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F15イーグルと海軍壕(2)

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    次の写真は、場面がコロッと変わって、那覇市内の南東部にある丘の上からの眺めです。

    北を向いています。奥に見える丘は首里です。

    沖縄戦で、首里での激戦に勝利した米軍は、写真の奥から手前に、首里の丘を駆け下りてきました。

    20110222225341_0.jpg

    この丘の地下には、沖縄戦の海軍司令部跡があります。全長450メートルの手掘りトンネルです。

    入場料を払って、中に入ることができます。

    20110222225327_0.jpg

    首里の戦いに敗北した日本陸軍は本島南部へ撤退しましたが、海軍司令部は不幸な手違いで、この地下トンネルに取り残されてしまいました。

    やがて丘の周りは米軍に包囲され、完全に孤立してしまったのです。

    残された兵隊のとるべき道は、外へ出て玉砕するか、トンネルの中で自決するかの2通りしかありませんでした。

    海軍司令官は自決の直前に、本土へ長文の電報を打電していますが、それが彼の遺書となりました。

    その電文は、次の文で終わっています。

    「(沖縄)県民に対して、後世、特別のご高配を賜らんことを」

    日本軍は、米軍の攻撃に耐えることに精一杯で、沖縄県民を守ることができなかった。

    軍の招集に応じてくれた沖縄の青年は戦死し、残された家族は財産も家屋を失ってしまった。

    沖縄の若い女性は看護婦や炊事を担当するだけでなく、斬込隊に志願する者さえいた。

    などと、沖縄県民が、いかに献身的に戦時の役割を担ってくれたかを、克明に記述し、最後に、「沖縄県民の働きに、後世、報いてやってくほしい。」と結んだのです。

    軍部にも、まともな人がいたのですね。

    打電の直後、この司令官は、自室で手榴弾を使って自決しました。今も、司令官室の壁に、その時の手榴弾によって削られた傷が残っています。

    私は、この1ヵ月の間に、平和祈念資料館対馬丸記念館 、そして今日の海軍壕の3ケ所を訪ね、息苦しいような気持ちになっています。

    投稿の最後に、今日の感想をまとめようとしても、自分の言葉に空々しさを感じ、うまくいきません。

    そのため、「海軍が地下トンネルで孤立した時に、200機のF15イーグルが応援に来て、米軍を蹴散らしてくれたらなぁ。」という、大馬鹿なまとめで、今日の投稿を終わります。

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