる飛ばして、皆それを見て首が痛くなってました。


    出かけるときは「与儀タンクに行ってくるよー」、帰ると母が「与儀タンクはどうだったねー」 今も兄弟と親で話すときは『与儀タンク』です、地名でした。



    たぶんですけど、昔「那覇市字与儀」は広く、与儀公園あたりから城岳小学校あたりまで、、与儀タンクあたりはどうでしょう、、、

    実家は元々、与儀3〇〇番地でした、それがある時 「楚辺2丁目」になりました、、、市民会館もある与儀を誇りに思ってたのに、、ガックシきたのを覚えてます^^;
    • うちなーんちゅ
    • 2019/11/19 9:55 AM
    うちなーんちゅさん

    電柱通りから西が与儀ですね。

    タンク跡は古波蔵と国場に挟まれるように、与儀が南へ食い込んでいるので、やはり与儀タンクでしょう。

    住所が国場なのに、与儀げんき公園とか与儀おもしろ公園とか、与儀の名前が使われているので、後に国場に侵食されたのかもしれません。
    • coralway
    • 2019/11/19 10:39 AM
    実家の元、与儀3〇〇番地をヤフー地図で調べると、与儀タンク解放地の中で使われていました、、、

    ってことは解放地にできる建物のために使い、、楚辺を大きくし、区域に分けたと、、、


    うーーん、まっでも解放地の人が使っていると思うと悪い気はしないな^^
    • うちなーんちゅ
    • 2019/11/19 12:41 PM
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