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昨日、消費者金融の◯コムに毎日通う社長の話を投稿したところ、沖縄広島県人会事務局長のシッチーから連絡がありました。
シ「Cさん、投稿に出てた社長さんってS社のi社長ですか?」
C「えっ、iさんを知ってんの?」
シ「同じ野球チームのメンバーですよ」
C「うわぁ、そうなんや。しかし、あの体型で走れるのか?」
シ「走り回ってますよ。野球が大好きなんですよ」
C「やっぱ沖縄の世間は狭いよなぁ」
シ「はい、狭いですよ」
さっそくその野球チームのSNSを見てみると、嬉しそうな顔のi社長が載ってました。
その野球チームは沖縄広島県人会のメンバーが中心になっているようで、何人か、私が知ってる名前もありました。
そのうちの一人は私の同級生で小学校が隣り。そのまた隣の小学校がシッチーの出身校です。
思わず昨日の投稿を読み返しましたよ。i社長には失礼な内容だったかもしれませんが、その行間に彼に対するシンパシーを感じとっていただきたい(笑)
こちらはシッチーが運営している県産品通販サイト。
リンクはこちらに→ 沖縄百貨店 七屋
てるきなそばにピクッと反応したそこのあなた。クリックすれば美味しいウチナームンがご自宅に届きますよ(^-^)v
それにしても、明日、i社長と会うのが楽しみやわ。ワクワク(笑)
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何度か紹介してるこのバイク。
持ち主のオヤジはあたりまえのように停めていますが、ここはバイク置場ではないし、オヤジはこのマンションの住民でもありません。
このオヤジは近所に事務所を構えている社長さん。泉崎ホテル(仮名)駐車場の月極契約にやっと空きが出て、車で通勤できるようになりました。
C「やれやれ、違法駐輪がやっと解消されたか」
オ「大丈夫でしたよ。叱られたことは一度もありませんもん(^-^)v」
C「あたりまえのように停めれば大丈夫なのね(^^)」
オ「そうそう。不思議なもんで、ビクビクしてたら叱られるんですよ。ところでCさん、近々車を買い替えます」
C「うわぁ、ちょっと儲けたらすぐこれだ。で、どんな車にするの?」
オ「えーっと、これか・・・」
オ「これですかね」
C「うわぁ、困ったもんやなぁ」
オ「何がですか」
C「あのね。こんな上等に乗ってたら、お客さんの印象が悪いと思うよ。今の車でいいじゃない」
オ「Cさん、勘弁して下さいよ。コロナで散々な目に遭って、やっと買えるようになったんですから」
C「しゃあないな。じゃあ、駐車場の寸法をメモしてちゃんとチェックしてよ」
オ「うっす。大丈夫です」
オヤジの会社はこの建物の2階にあり、左手のドアから入ります。
そして一階は消費者金融の◯コム。
◯コムの入口はヒンプンのようなもので隠されているので、オヤジの会社の入口が◯コムの入口に見えてしまうわけですよ。
これではオヤジが会社に出入りするたびに、
「あっ、あの社長がまたお金を借りに行くわよ」とか、
「えっ、あの社長がまた◯コムから出て来た」とか、
ご近所の皆さんに陰口をたたかれてしまいます(笑)
オヤジは車を買い替えるよりも、◯コム2階からの脱出を考えたほうが良いのではないかと思いますよねぇ。思わんか(^^)
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こちらは胡屋十字路近くのでいご食堂。初めて入る食堂です。
ジミな店構えは「むむむ・・」な気がしましたが、店内に入ってすぐに私は成功を確信しました。
ここはオジィが一人でキッチン、ホール、キャッシャーを担当している店。席に座って観察していると、オジィの動きにはまったく無駄がありません。オーバーに言えば、目隠ししても仕事ができるんじゃないかと。
とは言え、満席になったらオジィと言えども苦しいかもしれません(^^)。店の看板に「定食とカレーの店」と書いたところに、「なるべくカレーにしてくれないかな」みたいな気配を感じます(笑)
この日はプレイヤーズカフェのシゲさんに「随分細くなって、イケオジになってますよ」と言われて、ワタクシ喜んでいます。そして期待通りの生姜焼き定食とよく冷えたビール。いや、大変結構でした(^-^)v
さて、高速バスに乗って家に帰りましょう。こちらは沖縄南ICバス停です。
常識的に、上りと下りのバス停は道路の反対側にあるものですが、沖縄ICでは名護行きも那覇行きも同じバス停に停まります。
従いまして、那覇行きと思って乗ったバスが名護に向かって走り出すことがあるんですよ。オソロシヤ。
バスに乗る時に運転手が「那覇行きですよ。那覇。名護には行きませんよ。はい、那覇行き発車します」と何度も念押しするところを見ると、発車3分後に「ぎゃっ!!」と声を上げる客が後を絶たないことが容易に想像できますね。
(終わり)
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工芸フェアの投稿にもかかわらず、工房や工芸品の話題がありませんね(^^)。でも、全19会場を訪ね、57工房の作品を拝見しました。
例えば、煙突型のスピーカーで有名な知名御多出横(ちなオーディオ)さん。普段なら「買う気も無いのに店に入いるのはなぁ」と躊躇するところ、工芸フェアの会場なら気楽に入れます。
また、スタンプラリーが行われているので、ピアスなど女性向けの工芸品を扱う工房にオヤジが現れても問題ありません(笑)
琉球ドラゴンプロレスが経営する琉球ドラゴンジムも会場の一つで、リングに上がっても良いことになってました。上りませんけど(^^)
工芸フェアの会場を一巡して、印象に残ったのはやはりAサイン時代のクラブ等をリノベーションしたホテル3部屋でした。
当時のクラブの店内を画像や映像で見たことはあっても、その場所に立ったのは初めて。本土復帰前後のコザを想像し、何かグッとくるものがありました。
こちらはいつものコザの風景で、胡屋バス停前、シアタードーナツのベンチと、
パルミラ通り、エノビ☆ケイコさんの作品。
さて、ビールの時間がやってまいりました。私はそのためにわざわざバスで来たんですからね(笑)
(続く)
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トリップショットホテルズのレッドルーム(かつての「バー・テネシー」)では室内の撮影を遠慮して、道向かいの会場に移りました。
こちらはトリップショットホテルズのセントラル。かつての「クラブ・セントラル」です。
Aサイン時代のセンター通り(現在のパークアベニュー通り)の写真にセントラルが写っています。一階がレストランで二階がクラブ。
では二階に上がってみましょう。
たまたまお客さんが少なくて、室内を撮影することができました。
間取りはこんな感じで、写真はエントランスからキッチン方向を撮ったものです。
96?はホテルの部屋としては充分な広さですが、クラブとしては狭い気がします。かつて、この空間は米兵の人いきれが充満し、タバコの煙に包まれていたんでしょう。
パークアベニュー通りは50年前の街並みがほぼそのまま残っています。アーケードは街歩きには便利ですが、建物(特に二階部分)を隠してしまうのが難点です。
道路の拡張が予定されているようで、それをきっかけに再開発が進んでしまうのではないかと心配です。
文化庁が指定する「重要伝統的建造物群保存地区」に指定してもらえないかと思いますが、武家屋敷や宿場町などが選ばれているようですから、50年程度のコンクリート建築物では難しいでしょうね。
沖縄県では竹富島と渡名喜島が「島の農村集落」として、保存地区に指定されています。
(続く)
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この日、コザで開催中の沖縄市工芸フェアに出かけました。
コザのパークアベニュー通りとゲート通りに挟まれた一番街商店街。19ヶ所の店舗等を会場に、沖縄市ゆかりの工房が作品を展示・販売する企画です。一つの会場に数件の工房が出展しているので、工房の数としては57件になります。
会場前にはAからSまでの標識が置かれていて、案内所で配られた地図を頼りに会場を訪ねます。
ところで、この日はコザまでバスで来ました。
自宅最寄りのバス停(国場)には高速バスが停車するので、名護、海洋博公園、西海岸のリゾートホテルなどに乗り換え無しで向かうことができます。沖縄南ICまでの所要時間は29分です。
工芸展会場を一巡するとお昼を過ぎるでしょうから、ワタクシ、コザの食堂で生姜焼き定食を食べつつ、ビールをいただく所存でございます(^-^)v
さて、わざわざコザに来てまで工芸品を見たり買ったりしたいのかと問われれば、それほどではありません。
「じゃあ何してんの?」って話ですが、普段は躊躇してしまう店舗に気楽に入れるチャンスなんですよ。
こちらはパークアベニュー通り。トリップショットホテルズのレッドルームです。
ここはAサイン時代の「バー・テネシー」をリノベーションしたホテルの客室。
入ってみたいじゃないですか。工芸フェアの会場でなければ、この部屋に宿泊するしかありません。
部屋の写真をお見せしたかったのですが、お客さんが多く、写真を撮るのは遠慮しましたm(_ _)m
部屋の間取りはこんな風です。広さ97?のスィートルームです。
(続く)
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今週来沖したひよこさんが「慶良間へ行こう」と言うので、同じ歳のオヤジ二人で春の慶良間に渡りました。
ダイビングでもなくフィッシングでもなく、ただただ海と島を眺める日帰り旅行です。
ハイシーズンの慶良間は船も宿もレンタカーも混雑するでしょうが、今の季節はそんな心配は不要で、高速船の料金は2割引でした。
泊港発が9時。座間味島に6時間30分滞在し、泊港着が17時10分です。
島に着いたらレンタカーを3時間借りて、島の展望台を一巡しました。
上の写真は女瀬の崎(ウナジノサチ)展望台。左端に渡名喜島が見えています。
展望台は岬の先にあり、その細い岬がウナジに見えたのかとチラッと考えましたが、崎をサチと沖縄風に読んでいることから、女瀬をウナジと読んだだけのようです。
次の写真は古座間味(フルザマミ)ビーチ。座間味島のメインビーチです。
レンタカーで3時間、昼食に1時間、散歩や買物に2時間の配分で6時間が過ぎました。
島に渡るならせめて一泊はしたいと思っていましたが、ダイビングでもなくフィッシングでもない座間味島は6時間が適当でした。
昼食は和山海雲(ワヤマモズク)で三枚肉丼(もずくスープ付き)をいただきました。島のオリオンビールは本島で飲むよりも美味いのよね(^-^)v
ひよこさん。また何処かに行きましょ〜ね。
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沖縄の某ロックバンドのデビューアルバム「恋人よ」。ジャケットは沖縄本島某所で撮影されました。
ナイチの沖縄ファンの皆様で、このロックバンドの名前が思い浮かび、かつ、ジャケットの撮影場所が分かるようなら、「沖縄通」と呼ばせていただきたい。
極めて少ないサンプル数なので、確かな情報とは言えませんが、ウチナーンチュに「どのロックバンドが好き?」と尋ねた時に、かりゆし58のファンには迷いがありません。
「もう、それはかりゆし58」
オレンジ・レンジやモンゴル800などの人気バンドを思い浮かべることなく、直ちにその名前が出てきます。他のバンドよりもコアなファン層が強く形成されているのかもしれません。
かりゆし58の魅力は優れた楽曲と共に、ボーカル、ベースを担当する前川真悟の人柄をあげることができそうです。
彼の人柄って、つまりこんな感じです(笑)
ここは那覇の某食堂前です。左のオバサマは店員のひろみさん。
#オワリはじまり#かりゆし58#うるままるごと文化祭音楽祭#うるま市石川公園 pic.twitter.com/Ur9bjuXAaz
— 沖縄の風景 (@coralway39) May 1, 2022
冒頭のジャケットの撮影場所は大宜味村饒波。道の先に辺土名高校前バス停が見えています。
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1990年代、沖縄アクターズスクールでトレーニングを積んだ、安室奈美恵、SPEEDなどが日本の音楽シーンを席巻しました。
どうして沖縄はこれほどの人材を輩出できるのかと、当時は不思議に思ったものです。
最近、そのあたりの事情に詳しい人が話す内容を聞いて、なるほどなぁと思うことがありました。
沖縄アクターズスクールに通っていた子供達はほとんど学校に通っていなかったと。
週末だけレッスンに通うナイチの子供達とは比較にならない練習量をこなしていたんですね。
沖縄の就職事情は今も昔も芳しくなく、特に女の子達は小中高と進学するよりも、歌やダンスにかけたほうが成功確率が高いと判断したのではないかと。
もちろん、才能が無ければ話になりませんが、沖縄の女の子達は覚悟と努力が違ったということですね。
ところで、今井絵里子は漢字を書けないそうです。勉強よりも歌やダンスに人生を賭け、成功を収めたのですから、彼女にとっては「それが何?」って話なんでしょう。
もちろん、漢字の読み書きが一切できないということではなく、人並みにはできないってことね。たぶん。
宜野湾市大山にあった沖縄アクターズスクールは創業者の息子や娘に代替わりし、昨年から事業を再会しています。現在は那覇のパレットくもじに本社と練習場があるようです。
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10日ほど前のこと。泉崎ホテル(仮名)近くの駐車場で事故がありました。
この駐車場は6階建で、屋内のスロープを使って車が昇降するタイプです。そのスロープを下っていたオジィがブレーキとアクセルを踏み間違え、車が駐車場最上階の外壁に突っ込んでしまいました。
こちらが新聞に掲載されたオジィの車。
