JUGEMテーマ:地域/ローカル
1969年の沖縄。てっきり戦前の話かと思っていたら、戦後も続いていたんですねぇ。
小学校の教師がよくもまあ、こんな酷い指導をしてたものだと思います。この男の子には、そんな紙は破って捨てていいんだぞと言ってやりたい。
この時代の教師が子供達にウチナーグチをやめさせようとした理由は「将来、進学や就職で本土に渡った時に不自由が無いように」というもの。
言葉を単なる意思伝達の道具だと考えていたのかもしれません。であれば、日本語のように国際的に孤立した言語ではなく、英語を学ばせるべきだったでしょう。
1969年の私は12歳。写真の男の子は私より年下ですが、同じ世代です。
私と同じ世代のウチナーンチュはこんな指導を受けて、方言を使うことは恥ずかしいことだと思い込んでしまいました。
そしてウチナーグチの衰退を嘆く風潮となった昨今、「ウチナーグチを継承しなかった」などと責められるのですから、たまったものじゃあありません。
言葉は意思伝達の手段であると同時に、文化を継承する役割を持っています。
ウチナーグチで物事を考えた結果と、標準語で考えた結果とは異なり、それを文化と呼びます。言い換えれば、言葉を失えば文化を失うということ。
ウチナーグチを使うなと言うのは、沖縄の文化を捨てろと言ってることと同じです。1969年の小学校教師はそのことに気付かなかったのか、気付いてはいたけれど当時の指導者に従順であろうとしたのか。
現代が多様性を認める社会になっているかと問われれば、当時よりはマシかもしれませんが、充分とは言えないでしょう。
と言うことは、今の子供達の世代から「2020年は酷い時代だった」と言われてしまうかもしれないってことですね。
まあ、言われるでしょうね。メダカ社会ですから(^^)