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県庁・警察部壕「しっぽうじぬがま」

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    昨夜「沖縄の島守」を読み、記事を投稿した後なかなか寝付けず、朝になってしまったので、作品の現場となった県庁・警察部壕へ出かけました。

    20110410123159_0.jpg

    繁多川4丁目から識名霊園に入り、約200メートルのところに、この壕があります。

    この壕は地元で「四方地(しっぽうじ)ぬガマ」と呼ばれている自然壕で、写真の入口を降りた先に、約70畳の空間があるそうです。

    沖縄戦の開戦から首里陥落までの間、ここに沖縄県庁と県警がありました。

    嶋田叡県知事は首里陥落の直前、本島南部の18市町村長と警察署長ら約100名をこの壕に集め、例えば、首里や那覇から南下してくる避難民について、次のように訓示しました。

    「住民を飢えさせるのは、行政担当者として最大の恥である。食糧も壕も不十分なことは万々承知しているが、生死を共にしている今こそ、同胞愛を発揮して世話してやってもらいたい。」

    頭を下げる知事に応え、市町村長らは「避難民はどの畑からでも、作物を自由に取って食べても良いことにする。」と決議しました。

    この指示は各市町村で徹底され、多くの避難民の命が救われることになります。


    また、県警は8名の精鋭を選抜し、警察別動隊を編成しました。

    彼らの任務は南下してくる米軍の間隙をついて日本本土に渡り、沖縄の状況をつぶさに伝えることでした。

    3名が戦死し、4名が捕虜になりましたが、1名はサバニで沖縄本島を脱出し、本土に到達しました。


    壕の前に立ち、そこから出てくる嶋田叡知事や、荒井警察部長の姿を想像してみました。

    猛烈な空襲や艦砲射撃をかいくぐり、この壕に集まった本島南部の市町村長を想像してみました。

    沖縄戦の混乱の中、しかもこんな壕の中で、行政が機能していたことは驚きです。

    そして、ウチナーンチュに堪え難い思いをさせた軍部がいた一方、嶋田知事や荒井警察部長がナイチからの赴任者だということに、少しは救われる気持ちです。


    もう一つ、ちょっといい話があります。

    先日、繁多川自治会の史跡保存に対する取り組みに感心しましたが、また、やってくれました。

    この壕を引いて撮るとこうなります。

    20110410123227_0.jpg

    先ほどの写真は、網の目から撮ったのですね。

    そして、そこに案内板があります。

    「各自の責任において、この壕に入る方には、扉の鍵をお渡しします。繁多川自治会まで、お申し出下さい。」

    ジーンときました。

    この手の案内板には、常に子供扱いされ、やれ危ないだの、責任を持たないだの、しゃらくさいものが多い中、

    かっこいいですねぇ。

    さすがです。


    ところで、今すでに15時を過ぎましたが、これから摩文仁に出かけようとしている男がいます。

    やっぱ、行くか・・・

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