ビル外壁の強度がこのような事態を想定していたか否かは不明ですが、車が外壁を突き破り泉崎通り(あるいはその歩道)に落下していたら大惨事につながるところでした。
ところで、このオジィは71歳。66歳の私にとっては5年後の姿です。たったの5年ですからね。認めたくはないけれど、現実的な問題なのよね(^^)
年齢に関係なく、アクセルとブレーキを踏み間違えることはあるでしょう。問題は踏み間違えに気付いて、「あっ!!」と思った時の反応です。
若い人は瞬時にアクセルから足を離し、ブレーキを踏み直すことができますが、オジィは足が動きません。このことに私は既にココロタアリがあります(^^)
今の仕事は何事も無ければ70歳まで続けることができる契約です。退職する日に、以降の生活設計を描きつつ、運転免許証返納の時期を考えるってことですかね。
どこにも行けないじゃないの(泣)
いやぁ、大変なことになってきたなぁ。
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大宜味村旧塩屋小学校をメイン会場に開催中のやんばるアートフェスティバル。今年から、那覇にもサテライト会場が設けられました。
場所は泊港近くのホテルアンテルーム那覇。
このホテルの外壁に描かれている作品が「アブとハブ」。
琉球の入れ墨「ハジチ」を施した手がハブを捕まえています。
ハブは怯えた顔で震えています。
ハジチを施した手の主はお婆さん。与那国島ではお婆さんの敬称が「アブ」だそうです。つまり、アブがハブを捕まえていると。
「アブとハブ」の作者はKeeenueさん。30代の女性です。
作者はシワが刻まれた手とハジチから力強さを感じとり、その手はハブをも捕まえてしまうだろうと思ったとのこと。
「アブとハブ」が描かれているホテルの外壁は泊港に面しています。
解説が無いと解釈は難しいでしょうが、ハジチとハブが登場するこの作品を私は気に入りました。
こんな海に面した場所で、作品は劣化しないのでしょうか。しばらく経って、再び通りかかってみようと思います。
「アブとハブ」を探すのではなく、泊大橋がこの角度で見える場所を探して下さい。
そこで振り返ればオッケーです(^-^)v
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ある日の早朝、早番の私は泉崎ホテル(仮名)のフロントで駐車場の鍵を受け取りつつ、申し送りを聞いていました。
フ「Cさん、おはようございます。昨日からご一泊のミヤザワカズフミ様。駐車券に押印がありませんが、駐車料金はお連れの方からいただいてますので、そのままチェックアウトしていただいて結構です」
C「マネージャーさんが支払ったのね」
フ「えっ?。ミヤザワ様をご存知なんですか?」
C「島唄を知ってる?。『島唄よ風に乗り〜』ってやつ」
フ「もちろん知ってます」
C「じゃあ、THE BOOMは?」
フ「だから知ってますってば」
C「え〜?」
フ「あっ!!」
ということがあり、やがて駐車場には月極契約の車が入って来ました。宿泊客ではなく、通勤のために駐車場を利用されているお客さんです。
極「Cさん、おはようございま〜す。お願いしま〜す」
C「宮沢和史さん泊まってるってば。もうすぐ現れるはずよ」
極「え〜、ほんと!?。どうしよう」
C「どうするの?(笑)」
極「仕事は遅刻して出待ちするべき?(笑)」
C「Kさんがよろしく言ってたと伝えておくよ」
極「アハハ。わかった。お願いね」
そうそう。こんなふうに反応してくれないと。
そしてまもなく宮沢さんが現れました。立体駐車場から車が降りて来るまでの間、少し会話ができるかと思っていたら、うーむ。
帽子を深く被り、眼鏡にマスク。もうそれは「私に関わらないで」って雰囲気だったのよね。
それで、
C「この度はご利用いただきありがとうございました」
宮「どうも」
C「デビュー35周年、おめでとうございます」
宮「ありがとうございます。よくご存知で」
C「THE BOOMのメジャーデビューから35年ですか?」
宮「そうです。島唄からは31年になります」
C「・・・」
おしまい(^^)
この様子ではオチオチ街も歩けません。有名人の宿命ですよね。
まあ、たいした話ではないけど、「くるちの杜音楽祭」はアットホームな雰囲気で、宮沢さんもリラックスされているみたいで良いって話をしたかった。
島唄@宮沢和史&くるちの杜スーパーバンド pic.twitter.com/xfktzryZWx
— 沖縄の風景 (@coralway39) September 22, 2019
あっ、そうそう。宮沢さんは近々、お爺ちゃんになるみたいですね。ちむどんどん。
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17年前の沖縄美少女図鑑に載った二階堂ふみさん。当時12歳でした。
たちまちナイチの芸能プロダクションの目にとまり、モデルとなり、さらに女優としてキャリアを重ねています。
最近、彼女が出演したバラエティ番組がちょっとしたニュースになりました。沖縄出身の彼女に沖縄方言で話しかけたら思わず方言を使ってしまうのか、演じることのプロとして標準語で応対できるのか。そんな企画だったようです。
全国各地の方言を楽しく紹介する企画は人気がありますが、彼女が出演した番組は「沖縄方言を使ったらアウト」というルール。
それがかつて沖縄で使われた方言札を連想させると指摘され、放送局が「沖縄方言の歴史的背景ついて配慮が足りなかった」と謝罪することになりました。
放送局にも、二階堂ふみさんが所属している芸能プロダクションにも、「沖縄方言の歴史的背景」に配慮できる人がいなかったんですね。一人も。
放送局は「差別的であるとのご指摘は真摯に受け止めており、今後の番組制作に生かしていく」と述べたそうですが、無知を解消するってそんなに簡単なことではありません。
今回の番組関係者の中に、この企画から沖縄方言を外すことを提案できるとすれば、二階堂ふみさんしかいなかったのではないかと思います。
幼くして沖縄を離れた彼女にそれを求めるのは酷とは思いますが、ウチナーンチュが訴え続けないと、やがて問題は風化してゆくことでしょう。
「昔のことじゃない。いつまでこだわってるの?」みたいな人は沢山いますからね。ナイチに限らず、ウチナーンチュの中にも。
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かなり前になりますが、名護市宮里の島唄居酒屋「結い唄」を訪ねました。唄者松田末吉さんのお店です。
過去の投稿はこちらから。
私が松田さんを知ったのは映画「ホテル・ハイビスカス」でした。父ちゃんがいる東村のパイナップル畑に向かう美恵子が乗ったバスの運転手役。
「ホテル・ハイビスカス」でキジムナータンメーを演じたのは登川誠仁さんでした。そして、誠仁さんの一番弟子が知名定男さん。定男さんはネーネーズやザ・フェーレーのプロデューサーとしても知られています。
松田さんは初代ネーネーズのバックバンドで三線を担当し、ザ・フェーレーのメンバーでもありました。
沖縄民謡界における松田さんのポジションが分かってきますね。
松田さんは「こいつ、ただの観光客かと思ったら、よく知ってるなぁ」と、感心したお顔。
C「私は大阪の大正で松田さんのお兄さんと親しくさせていただいてたんですよ」
松「え〜っ!!」
C「私はお兄さんが出演されていた民謡居酒屋の客で、二、三度店の外でもご一緒させていただきました」
松「驚いたなぁ。ほら、寒イボ寒イボ(笑)」
C「そうした経緯があって、やっと今日、松田さんにお会いできたわけです」
松「なるほど。よく分かりました。携帯番号を教えますから、Cさんの番号も教えて下さい。そして、次から来店の際には必ず連絡して下さい」
そして、次のステージで紹介された私は、店内の皆さんから「よく来た」と声をかけていただいたのでした。
松田さんの唄三線、明るい雰囲気の店内、美味しい料理。名護近辺に滞在の際は『結い唄』をお勧めします。
松田末吉さんのナークニー。いいアレンジです。
— 沖縄の風景 (@coralway39) January 15, 2024]]>
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沖縄県公文書館で沖縄交通史に関する資料が展示されていると知り、覗いてみました。何しろ自宅からバイクで10分、入場は無料です(^-^)v
琉球政府以降(一部は琉球王府)の公文書を保管するための施設ですから、当然、展示物は文書。歴史博物館をイメージして来館し、がっかりされた方は沖縄県立博物館や那覇市歴史博物館へどうぞ。
展示企画のタイトルは「沖縄の乗り物 公文書館資料にみる沖縄交通史」となっていました。
こちらは1981年作成の那覇市都市計画図に、建設準備段階のゆいレール路線図を書き加えたもの。
この路線図を眺めていて、色々な気づきがありました。
まず、終点が赤嶺駅になっていて、那覇空港駅がありません。現在の国内線ターミナルビルの供用開始は1999年ですから、那覇空港駅の位置が定まらなかったのだと思います。
こちらは駅名(案)のリスト。
田原、御成橋、真嘉比、末吉、汀良の各駅名は開業までに小禄、県庁前、おもろまち、市民病院前、首里に変わりました。
駅名の変更はゆいレールの準備段階から2003年の開業までの間に、新たなランドマークが沿線に現れたことによります。
ジャスコ那覇(1993)、沖縄県庁新庁舎(1990)、那覇新都心(1997)、市民病院(1980)、首里城(1992)。
「ウチナーンチュが駅まで歩くはずがない」と言われたゆいレールですが、年々乗客数を増やし、沖縄本島全バス路線の乗客数に肉薄しています。
路線の延伸や三両編成車両の導入などにより更に乗客数が増えるでしょうから、今年あたりバスを追い越すかもしれません。
観光客の私が沖縄に通い始めたのは2000年頃で、ゆいレールは建設中。開業直後のナハ・テラスの窓から地面が剥き出しの新都心が見えていました。
振り返れば、ゆいレールの開業までの約20年で、那覇には都市としての機能が(まがりなりにも)備わりました。その都市機能を結ぶ役割をゆいレールが果たしたことは間違い無いでしょう。
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泉崎ホテル(仮名)近くのマンション敷地内に停まっている150ccのバイク。
以前も投稿したように、ここは駐輪場ではありません。また、バイクを停めたオヤジはこのマンションの住民ではありません。
C「はいはい、そんな所に停めてはいけませんよ」
オ「だから。早くCさんの駐車場で月極契約させて下さいよ。それなら車で通うのに」
C「順番だからね」
オ「で、僕は何番目ですか?」
C「じゃあ、こっちに来なさい。お〜、2番目だ」
オ「ほんとですかっ。あっ!!」
C「『あっ!!』て何」
オ「今、2番目から抜いたカードを一番後ろに戻しませんでした?」
C「戻した(笑)」
オ「ちょっと、やめて下さいよ」
C「順番が来たら知らせるって言うてんのに、『まだですか?』とかいちいちうるさい客はこ〜なるわけよ(笑)」
オ「わかりましたよ。わかりました」
C「今月末で一人抜ける予定だから、2番目から先頭に昇格やな」
オ「マジですかっ!!」
C「春は異動が多いから、4月からなんとかなるかもよ」
オ「よっしゃ。Cさん、よろしくお願いします」
そして翌日朝のこと
オ「Cさん。まだ空きません?」
C「馬鹿じゃないの?(笑)」
オ「あっ、カードは見なくていいです。見ないでね」
C「(笑)」
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あけましておめでとうございます。
読者の皆様に支えられて「沖縄の風景」はこの投稿が4,957本目。今年は5,000本に到達できそうです。今後ともよろしくお願い致しますm(_ _)m
さて、お正月の宿泊客が去り、通勤客は来週から。泉崎ホテル(仮名)の立体駐車場はのどかなものです。
お客様は目的地によって、駐車場前の道を右手か左手かに出発されます。ところが左手はビル建設のクレーン車がいて通行止め。
もちろん、お客様には出発前にその旨をお知らせしてますが、荷物を積んでる間に忘れてしまうのか、つい左手に出てしまうのよね。
そして上の写真の位置で停車して、「そう言えば、駐車場のオヤジが何や言うとったな」と(^^)
やがてお客様は焼き鳥屋の前を右折できることに気づきます。「な〜んや、行けるやないか」と。
ところがそのスージは緩やかに右にカーブを続け、駐車場を右手に出た時の道に繋がります。お客様はがっかりかもしれませんが、走行ルートはオートマチカリーに修正されたわけですね(^-^)v
これで話は終わりません。お客様はクレーン車を迂回すべく、泉崎橋方向へ向かいます。
泉崎橋東詰は4車線の全てが黄色線で、車線変更はもとより、直進や右折左折で跨ぐこともできません。そしてここは那覇署の重点的取り締まりスポットなのです。
そんなことを知らないお客様はそこを右折して県庁方面へ走ろうとします。そこに突然、駐車場のオヤジが現れるのでした(笑)
C「この先は右折できません」
客「あっ、そうなんですか。クレーン車の先に行くにはどうすれば?」
C「Uターンして二つ目の角を左折して、その先の三叉路を左に進んで下さい。それでクレーン車の向こうに出ます」
客「わかりました。ありがとうございます」
お客様が焼き鳥屋の角を右折するたびに、救出に走るのは大変です。でもまぁ、それで6,000円とか9,000円とかの違反金を免れることができるのですから、放ってはおけません。
毎日のように泉崎橋付近でパトカーのサイレンが鳴り、違反車が泉崎ホテル(仮名)の駐車場前の道に逃げ込んで(?)きます。
ご愁傷様とは思いますが、お客様以外の車まで手が回りません。泉崎橋近辺では「黄色い線は跨がない」と唱えながら運転して下さい。いいですね(笑)
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それでは、伊部岳登山口から樫の木までの行程を紹介しましょう。
歩き始めてしばらくは、道幅が広く歩きやすい道が続きます。
