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琉球王朝の忠臣・護佐丸盛春(2)

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    首里王府にとって、勝連の阿麻和利は脅威となり、首里防衛のために中城に配置した護佐丸にも警戒が必要でした。

    これまでの定説では、護佐丸に謀反の動きがあると阿麻和利が王府に報告し、それを信じた王府が、阿麻和利を大将とする勝連・王府連合軍を中城城に向かわせたことになっています。(護佐丸の乱)

    確かに、護佐丸は軍事力を整備していたでしょうが、それは勝連に対する備えであったはず。

    どうして王府が阿麻和利の報告を真に受けたのか疑問が残ります。

    この点、最近の歴史研究では、護佐丸の乱は、王府が護佐丸を討つための口実に過ぎなかったとされています。

    だとすれば、忠臣・護佐丸が哀れです。

    護佐丸は、中城城を包囲した勝連軍に王府軍が加わっていることを知り、反抗することなく、妻とともに自害しました。

    最後まで、王府への忠誠を尽くした護佐丸は、沖縄芝居や組踊に頻繁に取り上げられ、沖縄における人気は絶大です。


    さて、護佐丸を討った阿麻和利は、勢いに乗じて王府に攻め込みますが、王府の反撃に会い、勝連に退散したことになっています。

    そこを、大城賢勇を大将とする王府軍が追撃し、阿麻和利は討たれてしまいました。(阿麻和利の乱)

    阿麻和利は、護佐丸を陥れた上に、王府を攻撃したとして、永年、悪玉のレッテルを貼られていました。

    このことについても、疑問視する考え方が定着しつつあります。

    阿麻和利は領地の民衆を大切にし、民衆からも慕われていたことがわかってきたからです。

    阿麻和利は王府軍に攻め込まれた時、民衆を戦に巻き込まないために、抵抗しなかったようです。

    その証拠に、勝連城の何処を探しても、戦の跡が見つからないのです。

    つまり、護佐丸は善、阿麻和利は悪とする伝承は間違いだったようなのです。(再び続きます)

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