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真珠道を歩く(2) 真玉橋〜石火矢橋

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    真珠道(まだまみち)を歩く。

    第2回目は、真玉橋(まだんばし)から石火矢橋(いしびゃーし)までの道です。

    漫湖に流れ込む2つの川、国場川には真玉橋が、饒波川(のはがわ)には石火矢橋が、それぞれ架かっています。

    この2つの橋を経由して、真珠道は漫湖を北岸から南岸へ渡ります。

    坂本万七氏による、石火矢橋の古い写真です。

    20110226124912_0.jpg

    丸く大きな潮切りが、大雨の時の饒波川がどれほどの急流であったかを示しています。

    歴代、真玉橋も石火矢橋も何度も流されていますが、琉球王朝の技術の粋を集めたアーチ型の2つの石橋は、架橋以来沖縄戦までの約250年間、急流に耐え続けました。


    次の写真は、今の石火矢橋です。

    20110226124856_0.jpg

    悲しいほどに、何の変哲もない鉄とコンクリートの橋です。


    橋の向こうの緑の丘は、豊見城グスク跡です。

    琉球王朝以前の古琉球は、各地の按司(あじ)を統率した、北山、中山、南山と三つの王統がありました。

    この時代を三山時代と呼びます。

    南山に属する佐敷の按司であった尚巴志(しょうはし:1372-1439)は、中山、北山、南山の順に攻略し、琉球王朝の初代国王に就きます。

    沖縄の英雄の一人ですね。

    20110227101625_0.jpg

    豊見城の按司は、南山が滅んだ後も抵抗を続けていました。

    漫湖と深い森に囲まれたグスクは堅牢で、その攻略にはさすがの尚巴志も手を焼いたようです。

    そこで、尚巴志は美しい女性を豊見城の按司のもとへ送りこんだところ、彼女に一目惚れした按司は、彼女の希望通り饒波川に橋を架けました。そこへ現れた尚巴志の軍隊が橋を渡って石火矢をぶっ放し、豊見城グスクは陥落したらしいのです。それが、石火矢橋の名のいわれです。

    なんとなく説明が粗いのは、私がこの話を「本当か?」と思っているからですね。

    南山が滅びた後も孤軍奮闘を続ける豊見城の按司が、いくら美人の願い事であっても、グスクを護っている饒波川に、わざわざ橋を架けることはしないでしょう。

    一方、尚巴志が石火矢を使ったことは事実のようです。

    石火矢は、石や金属塊を火薬で飛ばす仕掛けです。

    当時の石火矢橋は木造で、後に建設された石橋には、城壁の石が使われたそうですから、石火矢の石が回り回って、橋の一部になったかもしれません。

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