果樹園を抜けたあたりで、正面に伊部岳が見えてきます。形の良い三角錐の山なので高く見えますが標高は351m。ナイチでは低い山と見做されるでしょう。
独立峰なので山頂からの眺めが素晴らしいようですが、今回は登頂を見送りました。
20分ほど歩いて分岐点に着きました。伊部岳山頂へは直進し、樫の木へは右手の坂道を下ります。
分岐点を過ぎると途端に道幅が狭くなり、アップダウンが続きます。樫の木までここから30分ほどです。
オオウラジロガシの存在を教えてくれたのはバイトC(既に退職)でした。彼は元警官で、安田集落の派出に5年間の駐在経験があります。
彼は「報道はされていないけど、ヤンバルの山では毎月のように遭難者がいる。山に入るのならガイドを頼んだほうが良い」と言ってました。
私は安田集落でガイドを探すつもりでしたが、直前でやめました。その決め手になったのがこのアプリ(有料)。
目的地までの地図と経路をダウンロードすることができ、そこに現在位置が表示されます。道が分岐した先の黒丸が樫の木です。
このアプリはGPSの位置情報を取り込むことができるので、携帯電話が圏外になっても現在位置がわかります。私はこれで道に迷うことは無いと考えたのでした。
アプリが役に立ったのが、直進と右斜め前と道が二つに分かれた場所でした。目印は左手の石積み。
正解は直進。ところが私は右の道を選んでしまい、50mほど進んで経路から外れたことに気づきました。
アプリが無ければ私はどんどん先に進み、なかなか樫の木が現れないことで、やっと間違いに気づいたことでしょう。そこから、道の分岐点まで戻ってこれたかどうか。
山を下りた私は、安田協同店で自家焙煎の美味しいコーヒーをいただきました。
ふと、店内の壁を見ると、そこには一枚の写真があり、樫の木を背に駐在さん(バイトC)が微笑んでいるのでした(笑)
次回は天気の良い日に伊部岳山頂を目指します(^-^)v
(終わり)
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国頭村安田のアダ・ガーデンホテルから県道70号を700mほど北上すると、左手にこんな石碑がありました。
伊部岳実弾射撃演習阻止「闘争の碑」
本土復帰前の1970年。米軍が伊部岳周辺で実弾(砲弾)による射撃演習を始めようとしていました。当時、林業を主な生業にしていた安田集落の住民にとって、森を破壊されることは死活問題でした。そこで住民達は伊部岳山腹の着弾地点に集結し、演習を阻止したのでした。
そして近年、伊部岳登山口にこの石碑が建立されました。
私は県道から樫の木まで一時間弱の行程で、3ケ所の炭焼き窯跡と1ヶ所の藍壺跡を見かけました。探しながら歩いたわけではないので、多くを見逃したかもしれません。
こちらが炭焼き窯跡。焚き口の石積みがあり、その奥に炭化室があります。
木材を炭に変えると軽くなり、運搬が便利になります。森の中に炭焼き窯を造り、出来上がった炭を背負って安田集落へ運び、そこから山原船で本島中南部へ運んだのでしょう。
こちらは藍壺跡。石積みで補強された円筒形の穴です。
この穴に水を引き込み、そこへ琉球藍の葉を漬け込みます。発酵させた藍の葉から抽出した藍成分を石灰で吸着し、その泥藍を出荷しました。
樫の木に至る道中で気づいたのは、この日私が歩いた細い登山道は、かつては安田集落の林業従事者が利用した林道だったということ。その林道沿いに炭焼き窯や藍壺が並んでいるのは当然と言えます。
樫の木を目指して森を歩いた私は、はからずも、林業が盛んで「那覇で食えなくてもヤンバルに行けば食える」と言われた時代を実感することができたのでした。
(続く)
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ここは国頭村安田。伊部岳山麓の森の中です。
私はこの樫の巨木を拝みに来ました。オオウラジロガシ(大裏白樫)。
樹齢は300年超。琉球王朝の時代からこの場所に屹立しています。
#オオウラジロガシ#国頭村安田#伊部岳山麓#樹齢300年超#国頭サバクイ pic.twitter.com/qtwfU6wZwX
— 沖縄の風景 (@coralway39) December 18, 2023
沖縄民謡「国頭サバクイ」の歌詞にヤンバルの樫の木が登場します。
(サー)長尾山樫木や
(ヨイシーヨイシー)
(サー)重さぬ引からん
木へんに堅いと書いて樫。ゆっくりと時間をかけて成長した幹は堅く頑丈で、建築材料として重宝されています。
ウチの次女は建築士として「木の家」をウリにしている建設会社で働いています。今日が誕生日で30歳になりました。この度、転勤が決まり、大阪に戻ってくるようです。
建築材料として樹木が伐採されることを否定するものではありませんが、再建中の首里城正殿の梁に樫の巨木を使うのはどうなのかと思います。
およそ300年前。当時の首里城が焼失したため、国頭(クンジャン)の木こり(サバクイ)が樫の木を伐採し、首里に運びました。
琉球王の住まいであり、王府の執務場所であった首里城に樫の木が使われたことは当然と言えます。巨大な正殿を支えるには樫の木が必要でしたからね。
一方、ヤンバルや石垣島の樫の大木が伐採され、現在再建中の首里城正殿の梁に使われるのはいかがなものかと思います。
観光施設のために樫の木を伐採しますか?ということ。鉄骨で充分じゃないですか。
神々しさを感じる樫の巨木は、この場所で歳を重ねて欲しいし、何百年か先に朽ちた時はドングリから新たな樫の木が誕生して欲しいと思います。
県道70号から徒歩で約50分。道順は後ほどお知らせします。
(続く)
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昨日、航空自衛隊那覇基地で「美ら島エアーフェスタ2023」が開催され、来沖中のikokaさん親子と会場で合流しました。
こちらはこの日の目玉、アクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」の機体です。
那覇基地では初めてのお披露目だそうで、少し意外な気もしますが、これまで沖縄の自衛隊は県民感情に配慮して、おとなしく、目立たないようにしてきたんです。
こちらは那覇基地の入口から会場に向かう人の波。
まるで那覇マラソンのスタートを見ているかのよう。現在の県民感情はこの写真が示す通りだと思います。
この日の那覇は良い天気で気温は27度まで上がりました。12月に日焼けするなんて、沖縄ですねぇ。
ブルーインパルスの動画を2本。雲が多いのが困ったものですが、雨や曇りよりはずっとマシです。
#航空自衛隊那覇基地#美ら海エアーフェスタ2023#ブルーインパルス#cat沖縄の風景 pic.twitter.com/cEzM7XEmu9
— 沖縄の風景 (@coralway39) December 11, 2023
#航空自衛隊那覇基地#美ら海エアーフェスタ2023#ブルーインパルス#cat沖縄の風景 pic.twitter.com/LTvR3znVAP
— 沖縄の風景 (@coralway39) December 11, 2023
こちらは政府専用機。普段は千歳基地に駐機してるはずなのに、わざわざ那覇に来たんでしょうか。
なんか、もう。ピカピカでした(笑)
ikokaさん親子は1泊2日の強行スケジュール。
それでも昨日二人は斎場御嶽に出かけ、ikokaさんは肩のあたりを「よく来たね」って感じで撫でられた気がしたと。
「あれは何だったのかな?」と問われれば、「きっと神様だったんでしょう」と答えるほかありませんよね。
話は変わりますが、駐車場を月極で利用いただいている法人から、インボイス制度の導入に伴う、「適格請求書発行事業者の通知」を求められ、先週末に書面を作成しました。
週明け(つまり、今日)に発送の予定のところ、書面に間違いが無いか不安でした。
「まてよ」と。
考えてみれば、私の目の前で一心不乱に撮影を続け、やたらとパイロットに手を振っているオバハンは税理士なのでした(笑)
さっそく書面のチェックをお願いすると、即座に、
「これでオッケー。ここに少し付け加えるとなおいいですね」
とのこと。
なるほどなぁ、さすがはプロ(^-^)v
お客様に届いて、わかる人が見れば「さすがはC」と思っていただけることでしょう。
これを「他人の褌で相撲をとる」と言いますね(笑)
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一つ前に投稿した「千客万来?」の続きです。
昨日、駐車場に現れたのは読者のスージグァのニィニィさんでした。この週末、沖縄に滞在されるとのこと。
彼は以前、私が投稿した伊部海岸の写真を気に入って、わざわざ国頭村まで出かけたことがありました。
投稿の場所を訪ねて期待通りの風景に出会えることがあれば、がっかりなこともあるでしょう。そのあたりは人それぞれですからね。
今回、スージグあのニィニィさんはお友達を誘って、再び伊部海岸を目指すとのこと。
高速を使っても那覇から2時間半はかかる場所ですからね。気に入ってもらえたんですねぇ(^-^)v
伊部海岸@国頭村安田 pic.twitter.com/EwojLKsc0V
― 沖縄の風景 (@coralway39) August 16, 2020
そして、先月末に来沖されたSayoriさん。
名護泊で本部半島周遊コース。にもかかわらず、美ら海水族館には行かず、備瀬を散歩。古宇利大橋を渡らず、運天森園地から橋を眺める。
運天森園地展望台@今帰仁村運天 pic.twitter.com/LAQX4Gc4P3
— 沖縄の風景 (@coralway39) January 16, 2019
それから、伊野波集落、名護市役所、今帰仁公民館・・・。
あまりにも「沖縄の風景」的なコース設定に、私は責任を感じてしまいますよ(^^)
そして、沖縄には一人で来たと(^-^)v
おそらくSayoriさんは、
「みんな、いい?。今回はママ一人で沖縄へ行きたいの。歩きたい所だけを歩いて、気が済むまでそこにいたいの」
などと宣言し、それを聞いた家族は、いつも家族を優先してくれるママを快く送り出したと。
素晴らしいじゃないですか。
明日開催の美ら島エアーフェスタ2023に備えて、ikokaさん親子が今日のお昼前に那覇に到着しています。明日は私も合流してブルーインパルスなどを観る予定です。
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写真はホテル・ハイビスカスのダイニングルーム。
オバァ(故平良トミさん)にタバコの灰を落とされた能登島が「アチチ!!」ってなってるシーンです。
奥の出入口の上に「千客万来」の額が見えますね。昨年、ホテル・ハイビスカスは取り壊されてしまいましたが、それまでこの看板は確かに残っていました。
長期滞在の能登島が現れて、一部屋だけのホテルとは言え満室になったのですから、これはまさに千客万来の状態と言えるでしょう。
さて、農連市場の某青果店が閉店してやがて一年。私は泉崎ホテル(仮名)の駐車場で毎日を過ごしています。
青果店と違って駐車場は屋外なので、駐車場の前を通れば私がいるかいないかが分かります。そのせいか、今年になって、読者とお会いする機会が増えました。千客万来。本当にありがとうございます。
バイトAやバイトBが駐車場にいて、私は控え室で事務仕事をしていることがありますので、あきらめずに覗いてみて下さい。
スーミーはダメよスーミーは(^^)
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2ヶ月ほど前の話です。
フロントの新人i君が仕事を終えて駐車場へやってきました。
i「お疲れ様です」
C「よし、今日も終わったか」
i「Cさん。今日、山ちゃんが泊まってますよ」
C「どの山ちゃん?」
i「南海キャンディーズの山ちゃんですよ」
C「おぉ、あの山ちゃんか」
i「いきなり芸能人が現れたから緊張しました」
C「チェックアウトの時にな。『次回は蒼井優ちゃんでお願いします』って言うといてくれ」
i「えっ、そんなこと言えませんよ」
C「なんでウチに泊まったんやろな」
i「さぁ。でも蒼井優が来たらもっと緊張するでしょうね」
C「だから明日はちゃんと言いなさいよ。『あなたはもうええから』って付け加えるといいかもな」
i「そっ、そんなこと、言えるわけないじゃないですか!!」
C「(笑)」
山ちゃんは「山里亮太の140」と名付けた単独ライブを全国各地で開催しているそうで、今年の沖縄公演はパレット市民劇場。前売り券は早々に完売したとのことでした。
こちらは彼のX(エックス)から拝借した写真。
泉崎ホテル(仮名)からパレット久茂地まで徒歩5分。移動の心配がありませんね。
随分前のテレビ番組でいい声のナレーターだなって思ってたら山里亮太さんでした。あれはどの番組だったかな(^^)
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沖縄の衣替えは12月と4月。1月、2月は12月よりも気温が下がり、3月に12月並みの気温に戻ります。
泉崎ホテル(仮名)のホテルスタッフも今月から冬服着用。写真はJAL地上スタッフの冬服ですが、まぁこんな感じです。
今年の新入社員(男性i君、女性Tさん)にとっては初めての冬服で、少し大人の雰囲気になりました(^-^)v
すべてのお客様がチェックインを済ませたある日の午後10時。フロントでi君が暇そうにしてたので声をかけてみました。
C「Tさんがな・・・」
i「Tさんがどうしたんですか?」
C「夏の間、館内はガンガンに冷房が効いてるだろ?。かりゆしじゃあとっても寒かったんだって」
i「あぁ、確かにですね」
C「やっと冬服になったと思ったら、今度は館内が暖房で暑いわけよ」
i「アハハ。確かに」
C「寒い時は半袖で暑くなったら長袖ってオカシイだろ?。彼女の身にもなってみろよ」
i「そう言われましても」
C「貴方がなんとかしてあげなさい」
i「えっ、僕がですか?」
C「同期だろ?」
i「あっ、Cさん。僕は忙しいので、その話はまた今度」
C「(笑)」
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バイトCの退職により、泉崎ホテル(仮名)の駐車場メンバーは元の3人に戻りました。
