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「天妃宮」建立の背景

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    那覇市久米の天妃小学校に残る上天妃宮(うぃーぬてんぴぐう)の遺構です。

    20110213055924_0.jpg

    「天妃」は、中国に実在し、航海の女神として信仰を集めた女性、媽祖(まそ)に与えられた称号です。

    当時の久米村にあった上天妃宮と、那覇の下天妃宮(しちゃぬてんぴぐう)は15世紀に建立されましたが、その時代、那覇は劇的な変化を遂げていました。

    それまでの港と言えば、首里や浦添から近い牧港や泊で、那覇は浮島という島の集落にすぎませんでした。

    那覇が優れた港になれる立地だと考えた琉球王朝は、長虹堤を建設し、首里と那覇を陸続きにしたのです。

    そして、交易品を保管する御物城(おものぐすく)、冊封使を迎える迎恩亭や天使館、造船所を意味するスラ場、船を修理するドッグとして唐船小堀(とうせんぐむい)などを整備しました。さらに、港を防衛するための三重城(みーぐしく)と屋良座森城(やらざむいぐしく)を築城しました。

    以降、那覇は琉球王朝の表玄関として、飛躍的な発展を遂げます。

    交易港那覇の成功を支えたのは、福建省出身の帰化中国人でした。彼らは、久米村に中国人街を形成し、海外交易に必要な技術指南、実務遂行などで重要な役割を果たしました。

    そうした時代背景の中、航海の安全を祈願するために、中国スタイルの天妃宮が建立されたわけです。


    琉球王朝の繁栄は中国をぬきには考えられないことに気付きます。

    琉球王朝との共存共栄を実現した中国と、対中貿易の利権欲しさに琉球に侵攻した日本(薩摩)。

    なにかの偶然によって、今の沖縄が中国の一部になっていた可能性は充分にあったと思えます。

    もちろん嫌ですけどね。


    話は変わりますが、この記事の投稿で通算の投稿数が500になります。

    継続することの苦手な私にとっては快挙です。

    読者の皆様と沖縄に感謝いたします。

    20110213155139_0.jpg

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