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今帰仁グスクが地味な理由

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

     

    前回に引き続き、今帰仁グスクの志慶真門(シジマジョウ)郭です。

     

     

    地面に杭が打たれている場所が家臣の住居跡で、復元模型ではこのように。

     

     

    それらしくは見えますが、何しろ資料不足。きっと何かが違うんでしょうね。奥の志慶真門の形状もしかり。

     

     

    今帰仁グスクは首里城に匹敵する規模を誇りますが、世界遺産に登録されたグスク(首里、中城、勝連、座喜味、今帰仁)の中では存在感がイマイチ。

     

    それはグスクに纏わる物語が少ないからではないかと思います。国王の攀安知や家臣の本部平原が北山の主役ではありますが、名前が知られてるとは言えません。

     

    その他のグスクには、主役に護佐丸と阿麻和利がいて、脇役に百十踏揚、大城賢勇、金丸、尚泰久。これではちょっと勝負になりません(^^)

     

     

    今帰仁グスクに纏わる歴史的な事件と言えば、北山王国の終焉(1416年)と、島津藩による琉球侵攻(1609年)でしょう。

     

    1416年。今帰仁グスク落城の大きな要因となったのが、家臣本部平原の裏切りでした。さて、本部平原の行為は善なのか悪なのか。

     

    今帰仁グスク正面には尚巴志が陣取り、志慶真門には護佐丸。このシーンが今帰仁グスクの歴史的ハイライトではないかと思います。

     

    護佐丸の曽祖父は今帰仁グスクの元城主で、攀安知の祖父に討たれています。護佐丸にとっては敵討ちの戦いでもあったんですね。

     

     

    今帰仁グスク落城の時、攀安知に仕えていた乙樽(絶世の美女)は生後間もない世継ぎの子を背負って、東の山へ逃げました。

     

    ウチナーグチで背負うはウッパ。それ以来、その山はウッパ山と呼ばれるようになったと。本当か?(笑)

     

    では、ウッパ山からの眺望をお楽しみ下さい。最初に見えてる丸い島は古宇利島です。

     


    コメント
    隣村の私の村にたどりついた落ち武者が隠れて住みました。その子孫が私達、村人なのですが。隠れ住んでいた為に遠い昔しの名残として訛りのない首里の言葉が残っています。

    • NAO
    • 2019/12/26 6:51 AM
    NAOさん

    本部の山中ならば、起こりそうな話ですね。

    しかし、落ち武者になったのは首里の兵ではないので、村に残った言葉は「古い沖縄の言葉」ではないでしょうか?
    • coralway
    • 2019/12/26 2:26 PM
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