早番と遅番を一人ずつが担当し、一人が休みのシフトです。したがって、私が休みや遅番の日はバイトAかバイトBのいずれがが早番で出勤することになります。
この時、バイトAやバイトBは自宅を出る際に、「これから出勤します」と私にショートメールを発信し、駐車場に到着したら私にワンギリの電話をかけるキマリになっています。
一人のシフトなので、その日の早番担当が寝坊したり、通勤途中にアクシデントが起きたりすると、誰もいない駐車場は機能停止です。
いやぁ、考えたくありませんね。想像するだけでオソロシイ。それで、ショートメールやワンギリで保険をかけているわけです。
その時間帯、私は既に目を覚ましていて、まさかの事態に備えています。自宅から駐車場までバイクで15分ですから、ギリギリなんとかなります。
そして、ワンギリの音を聞いたら、休日ならばビールを飲んだり、遅番の日ならもう少し眠ったりできるのです。
「これはれっきとした仕事だろ」と思いますが、店長手当をいただいているので、そこに含まれると会社は言うでしょう。
ところで、私が早番の日はどうするのか。
その日はショートメールもワンギリも無し(^^)
なので私は何がなんでも目を覚まし、無事故無違反で通勤することを求められているのです。それも「店長手当でなんとか頼む」ってことなんでしょう。
じゃあ、バイトAやバイトBにショートメールを送ったりワンギリしたらどうか、と思いますよね。
そしたら二人とも「いえっ、私達は店長手当を貰っていません(だからできません)」と言うでしょう。私でもそう言います(^^)
店長手当って月に僅か◯千円ですからね。
どーなの。そこらへん(笑)
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C「え〜、そこのお兄さん」
兄「はい!。なんだCさんか」
C「『なんだCさんか』じゃありません。そこは貴方のおウチじゃないでしょ?」
兄「あはは。この場所、ちょうどいいんスよ」
C「車で来て駐車場に停めなさいよ」
兄「Cさん、駐車料金を払わせるじゃないですか」
C「あっ、そういうこと?」
兄「Cさんのバイクは何CCですか?」
C「125」
兄「これ、150なんですよ」
C「だから?」
兄「高速道路走れるんス」
C「そうなんだよなぁ。高速だったらヤンバルまで行く気になるなぁ」
兄「Cさん、今日は何時までですか?」
C「4時だけど」
兄「じゃあ、それまでバイクお願いしますね」
C「(笑)」
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北朝鮮の「人工衛星」が予告期間よりも早く打ち上げられ、しかも沖縄上空に向かっていたらしく、昨夜のJアラートには緊迫感がありました。
しかしねぇ。地下に逃げろと言われてもウチのアパートに地下室は無く、窓から離れろと言われても1DKでそれは無理。立ち上がってはみたものの、どうすることもできません。
とりあえず私は、夕食で使った食器を洗ったのでした(^^)
こちらが私のアパート。二階右に私、二階左にアパート最古参のタクシー運転手。一階右の二部屋の壁を取り払って大家が住んでいます。
二階中央と一階左に分散して住んでいた5人家族がこの夏に退去し空き家になってましたが、最近、新たな入居者が現れ、その二部屋が埋まりました。
私の部屋の隣に入ったのは夫婦のようです。いくら夫婦と言えども、この狭い部屋で暮らすとなると。うーむ。
ボソボソと話し声が聞こえてきますが、その内容まではわかりませんでした。
ある日、この夫婦が大きな声で話しを始めたので、聞くでもなく聞いていると、私は衝撃の事実に気づいたのでした。
「日本語じゃないww」
翌日、さっそく大家の部屋をコンコンしました。
C「隣の部屋に入った夫婦だけど」
家「そうそう。よろしくね」
C「よろしくねって、日本人じゃないだろ」
家「あはは。台湾人」
C「げっ、やっぱりか。で、一階は?」
家「フィリピン人(笑)」
C「おー、一気にインターナショナルじゃん」
家「あんな人達はね。なかなかアパートを借りれないわけさ」
C「えっ、そういうこと?」
家「そういうこと」
C「やっ、家賃は大丈夫か?」
家「とりあえず今月分はもらった」
C「それを払わないと入居できないからな。問題は来月やで」
家「まあね」
C「まあねって、『家賃を払え』って台湾語で言えんのか?」
家「(笑)」
C「フィリピン語も」
家「(笑)」
台湾人もフィリピン人も私に挨拶が無いのだが、そーいう習慣が無いんだろう。ってことにしておくか(^^)
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昨日と今日、私は仕事がお休み。二日ともバイトA(4月から)とバイトB(5月から)のシフトです。
掃除、洗濯などの家事は昨日済ませたので、今日はビールを飲むくらいしかやることがありません。25度のポカポカ陽気の中、美味しくビールを飲んでいます。まっ、昨日も飲んだけど(^^)
今年の春、血糖値が上がり、医者から色々と脅されたこともあり、最近は糖質ゼロの発泡酒を飲んでいます。
この発泡酒は他に比べて味が良く、悪酔いもしないので写真に撮ってPRしようとしたところ、缶のデザインが沖縄の空の色と実にマッチすることがわかり、この写真をXやインスタグラムにアップしました。
さて、私とバイトA、バイトBの3名でシフトは組めますが、「ちょうど良い」ことは無駄が無い代わりに余裕も無いということ。
そこへ先月からバイトCが加わってくれて4名体制になりました。これで私は離島ややんばるへ余裕を持って出かけることができます(^-^)v
先週のこと。バイトCの研修期間が終わりに近づき、本来ならワンオペを始める時期になりましたが、残念ながら、研修期間の延長が必要と判断しました。
それをバイトCに伝えたところ「退職する」とのこと。その理由は腰痛が悪化したので治療に専念したいというものでした。
バイトCは70歳。元警官で、やんばるの駐在経験があります。伊部岳に樫の巨木があることを教えてくれて、やんばるの森に入るのなら遭難に気をつけろとアドバイスをくれた人です。
腰が痛いのは事実と思いますが、退職の理由を端的に言えば「老いの自覚」なんですね。彼と私とは僅か4歳違いです。
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先月投稿した、国頭村安田に聳え立つ樫の木(オオウラジロガシ)です。
伊部岳中腹にあり、樹齢は300年。
同じ職場で働くバイトCは安田駐在所の勤務経験がある元警官。彼が言うには、やんばるの森では毎月のように遭難者がいて、警察、消防や地元の皆さんに負担をかけてるとのこと。気楽に入れる森ではありません。
なんとか年内にこの樫の木を見たいと考えている私。安田の公民館や共同売店などにお願いして、ガイドを引き受けてくれる人を探すか、充分な下調べをして、ガイド無しで森に入るか。そこを思案中です。
こちらは、昨年、首里城再建のために伐採された樫の木(オキナワウラジロガシ)が、国際通りを「市中引き回し」されている様子です。
樫の木の呻き声が聞こえてくるようです。
2019年に首里城正殿などが焼失した時、「沖縄県民は悲しみにつつまれた」、「心のよりどころを失った」などのコメントを耳にしましたが、「それは違うだろ」と思いました。
薩摩の侵攻、首里城明け渡し、沖縄戦。首里城が歩んできた悲しい歴史と焼け落ちる正殿が重なり合ったと言われるのなら、まったく同感しますよ。そうでなければ、たかだか二、三十年前に建てられた、新建材の観光施設が燃えただけのこと。どうして心のよりどころを失うことになるのか、お話を聞かせていただきたい。
そして、首里城再建のために伐採された樫の大木。もしそれが安田の樫の木だったらどうしようと、焦りましたよ。
この樫の木は首里城正殿の梁に使われるより、やんばるの森で、この先、何百年も生き続けるべきだったと私は思います。
令和版、首里城の御材木。痛々しいと言うほかありません。
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ヤンバルクイナの生息数が増え、分布域の南下が進んでいます。
これまでの分布域は国頭村内に限られていたところ、数年前から東村や大宜味村で目撃されるようになり、今年の夏、とうとう名護市に現れました。
ヤンバルクイナが現れたのは名護市源河の山中で、沖縄県が設置した自動撮影カメラにその姿が写っていたようです。
写真は源河川中流の砂防ダムと魚道。名護市内でありながら、ヤンバルの自然を感じることができる場所です。
メディアでは「名護市で初めての目撃情報」と報じられていましたが、それは正確ではありません。
元々、ヤンバル全域に生息していたヤンバルクイナがその数を減らし、北に追いやられました。つまり、1980年代頃まで名護市はヤンバルクイナの分布域だったんです。
大宜味村の塩屋湾から東村の福地ダムにかけてマングースの北上防止柵が設けられていまして、名護市源河はそれよりも南側。ヤンバルクイナはどうやって柵を乗り越えたんでしょうね(^^)
写真は国頭村安田のヤンバルクイナ生態展示学習施設で飼育されている個体です。
野生のヤンバルクイナに遭遇するチャンスが少なかった時代、この施設は一定の役割を果たしたと言えます。しかし、ここでヤンバルクイナを見ても、ヤンバルの自然を体験したことにはなりません。
車でヤンバルを走っていて、ヤンバルクイナを見かける頻度が、ここ数年、明らかに増えています。
ヤンバルの自然を体験しながら、ヤンバルクイナに会えるエコツアーがさらに充実すると素晴らしいと思います。
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国場の崖地に建つ築48年のオンボロアパートに越して来て、やがて10年になります。
水道料込みで3万円を下回る家賃と聞けば、壮絶な部屋の様子が容易に想像されるというもの。部屋の視察に訪れた私の家内は「いくらなんでも、ここに女性を連れ込むことはなかろう」と、腕を組み、大きくうなずいたものでした(^^)
ところが私はこの部屋に何の不満もありません。陽当たりが良く、二階の端部屋なので誰も部屋の前を通りません。
玄関の扉を開けっぱなしにできるので、部屋に風を通すことができ、部屋からの眺望はこんな感じ。
数年前に敢行した断捨離によって室内はさっぱりとしていて、きちんと掃除されています。私にとって本当に居心地の良い空間で、(気分は)沖縄の古民家に住んでいるかのようです。
私と大家との関係は良好で、何を頼んでも「いいよ、いいよ」と同じ言葉が返ってきます。
アパートの住民で、毎月きちんと家賃を支払っているのは私だけらしく、「いいよ、いいよ」の根底にはそのことがあるようです。
最近、気づいたのは、家賃の安いアパートほど滞納者が多いということ。
リッチな人は高い部屋を選び、問題無く家賃を支払います。一方、リッチでない人はなるべく安い部屋を選ぶものの、その家賃を支払えるかと言えばそうでもないんですよ。
昨年暮れに入居した5人家族は今年の夏に退去しました。大家によれば、家賃(2部屋分)はほとんど支払われていないとのこと。
今月、その2部屋それぞれに新しい住民が入居しました。オンボロアパートが再び満室となり、大家はニコニコしています。
でもね。喜ぶのはまだ早いのよ。そうでしょ?(^^)
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新しい中古バイク(笑)が納車されて2週間。納車時に10万円、今週2万円の分割払いを終えて、私のバイクになりました。
スズキが通勤用に開発したバイクだそうで、小型で軽量。取り回しが楽で気に入ってます。
12万円の値付けに従順だったのは、購入後のお付き合いを重視したものでしたが、万一の事態を想定して、10万円と2万円の分納にしました。「程度が悪ければ2万円は支払いませんよ」ということ。
結果的にその心配は無用で、バイクは軽快に走っています。唯一、走行中のスタンドからシャカシャカ音が聞こえてましたが、無償交換してくれるそうです。
先日、レンタカーの無い渡名喜島で、大家から借りたバイクが活躍したので、今後の離島巡りにはこのバイクで向かうつもりです。
「雨が降ったらどうするんだ?」って話ですが、それはそれで部屋から雨を眺めても良いし、徒歩圏内を傘をさして歩くのも良しです。最低でも2泊3日は確保するつもりなので、一日くらいは晴れるでしょう。
このバイクの行動範囲は本島中南部といったところ。頑張っても石川あたりが北限でしょう。
「ヤンバルに行く時はどうするんだ」ってことですが、その時は大家の軽自動車を借りましょ〜ね。バイクを借りた状態で「車も貸せ」とは言えませんでしたが、バイクを返したので問題は解決しています(^-^)v
あっ、そうそう。今週、66歳になりました。私は78歳まで生きると根拠無く思っていますが、その通りなら余命12年(^^)
「ひぇ〜〜!!」って感じです(笑)
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首里のあやぐ食堂(1978〜)が今月末で閉店だそうです。
閉店の理由は「人手不足と原材料の高騰」。商売を続けるには値上げするしかありませんが、沖縄の食堂はそれができません。
どこの食堂も「安い、多い、美味い」がポリシーですからね。そのポリシーに背くことはできないんですよ。
沖縄の食堂の料理を「家庭の味」と呼ぶ人は沢山います。そんな人達にとって、あやぐ食堂の閉店は悲しいニュースではありますが、その理由には納得せざるを得ないわけです。
那覇のハイウェイ食堂と一銀食堂の店主は私と親しいウチナーンチュのお姉さん。
両店ともあやぐ食堂とまったく同じ悩みを抱えていて、ハイウェイ食堂は今年閉店し、一銀食堂はその代名詞だった24時間営業を続けられなくなりました。
沖縄の食堂は滅びてしまうのかと心配になりますが、私の自宅近辺では長田のやんばる食堂(1978〜)、与儀のすずらん食堂(1968〜)、古波蔵のブルボン食堂(1978〜)などの老舗食堂が頑張っています。
沖縄の食堂はまだまだ大丈夫!!
