<< 大阪市大正の沖縄料理店「うすぱれ豊年」 | main | 琉球八社(4)普天間宮 >>

普天間街道「当山の石畳道」

0
    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    今朝の通勤途中のこと、恥ずかしくて言えないような理由で、今日が突然休日になりました。

    そのまま自宅に帰るのは悔しいので、当山(とうやま)の石畳道へ寄り道することにしました。

    浦添城(ぐすく)から普天間宮に繋がる琉球王朝の道を普天間街道と呼び、その一部が浦添市当山に、昔のままの姿で残されています。

    20110216100723_0.jpg

    これだけの長さで、復旧したものではない、当時のままの石畳道は、首里金城町とここの2ヶ所だけです。

    昔の人が踏みしめた石畳を歩けるのは幸せなことです。

    石畳道は、琉球王朝時代の舗装道路です。

    国が豊かな時は全面舗装が施され、そうでない時は、石畳は坂道だけに施され、平地には石灰岩を砕いたものが敷き詰められました。


    沖縄本島に高い山はありませんが、細いアップダウンがあちこちにあります。

    当山の石畳道も、馬転がし(うまどぅげーらし)と呼ばれたほどの急坂です。

    考えてみれば、ここは牧港川を渡る場所なので、どちらから来ても、谷を下って、橋を渡って、谷を登ることになります。

    20110216101002_0.jpg

    坂道を写真に撮っても、登りなのか下りなのか、よくわかりませんね。

    これは登りの写真です。

    そして、これが当山橋です。

    20110217070538_0.jpg

    現代のように、コンクリートでチョロチョロっと造るわけにはいかないので、石を運び、川幅に応じた大きさに築き上げます。

    美しい橋です。


    琉球王朝のころ、本島全域に街道が張り巡らされていましたが、この急な石畳道で馬が荷車を牽くことは難しい気がします。

    どうやって石をはこんだのか、大変な仕事だったことは間違いありません。


    普天間街道は約5kmの長さで、当時は街道の両側に約2,000本の琉球松が植えられていました。

    景観が美しくなるのはもちろんですが、なによりも、松並木による木陰が、街道を行く人を助けました。

    沖縄戦で壕の支柱用などに伐採され、わずかに残っていたものも、最近になって松食い虫にやられました。

    次の古い写真は、街道の終点、普天間宮から街道を振りかえって撮られたものです。

    20110216191238_0.jpg
    狭い道幅の普天間街道を背の高い松が覆っています。

    この道なら5kmの距離でも楽しく歩けそうです。

    コメント
    コメントする









    この記事のトラックバックURL
    トラックバック
    calendar
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    28293031   
    << July 2019 >>
    プロフィール
    profilephoto


    念願の沖縄生活を始めて9年になりました。
    沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。 (y_mizoguchi@i.softbank.jp)
    Twitter
    お勧めの本と映画
    selected entries
    categories
    archives
    recent comment
    recent trackback
    profile
    search this site.
    others
    mobile
    qrcode
    powered
    無料ブログ作成サービス JUGEM