<< スナックMIKANの‘自称’マスター | main | 辻の年中行事「尾類(ジュリ)馬行列」 >>

辻遊郭の古い写真と尾類(ジュリ)の気質

0
    JUGEMテーマ:地域/ローカル


    沖縄戦の直後、那覇を上空から撮った写真がありました。



    方角は写真の上が南です。一番奥に、奥武山と漫湖が見えます。

    那覇は最初に空から、次に海から、最後に陸から、完膚無きまでに叩かれましたから、ご覧のとおり、何も無い焼け野原です。

    本当に米軍は無茶苦茶します。


    私が白い大小2つの楕円を書き加えています。小さな楕円は西武門(にしんじょう)、大きな楕円が辻遊郭街です。

    西武門はこの時残っていたのですね。

    西武門は現在の久米南交差点に位置し、そこから上に延びる道が久米大通り、かつての中国人街です。

    そして、西武門から写真の右上に延びる道が上之蔵大通りです。

    辻の遊郭街を、東から順に(写真では上之蔵大通りから右手方向に)、端道、中道、後道と三本の道が貫いています。

    写真でも、それがわかりますね。

    次の写真は、中道の様子です。



    道の奥に人力車が見えます。

    そして、後道と、

    20110307210011_0.jpg

    前道です。前道は、端道のことのようです。




    辻の遊郭は楼主としての抱母(アンマー)と尾類(ジュリ)により構成され、男はいません。

    ルールを決めるのも、問題を解決するのも、すべて女性。完全な女系社会でした。

    もちろん、客は男性です。

    本土の遊郭との違いは数々ありますが、特筆すべきは、尾類が客を選べることです。

    今でも、京都の料亭などで、一見の客を断わる店がありますが、それと同じです。

    目当ての尾類がいる場合、直接交渉することはできません。その尾類の知り合いを捜して、仲人を依頼します。

    仲人から話を受けた尾類は、必ず返事を保留します。そして、その男性の社会的地位、家柄、財産、収入などを調べます。

    次に、自分の今の客、過去の客と関係が無いこと、自分の実家や親戚と関係が無いことを調べます。

    そうした条件を一つでも満たさなかったら、他の条件に申し分が無くても、お断りとなります。

    それから、すべての条件を満たしていても、すぐに返事はしません。

    客を焦らしているのではなく、慎重の上にも慎重に、事を進めるのです。ここで男性が辛抱できずに直談判におよぶようでは駄目です。失格です。

    そして、男性の我慢の限界のやや手前あたりで、仲人に「お遊びにお越し下さるよう。」と、返事が届くのです。


    返事に喜び、さっそく駆けつけて、尾類に抱きつくようでは、まったく駄目駄目。アウトです。

    始めての日は、友達二、三人を連れていき、遊ぶだけで帰ります。

    尾類は、その男性と始めて会うのですから、自分の決定を確信できるように仕向けるのは、男性の役目です。


    つまり、互いが「大人」で、きちんとした常識を持ち、相手を思いやる気持ちが無いと、うまくいかないルールになっているのですね。


    遊郭の座敷には、必ず裏座があります。裏座には、尾類の生活道具が置いてあり、料理もできます。つまり、尾類と客は、座敷で遊ぶとともに、裏座で生活することができるのです。

    こんな話はキリがありませんが、もうすこし。

    尾類と客の間に、勘定書や請求書はありません。客は頃合いを見計らって、適度な額を置いて帰ります。そのタイミングや額がまた、重要なんですね。

    そして尾類は、客を、つまり自分の男を愛し、徹底的に尽くします。尾類の目的は売上ではなく、男の将来にあったのだそうです。我が身を犠牲にしてまでも、男の成功を願ったのだそうです。