と言いつつ、「今のうちに行っておいたほうがいいかも」とチラッと思ったりもします(^^)
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昨年、米国の起業家イーロン・マスクが買収したTwitterはこの夏から名前をXに変えました。そのせいで、Twitterに投稿した動画をブログに埋め込むツールが使えなくなり、どうしよう、どうしようと思ってる間に夏が終わるという(^^)
先日、Twitterの動画をブログに埋め込む手順を理解したので、遅ればせながら、最近の動画を投稿します。
— 沖縄の風景 (@coralway39) May 30, 2023
今帰仁村今泊は観光ポスターなどの撮影場所として知られています。今泊事務所前の案内板を見て、集落内を散歩すると、色々な風景に出会えます。
— 沖縄の風景 (@coralway39) July 23, 2023
最近は栄昇さんの単独出演ではなく、「護得久栄昇with仲座健太」のネーミングで仲座さんが司会役のスタイルが増えているようです。もちろん、「ハンサム」としての活動も継続中。
— 沖縄の風景 (@coralway39) August 27, 2023
今年、ゆいれーるの輸送力アップを目的として、三両編成の車両が導入されました。今後も乗客数の推移を観ながら、三両編成を増やすようです。
— 沖縄の風景 (@coralway39) August 29, 2023
東風平のエイサーを初めて観ました。
ナイチから、そしてグソーからお盆に合わせて帰って来られた皆さんが加わって、集落の公民館前で演じられるエイサー。
広いグラウンドで演じられるエイサーも良いと思いますが、私はこの雰囲気のほうが好きです。
#那覇大綱挽まつり#RBC市民フェスティバル#奥武山公園#きいやま商店#シュラヨイ pic.twitter.com/FIUZ8ha5Fv
— 沖縄の風景 (@coralway39) October 9, 2023
私が沖縄に来たころブレイクしたきいやま商店。当時は30歳代前半だったメンバーは、今や50歳手前に。
とは言え、このスタイルは変えないんでしょうね。りんけんバンドもディアマンテスも変えてませんからね。
— 沖縄の風景 (@coralway39) October 9, 2023
4年ぶりの那覇大綱挽まつり。復活した年中行事は大盛況でした。
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寿命を迎えた原付バイクに代わって、既に2ヶ月も大家から借りっぱなしの自動二輪(125cc)。
バイクレンタルの対価は、私が時々買ってくるエビスビール(500ml×6缶)です。
普段、大家は安い金麦を飲んでるので、エビスを貰えば喜ぶだろうという(笑)
「Cさん、どう?。久しぶりに飲んでく?」などと言ってくれますが、エビス6缶のうち3缶を私が飲んでしまうことになり、さすがにそれマズいかと(^^)
そして一昨日のこと。上間のバイク屋から中古の自動二輪(125cc)が入荷したと連絡がありました。
さっそく仕事帰りに直行したところ、価格は12万円。最近の125ccは人気があるんですよ。
購入の方向で検討するも、それを誰かに賛成して欲しいので、バイク屋の兄ちゃんをモノカゲに連れ込みました。
C「エンジニアとしての意見を聞きたい」
兄「エンジニアって僕のことですか?」
C「そう」
兄「えへへ。ありがとうございます。意見って何を言えばいいんです?」
C「例えば、『お客さん、あれはお買い得ですよ』とか、『あれはちょっと。今回は見送られたほうが・・』とか、そんなこと」
兄「あぁ、わかりました。あれね、僕が乗ってたバイクなんですよ。新しくバイクを買ったんで友達に売ったんですけど、そいつが車を買うことになって、2ヶ月で戻ってきたんです」
C「おー、それは素性がはっきりしてるな」
兄「キチンと整備しましたし、座席シートは貼り替えました。もちろん、オイルなんかは入れ替えてます。あっ、マフラーは新しく見えますけど、僕が色を塗っただけなので新しくないです」
C「アハハ、ありがとう。じゃあ、貴方のバイクを貰うことにするわ」
兄「本当ですか?。ありがとうございます」
前のオーナーがバイク屋の兄ちゃんですから、キチンと手入れをして乗ってたはずですね。今後、修理を頼むことがあれば丁寧に対応してくれることでしょう。
車両登録を済ませて、納車は今週の金曜日になりました。
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国頭村安田の伊部岳中腹に、樹齢300年を超える樫の木が聳え立っているそうです。樹高22m、幹周6m。
仕事の関係で、安田に5年間住んだことがある人(バイトC)から、色々なことを根掘り葉掘り聞いています。
その時に教えてもらったのがこの樫の木。沖縄県のサイトによると、オオ(大)ウラジロ(裏白)ガシ(樫)。裏白は葉の裏が白いからだそうです。
民謡「国頭サバクイ」に歌われたヤンバルの樫の木。サバクイにより伐採され、琉球王府に献木されました。
サバクイは何故、伊部岳の樫の木を残したのでしょう。運搬が不便だったのか、需要が少ない時期だったのか。
その存在をあまり知られていない樫の木ですが、安田集落では、来訪者を案内する、言わば地元の名所みたいな位置付けになっているようです。
バイトCが「行くならガイドを頼んだほうが良い」と言うので、「うーむ」って顔をしていたら、「新聞に載らないだけで、ヤンバルの山では毎月のように遭難者がいるんですよ。毎年じゃなくて毎月です。甘く見ないほうがいいです」と(^^)
甘く見ていた私は一人で行くつもりでしたが、その話を聞いて考え直しました。安田の皆さんにご迷惑をおかけするわけにはいかないのでね。
それにしても5年も住んだだけあって、バイトCは色々なことを実に良く知ってます。私の疑問にほぼ即答ですから、少し興奮しました(笑)
話は変わりますが、国頭村の東海岸で警官の駐在所がある集落は奥と安田。あの広大なエリアの治安を二人の警官が維持してるんですよ。
平和じゃないですか。素晴らしいじゃないですか。
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渡名喜島から望む粟国島。
左端(西端)に断崖絶壁の筆ん崎と、そこから東に向かって続く下り傾斜。粟国島の地形が良くわかります。
粟国島は東シナ海にポツンと浮かんでいるので、小さな島だと思い込んでいたところ、意外に大きな島で、渡名喜島の2倍以上の広さがあることをついさっき知りました。
元彼のサンラー(平良進)から贈られた苗木から花を増やし、ナビィ(平良とみ)の家の庭はブーゲンビリアで一杯になりました。
こちらは、福之助(村上淳)に「でもね。オッパイが小さいのもまたいいもんだよ」と話す恵達(登川誠仁)。
長い間?預かっていた?妻のナビィをサンラーに返す日を迎えた恵達。福之助に孫娘の奈々子を「よろしく頼む」と伝えているかのようです。
最近の風潮ではセクハラになるんですかね(^^)
ナビィの家、別れの浜、大濱商店。
そうした有名な場所のほかに、私が是非探したいのは、家路を急ぐ恵達や福之助たちが歩いた坂道。
私的には、この作品で最高のカットです。
登川誠仁は映画の主演は初めてだったはず。それを事も無げにやってのけたのは、民謡の意味を深く理解しその情景を表現することを繰り返してきたことと無関係では無いでしょう。
映画「ナビィの恋」の公開は1999年。中江裕司監督は39歳でした。
この作品で注目を集めた平良とみは、2年後のテレビドラマ「ちゅらさん」で全国区の女優になりました。
ロケ地探しのコツは、チャプターごとに「とっかかり」となるシーンを見つけることです。
例えば、港でピックアップした奈々子(西田尚美)をトラックの荷台に乗せて、自宅に向かうこのシーン。
「このあたりか」と見当をつけてストリートビューで歩いていると、写真左端の電波塔?を見つけました。手前の道路の角度も合っています。
そして、ナビィと奈々子の視線の先を福之助が歩いているはず。
この地道な(笑)作業を繰り返し、Googleマップにマークしておくと、徐々にロケ隊の動きが読めてくるわけですね。
ロケに使われたナビィの家は後に空き家となり、劣化が進んでいるそうです。そして、福之助が歩いた道路は拡張工事が行われています。
ホテル・ハイビスカスが解体され更地になった今、早急に粟国島に向かう必要があり、次に訪ねる離島は粟国島に決定しました(^-^)v
登川誠仁67歳。西田尚美29歳、村上淳26歳。
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渡名喜島の三日目。最終日です。
二隻で運航しているフェリーのうち一隻がドッグ入りのため、那覇(泊)行きが10:35から15:35に変更になっています。
もっ、儲かった!!(^o^)/
シーブンのようなこの5時間。やり残したことが無いように島を歩きましょう
(1)島の若い女性
写真は渡名喜島の玄関口、フェリーターミナルです。村役場、観光案内所、小中学校、駐在所、診療所、郵便局など島の施設の大半はこの辺りに集まっています。
観光案内所に寄ってみたら職員が若い女性だったので、「エッ!」ってなりました。子供は別として、島で若い女性を見かけませんでしたからね。
こちらは、島の小中学校。
15の春を迎えた卒業生は島を離れます。その後、就職するにせよ進学するにせよ、ほとんど島には戻りません。
つまり、島には若い女性が滅多にいないということ。それが突然、目の前に現れたら、そりゃあ「エッ!」ってなりますよ(^^)
(2)亀の見つけかた
C「渡名喜島には亀が沢山いるそうだけど、遭遇率はどのくらい?」
若い女性「遭遇率と言うより忍耐力ですよ。満潮時に海をじっと見て、ゆらゆらしている黒い影を見つけて下さい。亀は15分に一度、海面に浮かんで呼吸をしますから、それを待つんです。いつまで待っても浮かばなかったら、それは岩か海藻なので次の影を探して下さい」
C「なるほど。見つかるまで待てれば遭遇率100%ってことか」
若い女性「そうです。頑張って見つけて下さい!!」
彼女の言う通りでした。前日通りかかった時には影もカタチも無いように思えた亀が浮上してきました。場所はアマンジャキ付近の海岸です。
C「ありがとうございます。亀を見つけました」
若い女性「おめでとうございます!!」
C「いやぁ、見つかると思って探すと見つかるもんですねぇ」
若い女性「そうなんです。この次はもっと早く見つかると思いますよ」
皆さん。渡名喜島に渡ったら観光案内所へどうぞ。エアコンが効いていて、気楽に休憩ができる島のオアシス。最近、二階にカフェがオープンしました。
(3)島豆腐
集落内に豆腐屋が一軒あります。
ニガリの代わりに渡名喜の海水を使った島豆腐。島民、民宿、食堂などから注文を受け、必要なだけの量を作ります。
民宿の朝食に提供される確率が高いのでお楽しみに。
(4)歴史民俗資料館
渡名喜村の歴史民俗資料館は昨年オープンしたばかり。新築ピカピカの資料館で待ち構えていたのは担当の比嘉さん(オジィ)でした。
お客さんは一日数名。比嘉さんのやる気が私に集中します(^^)
渡名喜島から帰ってすぐに、6年前のこの投稿にコメントをいただきました。
木田大時は琉球王国時代の超能力者でその子孫が渡名喜島で暮らしています。その子孫のお一人(本島在住)がたまたま私の投稿を読み、自分のルーツを辿ってみたくなったと。ついてはもっと話を聞かせて欲しいと。
お役に立ちたい気持ちはあれど、おそらく私の知識では満足していただけないだろうなと思い、日帰りでも良いから(金曜日は日帰りが可能)島に渡って、比嘉さんに会ってはいかがかと提案しました。
比嘉さんのお母さんは序列1位の神女。歴史民俗資料館で島の祭祀「シマノーシ」の記録映像を観ることができます。
(5)帰路につく
20年ほど前に出版され、私の愛読書だった「島を旅する」。最近、その著者である今村治華さん(那覇在住)が私のインスタグラムをフォローして下さったので、お礼のメッセージを送りました。
彼女は国内外、百数十ヶ所の島々を訪ねています。当然、渡名喜島も。
渡名喜島の風景から築20年以下の建物を消去すると、秘境感さえ漂うような島の様子が想像できます。
島には日本軍が駐留していなかったため、戦争被害を受けることが無く、「重要伝統的建築物群保存地区」に指定される大きな要因となりました。
旅行者の一方的で勝手なお願いとしては、更に20年が経っても「まだ渡名喜島がある」と言われる島であって欲しい。
