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琉球王朝の忠臣・護佐丸盛春(1)

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    琉球王朝の第一尚氏は、6人が国王に就きましたが、そのすべての王に仕えた家臣がいました。

    読谷山按司の護佐丸盛春(ごさまるもりはる)です。

    護佐丸は北山征伐の功績により、王府の信頼を得ることとなり、居城を山田城から座喜味城へ移し、要職である北山守護職に就いています。

    座喜味城は美しい曲線を描く城壁が特徴です。



    護佐丸が勇敢な武将であるとともに、優れた築城家であったことがわかります。




    護佐丸は北の守りを固めるべく、軍事力の整備に務めましたが、その軍事力が琉球王府にとっても、脅威となったようです。


    当時、勝連城の阿麻和利が勢力を拡大していました。

    王府は護佐丸に、首里と勝連の中間に位置する中城城に城を移し、首里を防御することを命じます。

    中城城は、座喜味城に劣らず、美しい城です。

    20110523165452_0.jpg

    この城からは、北の勝連半島から南の知念半島まで、さらに、太平洋と東シナ海の両方を眺望することができます。

    20110523165847_0.jpg

    15世紀の中頃、首里、中城、勝連の三者は、非常に緊迫した状況にありました。(続きます)

    コメント
    息子は中城村民です。
    ゴサマルくんというキャラがいます。
    お城の近所にホテルの廃墟があって、不気味なんだけど、
    わたしはサバイバルゲームのテーマパークにすればいいのにと思います。
    だいぶ手を入れなきゃいけないけど。
    中城村、がんばれ!
    • 大阪
    • 2011/05/24 1:29 PM
    コメントありがとうございます。

    城の南側にありますね。ホテル。

    廃墟ファンに大人気のスポットらしいです。

    誰も取り壊さないようですから、テーマパーク、いいと思います。

    ただし、ウチナーンチュは安く遊ぶ名人ですから、料金は低めでお願いします。
    • coralway
    • 2011/05/24 2:34 PM
    自分の読んだ本では、護佐丸が中城に移るのは尚泰久王が25歳の時とのことで、勝連城が脅威であったことは変わらないといえども、阿麻和利が按司になる前のことだそうです。古い本で、情報が変わったのかもしれないですが。

     護佐丸の心は調べようがないですが、今帰仁城から座喜味城へ移ったと思ったらすぐ中城へと移されていて、同じように秀吉に尾張から江戸へ移された(経済力をつけさせないためとされてます)家康が、後に豊臣家を壊滅させてしまうほど恨んでいたことを考えると、恨みもあったかなと想像したりします。
     先代の恩人であるため護佐丸を直接は討てない王府が、怒りを募らせる護佐丸をどうにか討つための手段として阿麻和利を利用して、罪を背負ってもらうために殺したなら、ぞっとしますね。単なる想像ですが、金丸が策を巡らせていたなら有り得そうで。
    • ahaha
    • 2015/10/19 11:50 PM
    そのあたりが、護佐丸が忠臣と言われる由縁ですよね。最後に切り捨てられたのなら、護佐丸が不憫です。自分がトップに立つ気持ちは無かったんでしょうかね。
    • coralway
    • 2015/10/20 10:03 AM
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