    美しいです。大人の世界です。

    お金さえ払えば、誰でもいつでもオッケーというのとは、まったく違います。


    コメント
    はいさい きんのすけ やいびん。
    幾つか疑問です・・・・。
    1944年の空爆以後の写真だと思いますが、西武門ではなく波上宮の第一鳥居だとおもいます。
    地元の古老の話だと 西武門については 大正8年の 鉄道敷設に伴う道路拡張工事の際には 跡形もなかったそうです。僅かに明治30年代の記録に くにんだいさぎー と言う名の 段差があったそうです。
    • きんのすけ
    • 2015/04/30 5:04 AM
    三十数年前、辻の事で、父親のウヮーサー(肉屋)仲間のオヤジ(生きていれば90数才)から聞いた事があります。
    「一円持って行けば、十分に遊んで来れたよ、あの頃はよかったね」と、辻はそれほど敷居の高い遊び場ではなかったような事を言ってたように、覚えてます。しかし、これは私の個人的な伝聞にしか過ぎず、それの検証はしてません。

    あのオジサンは、うそを言ってる感じはなかったです。東京の吉原遊女のように、奴隷的な環境ではなかったのではないかと推測はしてますが、沖縄遊郭のジュリも所詮は籠の鳥、自由を奪われた身の上に違いはなかったと思います。
    きんのすけさん

    コメントありがとうございます。

    本当ですね。これはどう見ても鳥居です。西武門はとっくに無くて、だから写真も残ってないと。

    納得です。
    • coralway
    • 2015/04/30 2:39 PM
    キー坊さん

    私の辻に関する知識は、主として上原栄子さんの辻の華によるものです。

    http://coralway.jugem.jp/?eid=736

    アンマーに厳しく躾けられ、礼儀作法や料理、芸事など、尾類には沖縄の文化継承者の一面があるというのが私の理解です。つまり、遊女と言うよりは芸者。

    一方で、キー坊さんが話を聞かれたおじさんが言われているような話も、よく耳にします。

    このあたり、私もまた、整理できていません。どちらも事実という状況があったのではないでしょうか。
    • coralway
    • 2015/04/30 3:09 PM
    cさん、コメントをどうも。

    上原栄子さんの辻の華は、発刊当時に読みました。上原さんは小禄の生まれですね。

    実は、小禄に嫁いだ私の伯母(90歳)は13才の時、ろくでなしの父親(私の祖父)に辻に売られて、大人になるのを待っていたらしいです。
    しかし、間もなくアンマー(抱え親)が豊見城の医者の後妻になる事になり、連れて行かれて女中になったので、伯母はジュリになるのを免れたそういです。

    その医者の屋敷で、伯母は下男をしていた小禄出身の男と結び付けられたようです。伯母は気が進まなかったらしいですが、15で結婚、16で長男を産んでます。中年以後の夫婦仲は良くなかったみたいです。

    上原栄子さんの手記を読みますと、ジュリは恵まれた境遇にあったとも思えます。でも、伯母は運が良かったと言うべきでしょうね。

    上の話は、親戚の間ではタブーになっているのですが、私は伯母と同級の自分の母親から聞きました。
    • キー坊
    • 2015/05/01 7:26 AM
    キー坊さん

    沖縄空襲まで辻に遊郭が残っていたと理解していても、キー坊さんの伯母さんの世代が当事者だったと聞くと、つい最近まで親が子を売る行為か行われていたことを改めて意識しますね。

    尾類が恵まれていたというのは、尾類になってしまった境遇を受け入れた後の話で、ならずに済むものなら、誰もがそれを望むでしょう。

    キー坊さんの伯母さんは、望まない結婚をされたのだとしても、尾類になることに比べれば、やはり運が良かったと言えますね。
    • coralway
    • 2015/05/01 3:49 PM
    コメントする









    この記事のトラックバックURL
    トラックバック
    calendar
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    2627282930  
    << April 2020 >>
    プロフィール
    profilephoto


    念願の沖縄生活を始めて10年になりました。
    沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。 (y_mizoguchi@i.softbank.jp)
    Twitter
    お勧めの本と映画
    selected entries
    categories
    archives
    recent comment
    recent trackback
    profile
    search this site.
    others
    mobile
    qrcode
    powered
    無料ブログ作成サービス JUGEM