もちろん再訪したい気持ちはあれど、粟国とか伊平屋とか、他の島が優先になるかもしれません。
参考にしたいのに、宿の情報が無いとお嘆きの貴方。すみませんが無いんです(^^)
朝夕の食事は、日常的な家庭料理でした。民宿ですからね。島豆腐、美味しかったなぁ(^-^)v
(終わり)
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島の南部周回道路をバイクで走りました。
スタート地点はあがり浜。まずそこから東海岸を南下します。最初に目に入ってくるのは、シュンザと呼ばれている断崖絶壁です。
昔、この先の畑へ行くには山越の道を歩くしかありませんでした。そこで、島民がシュンザの下の海岸に石を積み上げ、道を通したのです。その道をアマンジャキと呼びます。
アマンジャキを過ぎると、アンジェーラ浜に出ます。人の手が加わっていない、美しい昔のままのビーチです。
そこから周回道路は上り坂にさしかかります。少し上がった場所から振り返る東海岸。
先端のダイヤモンドヘッド風の山は、島の北部の西森(ニシムイ)。その左手にチラッと見えているあがり浜、シュンザを経て、手前のビーチがアンジェーラ浜です。
周回道路は高度を上げてきました。
写真を拡大すると西森の頂上に展望台が見えるはず。そこからの景色は「息を呑む絶景」だそうです。西森は傾斜がキツいので、海を真下に見下ろす視界になるのでしょう。そこで得られるはずの空中浮遊感(^-^)v
西森展望台へ通じているのは散策道だけでバイクは通れません。そのため、集落の外れから片道30〜40分かけて、西森の尾根を歩くことになります。
しかしそれは「息を呑む絶景」のために必要なコスト。「明日にでも息を呑んでみようやないの」と私は心に決めたのでした。
ところが、島のオヤジが言うには「草が茂ってる時はやめたほうがいい」と。簡単にヒルむワタクシ。根性示すだけのために命を失うのではワリに合いません。
さて、周回道路は島尻毛散策道の入口にさしかかりました。こちらも草が茂っていますが、木道が整備されているので安全です。
入口にバイクを停めて、山に囲まれて海が見えない景色の中を歩きました。
少し歩くと、木道は島の南端の断崖へ向かいます。再び海が広がり、その先には慶良間がはっきりと見えています。
島尻毛散策道の先端まで来ました。
ここからグルっと回って、最初の入口に戻ります。
周回道路脇の東屋から眺める南側の海。
その先の大本田(ウフンダ)展望台は周回道路の最高地点。ドラマ「ちゅらさん」のオープニング映像が使用された入砂島が見えています。
眺めの良い場所の東屋は最高です。陽射しが遮られ、涼しい海風が吹いているので、気持ち良く座っていられます。
時刻はまだお昼前。時間はたっぷりあります。保冷水筒の水を飲み、一息入れました。
周回道路の坂道を下り終えた所は西海岸の呼子(ユブク)浜。神が宿ると言われている岩がある浜で、水着でキャーキャーできる雰囲気ではありません。
もっとも、水着でキャーキャーやって良いのはあがり浜だけ。それ以外のビーチは遊泳禁止です。
周回道路はこれでおしまい。バイクは渡名喜港に到着しました。
(続く)
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Twitter(X)で相互フォローいただいてるahaha(原子番号8)さんから、「船で久米島に行くとき経由するけど、船からも穏やかな暮らしが見えてめっちゃ降りたくなる島(笑)」とコメントをいただきました。
その風景がこちら。
ahaha(原子番号8)さんの見立てはめっちゃ的中してます。すぐにでも、途中下船をお勧めしたい。
ところがです。本当に降りてしまうと大変なことになるんですよ。
島の民宿は予約が無いと泊まれません。そして食堂も原則予約が必要。つまり、フラッと降りたのでは、寝る場所も食事も与えてもらえないんです。そして、翌日まで船は来ません。やむを得ず野宿をすればハブの餌食に。
島にとって、無い袖は振れないと言うこと。一つ前の投稿で概ねお分かりですよね。
さて、二日目の朝を迎えたあがり浜です。日の出方位アプリによれば、この日のアガイティーダは読谷から現れました。
今回、私は島に二泊しました。一泊では行く日と帰る日の二日になり、常に荷物をかかえて移動することになります(コインロッカーはフェリー乗り場にあります)。
その点、二泊すればナカビの二日目は宿に荷物を置き、好きなタイミングでシャワーを浴びたり、エアコンをかけて昼寝をしたり、場合によっては明るいうちからビールを飲めますね。素晴らしいじゃないですか。
ところで、島には交通機関がありません。バス、タクシーはもちろん、レンタカーもレンタバイクも無し。唯一の交通手段として、観光案内所で自転車を貸してくれます。普通自転車4台と電動アシスト付きが2台。
集落内は徒歩や自転車で問題ありませんが、島の南側を一周する周回道路はどうでしょう。
ワタクシは来月で66歳。電動アシスト付き自転車で、あの急峻な周回道路は走れないと考え、フェリーにバイクを積むことにしました。大家に借りてるあのバイクです(笑)
周回道路は絶景の連続です。「バイクは無理」な方は、予約時に宿と交渉してみて下さい。宿の人が車で案内してくれるかもしれません。
9月の沖縄のこと。今回は考えもしませんでしたが、徒歩はアリと思いました。
標高150mほどの山に車道を歩いて登るのですから、ハイキングコースとしては最適と言えるでしょう。距離は島尻毛散策道などに寄り道しても10kmにはなりません。
かつて、ここを歩かされた知念の三女が「騙された。二度と行かない」と怒っていましたが、歩くことを人生から極力排除したい標準的ウチナーンチュの考えですから、聞き流して良いと思います(笑)
(続く)
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先週末、久しぶりにワタリグチと久茂地で飲みました。ワタリグチのお父さんは渡名喜島出身で知念のお母さんとは姉弟です。
沖縄本島生まれの彼は島で暮らしたことがありません。しかも「最後に島に渡ったのは子供の頃」らしいので、初めて島に渡ったばかりの私にあれこれ教えてもらうハメに(^^)
そして、「いい島ですねぇ。行ってみたくなりました」と言うてました(笑)
島の東海岸。上ノ手展望台から眺めた渡名喜集落とあがり浜。
集落背後の山の斜面に段々畑の跡が見えます。平地が狭いため、かつて、集落周辺の山々はその頂上付近まで耕作地となりました。
島で暮らすには、これほどの労力が必要なのかと、思い知らされる風景でした。
あがり浜は島一番の美しいビーチです。海岸沿いに東屋とベンチが置かれているので、日陰でゆっくり海を眺めることができます。
さて、上ノ手展望台から集落へ戻ってきました。こちらもフクギの日陰を歩けます。
道路が碁盤の目になっていて、風景は白砂、石垣、赤瓦、フクギ。私は何度も方向感覚を失ってしまいました。
島の食堂でお昼を食べていると、島に二軒ある商店の一つ、桃原商店のオバさんと相席になりました。
お肉を毎週、知念精肉店から仕入れているそうで、去年まではワタリグチが冷凍箱詰めして、泊港に運んでいたようです。
桃原商店は本島の共同売店よりも更に規模が小さく、品揃えもわずか。島の人達はどこで食料を手に入れるんだろうと不思議でした。
島の商店には商社機能があるんですね。島民から注文を聞き、本島に発注します。本島で注文を受けるのは知念のお母さんのような、島出身の商店主。
島の血で繋がった人達のサプライチェーンが成立してるということ。桃原商店に到着した商品は直ちに注文主に渡されるので、商店に在庫は残らないわけです。
そして、決済金融機関がこちら(^-^)v
夕方になると、集落を東西に貫いている村道一号線のフットライトが点灯します。
西海岸のてぃだ広場から眺めた夕陽と入砂島。
そして、すっかり日が暮れた村道一号線。
かつて、ワタリグチ姉弟がこの道を走り抜けていたころとの違いは石垣が減り、コンクリートブロックが増えたことくらいでしょうか。
フットライトを選んだことで、景観を損なう照明柱が不要です。加えて、星がよく見えるので大変結構だと思います。
(続く)
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念願だった渡名喜島へ渡りました。
渡名喜島は東シナ海に浮かぶ久米島、粟国島、慶良間諸島を結んだ三角形の丁度真ん中に位置し、周囲の三島を肉眼ではっきり見ることができます。
島の夜、東の空だけが妙に明るいのはその方向に大都市那覇があるからでしょう。
冒頭の写真でわかるように、島の北部と南部が丘陵地になっていて、二つの丘陵地に挟まれた平地に集落が形成されています。
そして、Googleマップがこちら。
これはもう一目瞭然。かつての渡名喜島は北島と南島に分かれていたんですね。二つの島に挟まれたリーフに砂が堆積し、平地になりました。
渡名喜集落には碁盤の目のように村道が通っていて、路面は舗装されていません。そして、車がすれ違うことのできない道幅。
島で100年以上続いている「早起き会」では、集落の皆さんがラジオ体操(ウチナーグチ版)を済ませた後、竹ぼうきで村道を掃きます。そして、珊瑚の道(coralway)に竹ぼうきの筋が残ります。
暴風対策のために、渡名喜島の民家は土地を路面よりも掘り下げて建てられています。
次の写真の民家は1m以上掘り下げられているので、ヒンプンの前に立つと目線の高さに路面や石垣があります。
建物が低い位置にあるので、石垣を高くする必要がなく、石垣を超えてきた風はフクギに遮られ、フクギを抜けた風が屋根にあたります。
暴風に対処する工夫が、結果的に、白砂の道、石垣、赤瓦の屋根、緑のフクギのバランスを良くしていて、渡名喜島の美しい集落景観が形成されています。
「じゃあ、大雨になったら民家が浸水するんじゃないの?」と心配になりますが、地面が吸水力抜群の砂ですから、雨水は地面に残りません。
国が定めた「重要伝統的建築物群保存地区」は沖縄に2ヶ所しかありません。竹富島と渡名喜島。
観光地化が進み、高級リゾートホテルまで建ってしまった竹富島と、伝統的な集落景観の中に人々の暮らしを感じることができる渡名喜島。
(大丈夫)「まだ渡名喜島がある」。
秀逸なキャッチコピーにいたく納得したので、投稿のタイトルに使わせていただきました。
(続く)
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やんばるの東海岸(国頭村、東村)には給油所が3ヶ所ありました。
南から東村有銘、国頭村安波、国頭村奥。
そのうち、東村有銘の給油所(有銘SS)が今年6月末に閉鎖となり、現在、給油所は2ヶ所です。
有銘SSは東村で唯一の給油所でしたから、車でやんばる東海岸へ向かう際は、「いざと言う時には、有銘に給油所がある」と常に意識がありました。
ところがねぇ。意識があるからこそ、用心して那覇や名護で満タンにしてしまうわけです(^^)。
そして、やんばる東海岸へ向かうような観光客は沖縄の「通」ですから、そこに給油所が少ないことを知っているんです。だから、私と同じように那覇や名護で満タンにしますよね。
なので、有銘SSが頼りにしていたのは東村の地元民。ところが、やんばる東海岸の人口減少に歯止めがかからないことと、エコカーの普及がガソリンの需要を衰退させました。
東村は村有地に給油所を誘致すると言ってますが、構造的に収益を見込めない事業を採算ラインに乗せるには税金の投入が必要になるでしょう。
一方で、給油所が無くなった東村の皆さんは大宜味村や名護市の給油所を利用するほかなく、ガソリン価格が高騰する中、給油のためにガソリンを消費するという事態に陥ってます。
経済合理性の名のもとに統合(すなわち廃校)が進むやんばるの小中学校。
国頭村安田の区長が「産業が無い上に学校まで無くなってしまったら、我が子であっても『安田に住んで欲しい』とは言えない」と訴えていました。
加えて、公共交通機関の無い、車に頼らざるを得ない地域でありながら、給油所の採算がとれなくなっています。
沖縄県は日本の「へき地」であり、ナイチの日本円を含めた「外貨」を稼げるような産業もありません。
ところが、道路や上下水道などのインフラは国民が等しく享受できるものでなくてはならず、沖縄県には多額の税金が投下されています。
「へき地」であることを理由に獲得した予算を、沖縄県は沖縄の「へき地」であるやんばるに、きちんと分配できているのか?
