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琉球八社(3)識名宮

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    琉球八社の3社目は、識名宮(しきなぐう)です。

    20110129215122_0.jpg

    16世紀の中頃、琉球王朝の尚元王が長男尚康の病気の回復を、ある仏像に祈願したところ成就し、この宮を建立することになったそうです。

    次の写真は、沖縄戦で失われる前の識名宮です。

    20110129215140_0.jpg

    だいたい、同じ場所から撮ってみましたが、ずいぶん趣きが異なりますね。


    尚元は20代の若さで即位しましたが、即位に至るまでには、王朝の権力闘争にまきこまれ、紆余曲折がありました。

    沖縄のお正月に欠かせない古典「かぎやで風」の訳詞です。

    「今日の喜びを何にたとえる事ができましょう。まるで蕾の花が朝露を受けて、ぱっと咲き開いた様な心持ちです。」

    この歌詞は、尚元の即位を喜ぶ、尚元派の士官によるものだそうです。

    士官の高揚した気持が伝わってきます。


    一方で、尚元とかぎやで風との関係を、人気のあった沖縄芝居の筋書きにすぎないと言う人もいます。


    国王となった尚元の政策は、薩摩藩との関係を重視したものでしたが、薩摩藩から接待に失礼があったと叱られ、無理難題をふっかけられてしまいます。

    それは、次の三つを薩摩に運べというものでした。

    1.琉球で1番高い山 2.灰でなわれた縄 3.雄鶏が産んだ雛

    薩摩も馬鹿なことを言いますねぇ。

    尚元は、

    1は「山は運ぶが、船は用意しろ。」と言い、薩摩を困らせました。

    2は縄を燃やして作りました。

    3は「薩摩に行く予定の男の士官が子供を産んだので、行けなくなった。」と報告し、薩摩に「男が子供を産むはずがない。」と言わせ、解決しました。

    ほとんど、一休さんです。

    この話は薩摩の琉球侵攻の少し前のことですが、本当にこんな緊張感のないやりとりをしていたんでしょうか。


    私は、かぎやで風の話は実話で、一休さんは創作のような気がしています。

    コメント
    かぎやで風節の有名な由来で、新城安基の即詠したものと伝えられますね。
    このストーリーは渡嘉敷守良の作劇「チーグー王」におけるシナリオで、歌に関する確証も無く詠み人知らずとされています。

    元の話は史実ではあるのですが、なんかツッコミを入れてしまったみたいですみません。

    個人的には金丸の奥間鍛冶屋対する報恩説を推しますが、いかがでしょうか?
    • おもろ
    • 2014/01/02 3:36 PM
    つまり、金丸即位の際に、奥間鍛冶屋の子孫が歌ったってことなんですね。

    そう言えば、国頭村奥間に「かぎやで風」の歌碑(原歌)がありますね。
    • coralway
    • 2014/01/02 3:55 PM
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