久茂地や旭橋、壺川だけが沖縄ではないのですよ。
やんばる東海岸の給油所が減ってしまうのは、元を辿れば、やんばるの過疎化を放置した県政の怠慢と言えるでしょう。
やんばる東海岸に人が住まなくなっても「それはそれで良し」と考えているかのように見えてしまいます。
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中古の原付バイクを10年乗り、とうとう寿命を迎えてしまったので、大家の125CCを借りて通勤しています。
自動二輪としては小型の125CCとは言え、排気量は原付の2.5倍。走行時の安心感が違います。
大家がこのバイクを格安で譲ってくれたら、私にとっては大変好都合です。何かと私には「いいよ、いいよ」と言ってくれる大家なので、お願いしてみました。
C「原付が修理できないって言われてね」
大「あれ。じゃあ、しばらく乗ってればいいさぁ」
C「ありがとう。それで相談なんだけど、あの125CCを譲ってもらえないかな。10万円以上は難しいけど、それ以下ならなんとか」
大「うーん、どうしよう。しばらく考えさせて」
C「あれは去年買ったんでしょ?」
大「そう。中古を10万円で」
C「あぁ、そんな感じだよね」
大「それがさ。買ったのが先輩からだわけ」
C「あらぁ。先輩が譲ってくれたバイクを翌年に売るのはマズいなぁ」
大「へんなー、なるからね」
C「わかった。なるべく早くバイクを探すから、もうしばらく貸しといて」
大「いいよ、いいよ」
残念ながら大家からバイクを譲ってもらう交渉は不調に終わりました。
理由は「へんなー」だから(笑)
このブログの読者に125CCを売りたくて仕方がない方がいらっしゃれば、是非、お声がけ下さいませm(_ _)m
あっ、「へんなー」は沖縄の言葉で、「気まずい」の意味です。念のため。
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泉崎ホテル(仮名)で駐車場の仕事に就いて早や半年。初めて経験するシフト勤務がどうもしっくりきません。
シフトは早番(7時〜15時)と遅番(15時〜23時)で、交互に三勤一休を繰り返します。早早早休遅遅遅休。
曜日と無関係に休日になるので、私の生活には「週末」がありません。
通常なら「次の週末に何をするか」を考えるでもなく考えて、徐々に予定が定まっていくものですが、今の私はある日突然に休日を迎える感じ(^^)
40年以上前、私は某鉄鋼メーカーに入社しました。工場は365日24時間体制で生産を続けていて、工場採用の従業員は3交代の8時間勤務に就きます。
親しくしていた18歳の男の子が「Cさん、これじゃあまるで家畜ですよ」と嘆くこと。曜日も昼夜も無い、働いて寝るだけの生活を彼は「家畜」と呼んだのでした。
駐車場の営業は7時から23時まで。夜中の勤務が無いので彼よりはマシですが、彼の気持ちが今になって良く分かります。
「このままではまずい」
と思っていたら、久しぶりにアルバイトの応募があり、来週末から加わってくれることになりました。
これまでの3名体制では、所定の休みはとれるものの、休むタイミングやその日数に制約がありました。4名体制になると、その自由度がグッと増します。
離島から私を呼ぶ声が聞こえてきますねぇ。そのためにこの仕事を選んだんですからね(^-^)v
]]>JUGEMテーマ:地域/ローカル
C「満潮時、この海岸には亀が現れるそうですね」
島の女性「はい」
C「遭遇率と言うか、どのくらいの確率で会えますか?」
島の女性「うーん。確率と言うか忍耐力ですね」
C「?」
島の女性「海中に黒い影をみつけたら、たいていは亀です。亀は15分間隔で呼吸のために海面に顔を出しますから、それをずーっと待ちます」
C「なるほどぉ」
島の女性「顔を出さない場合、それは岩や海藻ですから、別の黒い影を見つけて下さい」
C「そうかぁ。忍耐強く黒い影を探して待てと。会えるまで待てれば遭遇率100%だ」
島の女性「そうです。待てれば必ず会えます」
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10年ほど前。私が農連市場で仕事を始めた時に、某青果店の長男から通勤用に借りた原付バイク(後に譲ってもらった)。
20年近く前のモデルで、その生涯の後半10年を私の足として働いてくれました。
それがとうとう修理できなくなり、バイク屋に処分をお願いすることに。
沖縄本島の北部はさすがに無理ですが、中南部はこのバイクの行動圏内にあり、行く先々で見たことをこのブログに投稿してきました。
今後の投稿に、このバイクはいないことになります。後にブログを読み返す時のために、ここでマークしておきましょう。
さて、大切な足を失った私はどうするか(^^)
アパートの大家は軽自動車を2台、軽トラックを1台、125CCのバイクを1台持っています。
先日の一週間台風の際は軽自動車を借りました。そして、原付バイクを修理に出したここ十日ほどは125CCを借りてます。
ホテルの従業員が「優しい大家さんですねぇ」と感心してました。どんなことを頼んでも「いいよ、いいよ」と言ってくれるので、確かに優しい大家です。
ところが、最近になってある事実が発覚したんですよ。
この10年。アパートには多くの人が入居し、退居してきましたが、そのうち、月々きちんと家賃を納めていたのは私だけらしいです。中には家賃を踏み倒して退居した人もいるそうで(^^)
いやぁ、全く知りませんでした。
そりゃあ大家は私に優しくしないとねぇ(笑)
まだ大家には話してませんが、私は今借りている125CCを安く買い取ることを企んでいます。10万円を超えると手が出ないので、なんとかそれ以下で。
さて、優しい大家は「いいよ、いいよ」と言うのか?。言わないのか(笑)
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もう13年になりますが、当時通っていた古波蔵のスナック「MIKAN」が9周年の記念祭を開催することになり、私が店内に掲示するポスターを作りました。
45分くらいでチャッチャと作ったポスターでしたが、ママや女の子(?)には好評で、それに気を良くした私は、古波蔵の居酒屋「エール」のヨレヨレになっていたメニューも更新することにしたのでした。
更新後のメニューがこちら。
マスターは大喜びで、生ビール(大)の引換券を5枚も奮発してくれました。
先日、7、8年ぶりに「エール」に顔を出したら、そのメニューが今も使われていました。
こちらが裏面、
軽く感動してしまいました。これは新しいメニューを作らねば。
光沢紙やフォルダーをダイソーで買って準備完了。近々、新しいメニューを届けるつもりです。
二度の引越しで古波蔵から遠ざかり、「エール」からも遠ざかってしまいました。これからは三か月に一度くらいは「エール」で飲んで、メニューの更新があれば対応しようと思いました。
ところがねぇ。沖縄に来て以来通ってた散髪屋をこの春に変えてしまったんですよ。その散髪屋まで「エール」から徒歩10秒。今、散髪屋のオジィに会うのは気まずいのよね。
やっぱり、「エール」は半年に一度くらいにしておくか(笑)
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今日は立春から数えて210日目。雑節の「二百十日」です。
稲が開花する時期であり、台風に見舞われる時期でもあります。農家にとって油断ならない時期の一日を「二百十日」と定め、自らを戒めることにしました。
戒めるは、人を叱る時などに使う言葉ですが、「まちがいをしないように前もって注意する」という語感ですね。
で、二百十日の沖縄はこんなことになってます。
鬱陶しいわぁ。まるで小蝿ですよ、小蝿。
3つの台風以外にも、ベイビーが2ついるそうで、来週、沖縄を目指すのだと思います。
いっそのこと、那覇空港に着陸するつもりで、並んで来ればどうかな(^^)
本土に住んでいた時は、台風8号の次がいきなり13号になったりして、その間の4つは何処に行ったのかと思うことがありました。
その点、沖縄はほとんどの台風を順番に相手にしています。しかも若くて元気のいいやつばかりをね。
今、沖縄近海にいる3つの台風は微妙に沖縄を外れているので、油断は禁物とは言え、大したことは無いでしょう。
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旧盆ナカビのこの日。エイサーを観ようと思い立ち、東風平公民館前広場へ向かいました。
東風平青年会のエイサーを観るのは今回が初めて。黒と白を基調とした装束とパーランクーは平敷屋スタイルですね。
あっ、そうそう。東西の平敷屋青年会エイサーチームが統合されたそうです。メンバーの減少がその理由だとか。
東西のエイサーは似て非なるもの。「統合されるのなら踊りたくない」と話すメンバーもいたようで、そりゃあそうだよなぁと思います。
統合チームを誰がどのように指導するのか。問題山積の状況で、東西の青年会は「エイサーを続ける」ことを選んでくれました。
さて、東風平青年会エイサーの始まりは比較的最近のことで、2008年だそうです。
コダワリが無いと言えば良いのか、明るいエイサーを目指していると言えば良いのか、平敷屋エイサーと比較することにあまり意味は無いように思えました。
旧盆の期間中、沖縄の各シマには県外、海外から沢山の人が帰省して来ます。その時、懐かしい顔が集まり楽しめる行事が必要になりますね。
その行事にエイサーはうってつけと言えます。
この日。東風平公民館前広場には沢山の人達が集まり、あちこちで再会を喜ぶ様子を目にすることができました。
もちろん、グソーから帰省中のご先祖様もその輪の中に加わっていらっしゃるのですね。
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開業20周年を迎えた沖縄都市モノレール。混雑の緩和を目的に、三両編成のゆいレールが営業運転を始めました。
現在のところ、三両編成の車両は二編成だけ。今年度中に更に三編成が追加の予定です。
X(Twitter)とInstagramに三両編成の動画をアップしたところ、さっそくikokaさんから「ホームの長さは大丈夫なの?」とコメントがありました。
いや、わかります。ご心配はよ〜くわかります。
行き当たりばったりと言うか、その場しのぎと言うか、なかなか先を読め(ま)ないのが沖縄の行政。
「赤嶺駅と県庁前駅では最後尾の車両のドアが開かない」とか、「軌道の強度が足りず、軽量化のため三両目はやや短い」とか、いかにもありそうじゃないですか(^^)
ところがですね。ゆいレールの全ての駅のホームは三両編成を想定した設計になっていて、安全扉の増設などはあるものの、ホーム自体の改修は不要だったそうです。
な〜んだ。やればできるじゃないですか(^-^)v
とは言うものの、先見の名があったかと言えば、それはやや微妙です(^^)
沖縄都市モノレール株式会社が設立されたのは1982年のことでした。当初は、軌道の強度もホームの長さも車両も、全て四両編成を想定していたそうです。
ところが、計画が具体性を増すにつれ、乗客数の見積りが、どんどんと低い数値に置き換えられてゆきました。「果たしてウチナーンチュはモノレールに乗ってくれるのか?」とか、色々と心配になってきたんですね。
そして、ホームの長さは三両分で良いだろうとか、車両は二両編成にしておこうとか、安全な(弱気な)事業計画が策定されたんです。
しかし、当初の心配をよそに、ゆいレールは着実に乗客数を増やしてきました。そして、三両編成の営業開始。
強いて言うならば、「需要予測は低目に外れたけど、結果はオーライ」みたいな(^^)
さて、観光客の皆さん。混雑するゆいレールにキャリーケースを抱えて乗る時、肩身の狭い想いをされたことがありませんか?。ゆいレールは三両編成になったことで混雑が緩和され、荷物置き場が広くなりました。
空港でレンタカーを借りるると時間がかかってしまいます。まずはゆいレールに乗って、ホテルにチェックインしてはどうでしょう。
レンタカーはそれからでも、翌日でも良いと思います。沖縄旅行の始まりは(終わりも)ゆいレールで是非。
ゆいレールの民謡メロディを聴くと、「あぁ、沖縄に来た」と思うし、帰路では「また沖縄に来よう」と思うでしょ?
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私が住んでる築48年のアパート。急な斜面に建っているので眺望、陽当たり、風通しが良く、前の道が袋小路なので騒音がありません。
つまり、建物がオンボロなこと以外は申し分なし(笑)
数年前のこと。一階に住んでいた大家の婆さんがボケて施設に入り、一階は無人となりました。二階の右端にオヤジ(私)と左端にもオヤジ(^^)
昨年の秋、大家の婆さんが亡くなったのを気に、大家の息子が一階に越して来ることになりました。
息子は奥さんと娘(中学生)の三人家族。ワンルーム二部屋分の広さがあるとは言え、少し手狭だろうなと思っていたら、越して来たのは息子だけ。
「アハハ。離婚したんだよね(^^)」
とのこと。
大家の婆さんが亡くなったことで、息子夫婦の間で何らかの「清算」が行われたのではないかと。知らんけど。
息子の入居と前後して、息子の知り合い一家が入居してきました。夫婦と息子二人(中、高)、娘一人(中)の五人家族。
その五人が一階左端と二階中央の二部屋で暮らすことになったんです。夫婦部屋と子供部屋?。男部屋と女部屋?。部屋割りに悩む二階右端のオヤジ(笑)
閑散としていたアパートが入居以来初の満室となり、一気に賑やかになりました。
ところが、先月のこと。
息子「あれらなんか。今月末で出るってよ」
C「あくどい家賃の取立てにあったか(笑)」
息子「違うさ。草刈りやらアパートの修繕やらやってくれたから、家賃はこれからだよ」
C「そうなんや」
息子「あの夫婦は名前が違ったさ」
C「あぁ、偽装離婚ってやつな」
息子「それがさ。元々結婚してなくって、男は女の彼だわけ」
C「ギャハハ、偽装離婚を偽装したかっ!!(笑)」
息子「あれらなんか、仲良かったさ」
C「そうかぁ。交際中だから(笑)」
息子「入居者を募集しないとね」
C「女性はやめとけば?」
息子「なんで。女性がいいさぁ」
C「一ヶ月もしないうちに、自分以外は皆オヤジって気づくよな」
息子「そしたら出るかな?(^^)」
C「出るよなぁ(笑)」
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男「Cさん。Hさんと◯◯してるでしょ」
C「へぇ、もしそうなら光栄やわ」
男「証拠があるんですよ」
C「アホやな。事実があっての証拠だろ?。事実が無いのに証拠って。カスみたいなもんやな」
男「見せましょうか?」
C「ムナしいからいいわ」
男「じゃあ、やめときます」
C「あら?」
男「なんですか」
C「おまえ、Hさんを。あらぁ(笑)」
男「何言ってんですか」
C「それなのに、俺の証拠がどうやこうやって。おーい。長い道のりやなぁ」
男「・・・」
C「まあ、頑張りなさい(笑)」
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警官は停職一ヶ月の期間を終え、先週から勤務を再開してるはず。私はこのタイミングで辞職すると予想しましたが、まだそのニュースはありません。
事件直後の警官の行動がSNSで拡散し、沖縄署が襲撃される発端となりました。警官は自分の行動がこれほどの大騒ぎになるとは思ってもみなかったことでしょう。
以降、警官は沖縄県警で取り調べを受ける立場となりました。そして、供述を二転三転させ、保身に走る警官の様子が度々報道されてきました。
事件から1年7ヶ月。警官が高校生(当時)に謝罪したとは聞いていません。
「謝れよ」と思いますね。
懲役が15年以下か5年以下かの瀬戸際にいる警官は、高校生やその家族に迂闊なことを話せないと考えているのでしょう。また、沖縄県警の上層部から高校生との面会を禁じられてもいるでしょう。
だからと言って謝らなくて良い理由にはなりません。
大怪我をさせた相手に1年7ヶ月も謝らないなんて、どんな理由を並べたところで、誰も「なるほどなぁ」とは思いませんよ。
これからでも遅くはないので、あの事件の日に何が起きたのかを正直に話し、謝罪する。それが大人の振る舞いと言うものです。
相手は高校生じゃないですか。
(終わり)
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沖縄県警が警官を特別公務員暴行陵虐致傷罪(15年以下の懲役)で書類送検し、起訴を求めたにもかかわらず、那覇地検は業務上過失致傷罪(5年以下の懲役)に罪名を変えて起訴しました。
警官が高校生(当時)に怪我を負わせたことを故意と断定するには証拠が不十分だと判断したようです。
高校生やその家族の怒りや悲しみはいかばかりかと思います。
高校生は新聞の取材に「この国では警察と対立した被害者は損をすると身をもって実感した」と答えたようです。
家族もまた「結局、高校生よりも警官の言うことを信用するのか」と思ったはずです。
那覇地検が業務上過失致傷罪で警官を在宅起訴したことを受け、沖縄県警は7月14日に警官を停職一ヶ月の懲戒処分にしました。
たった一ヶ月。
ネットで調べてみると、ある地方公務員が勤務中、水筒に入れた酒を飲み、停職一ヶ月の懲戒処分になったと伝えるニュースがありました。停職一ヶ月はその程度の処分なんです。
高校生やその家族の心情は察するに余りあります。
沖縄県警と那覇地検はお互いに情報交換しつつ、書類送検や起訴の判断を下しているはず。どうやら沖縄県警は沖縄地検が罪名を変更すると、あらかじめ分かっていたようです。
そして、このように述べています。
「巡査の不注意だったと片付けてしまえば、失明した高校生側や県民への説明が付かず、『身内びいきだ』との批判から逃れられない。対外的に厳しい対処を見せる必要があり、『県警として精いっぱいの容疑』で書類送検することを選んだ。」
つまり、沖縄県警の対面を保つために、そうしたということ。
いったい、何をやってるんですかねぇ。
(続く)
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この警官は、高校生(当時)を警棒で殴った後、そのことを報告する義務がありながら管轄署に連絡をとっておらず、さらに、高校生が救急車で運ばれた現場で慌てふためく様子を高校生の友人達によって撮影されています。
県警本部の捜査に対しても、当初、警棒は使っていないと証言したものの、後に警棒から血痕が検出され、証言を変えています。
市民の生命、身体、財産を保護するべき警官がその義務を怠ったばかりか、高校生に大怪我をさせてしまったのです。そして保身のための偽証。
このような人物が何故警官なのかと思いますね。
沖縄県警は「一定の速度で向かってくるバイクを止めようとつかみかかる行為自体が故意の暴行に当たり、不適正な職務執行だった」としています。
つまり、つかみかかったことは故意だったが、高校生に怪我をさせたことは過失だったと言ってるのです。
そんな話を高校生やその家族が納得できるはずがありません。
今年の6月29日。那覇は罪名を特別公務員暴行陵虐致傷罪から業務上過失致傷罪に変えて、警官を在宅起訴しました。
警官の行為は過失であると。特別公務員暴行陵虐致傷罪が15年以下の懲役に対して、業務上過失致傷罪は5年以下の懲役。つまり、交通事故と同じなんです。
(続く)
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事件から9ヶ月が経った、2022年11月2日。沖縄県警は高校生(当時)を失明させた警官を特別公務員暴行陵虐致傷の疑いで、那覇地検に厳重処分の意見を付けて書類送検しました。
特別公務員暴行陵虐致傷罪は警官や刑務所の看守などの特別公務員が被疑者などに暴行を加えた場合に問われる罪で、15年以下の懲役に処される重罪です。
警官が警棒の使用を許されているのは、被疑者を逮捕する時か自分の身を護る時に限られています。
また、警棒を使用する際は、過剰防衛にならないよう、首から下を叩く(殴るのではなく)など、被疑者を制圧するために必要最低限の打撃とすることが定められています。
暗闇の中、警官は伸ばした警棒を手に持ち、高校生のバイクを待ち伏せしていました。警官は何をしようとしていたのか。
警官の自供の通り「バイクを停止させて職務質問をしようとしていた」のなら、何故伸ばした警棒が必要だったのか。
高校生は「突然、路地の暗がりから警官が現れ、次の瞬間、バキッという音とともに頭に衝撃が走った」と証言しています。
高校生の証言の通りなら、この警官は警棒を使ってバイクを停止させようとし、高校生に重傷を負わせたことになります。職務質問の手順としては極めて不適切であり、特別公務員暴行陵虐致傷罪に問われるのは当然のように思えました。
(続く)
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2022年1月27日の未明。沖縄市宮里の路上で、警官が手にしていた警棒が、バイクに乗った高校生(当時)に接触し、高校生の右目を失明させた事件。
供述を二転三転させ保身に走る警官には呆れかえりましたが、かと言って私にできることは無く、事件から一ヶ月が過ぎた頃、その現場を訪ねてみることにしました。
バイクに乗った高校生の視点です。右手の塀の陰に警官が隠れていました。
こちらが警官の視点。警棒を手に路上に現れた警官が高校生につかみかかりました。
高校生が乗ったバイクは転倒することなく、現場を去りました。
この時既に高校生の右目眼球は破裂しており、宮里の住宅地を走り抜けた高校生はバイクを停め、薄れる意識の中、救急車を呼び、友人に連絡したのでした。
この自販機の前で高校生は救急車に収容されました。
その時、この場所には高校生の友人達が集まっていて、付近にいたパトカーも到着していました。
その中に、警棒で高校生を傷つけた警官もいたんですね。その慌てふためいた様子を高校生の友人達が動画におさめていました。
(続く)
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東シナ海に浮かぶ渡名喜島は農連プラザ知念精肉店のお母さん(シズエさん)の生まり島です。
島の観光協会が考えたキャッチフレーズは「沖縄の原風景が残る島」、「何もしないことができる島」。
赤瓦の集落とフクギ並木、白砂のビーチ。観光地化されていない竹富島をイメージすれば、当たらずと言えども遠からずではないかと。
属島の入砂島は米軍と自衛隊が射撃訓練に使用している無人島で、シズエさんによれば、3km離れた渡名喜島まで爆撃音が聞こえるとのこと。
ドラマ「ちゅらさん」のオープニング映像に使われた島でしたが、日米の爆撃機がここにバラバラと爆弾を落としていたとは誰も思わなかったことでしょう。
渡名喜村の人口は307人(2023.7)で、国内2番目に小さな自治体です。面積も小さいほうから2番目(^^)
島の主要人物(村長とか村会議員とか)は、シズエさんの子分の世代で、ネェネェに絶対服従を誓った人達です(笑)
数年前にアーサが深刻な品不足になった時、シズエさんは「シマから運ばせるから大丈夫」と余裕の表情でした。おそらく、漁業組合長が動いたのだと思います。
やはり数年前のこと。シマの教育長が官製談合で逮捕される事件がありました。さっそくシズエさんに報告すると、「あの子はそんなことをしない」と。「もし本当なら、誰かに騙されたに決まってる」と。
教育長はクビになってしまいましたが、その後、村会議員選挙に立候補し、見事に当選。シズエさんが「ほ〜らごらんなさい」みたいな顔をしてました。
それにしても村会議員選挙のトップ当選が50票で、当落ラインが25票。島民の誰が誰に投票したか(しなかったか)ほぼ分かるでしょうね。オソロシヤ(^^)
この夏(あるいは秋に)、私はこの島に渡るつもりです。
渡名喜島にはバスやタクシーは走っておらず、レンタカーもありません。島のホームページには「歩きやすい靴でお越し下さい」と書いてありました(^^)
知念精肉店の三女が「島の展望台まで歩かされて死にそうになった」と言ってたので、アパートの大家のオートバイを拝借して、フェリーで運ぶことにします。
宿は古民家をリニューアルした民宿があるようです。一泊では、日中、部屋を使えませんから、少なくとも二泊はして、疲れたら逃げ込む場所を確保したいものです。そして、「何もしないことができる島」を体験したいと思います。
写真は島の西海岸と東海岸を起点(終点)とする、幹線道路。日没後にフットライトが点灯するようです。
フットライトは足元を明るく照らすととに、星空を見上げる時の邪魔になりません。ちゃんと考えてあるんですね。
島に渡ることをシズエさんに話すと、色々と便宜を図ってくれそうですが、それはそれで気を使ってしまうので、事後報告にしようと思ってます。
「なんで言わないっ!!」と叱られるかもしれませんが、距離感ね、距離感(笑)
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