沖縄の冬

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    明日から師走ですね。

    さすがに朝夕は半袖ではつらくなってきました。とは言っても、寒いということはなく、「ちょっと心細いな。」という感じです。

    昼間は、今でも半袖で外に出ますし、バスはエアコンをつけて走っています。

    沖縄を代表する花を選ぶとすれば、ハイビスカス、ブーケンビリア、アリアケカズラなどでしょうか。

    昨日、散歩に出ると、自宅近くの漫湖公園の入り口に、ブーケンビリアが咲いていました。



    「咲いていました。」と言っても、単に私が気づかなかっただけで、9月頃から来年の5月頃まで、ずーっと咲いているようです。

    漫湖公園を湖岸まで歩くと、アリアケカズラが、ジョギングコースに沿って、ずーっと咲いています。

    アリアケカズラの開花時期は特にありません。つまり、一年中咲いているのです。



    散歩のついでに、バスに乗って買物に行きましたが、窓から歩道を眺めていると、あるバス停から次のバス停までの間、途切れずに、ずーっとハイビスカスが咲いていました。

    特に手入れをして育てている様子は無く、勝手に咲いているようです。きれいな花に対して失礼ですが、ほとんど雑草扱いです。この花も年中咲いています。

    そろそろ冬だと思いたいのですが、これでは無理です。

    年が明けて、1月中旬になると、本部や名護で「桜祭り」が始まります。春なのです。

    今から、それまでの間に、ちょっとぐらいは、「冬」と思える日があるのでしょうか。暖かくて快適なのですが、どうも、気持ちが落ち着きません。

    東京の通勤風景がテレビに映り、寒そうに歩いている人を見ると、不思議ですが、「ちょっと、うらやましい」気持ちになります。

    ウチナーンチュは、この時期、コートを着たり、マフラーを巻くチャンスをうかがっているそうです。少しでも寒い日が来ると、冬の装いで街に出るのです。

    以前は、そんなことなら冬服など買わなければ良いのに、ばっかだなぁと思っていましたが、その気持ちが、なんとなくわかってきました。

    ホーチミン・シティの風景(2)

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      スタッフ4人のうち、3人は全く英語がしゃべれません。

      唯一、片言の英語ができる男性スタッフは、マダムが留守中はフロントを担当しています。

      緊張して、「絶対に、誰も来てほしくない。」と願っているのが、手に取るようにわかります。そう思っていると、客は来るのですね。

      しどろもどろで、なんとか料金の説明をして、客を部屋に案内し、フロントに戻ってくると、安堵の溜息をつきます。

      彼は、それ以来、びびり君という名前になりました。

      2人の女性スタッフは、(浅田)美代子ちゃんとコブタちゃんです。

      美代子ちゃんは、部屋の掃除を担当し、コブタちゃんは、毎朝、卵を焼いてくれます。

      あと一人はYシャツ君です。

      日本の感覚で言えば、スタッフは2人で充分と思えるのですが、4人いるので、仕事は直ぐに終わってしまい、たいてい、ロビーで暇そうにしています。

      ある日の夕方、私と3人のスタッフが、ロビーで夕涼みをしていました。

      私が、「ピットロンを食べたい。(日本語)」と言うと、「おいおい。ピットロンって何だ?(ベトナム語)」、「何だろう。xxじゃないの。」、「いや違う、きっとxxのことよ。」と全員で相談しています。

      私が、卵の絵や、ひよこの絵を描いて、何とか理解させようとするのですが、ダメです。

      何かの拍子に、「おい。ビッ・ロンじゃないのか?」とYシャツ君が言うと、美代子ちゃんとコブタちゃんが、私の描いた卵とひよこを見ながら、声を合わせて「そうだ!!」と叫んでいます。

      Yシャツ君が得意そうに「何だ、最初からそう言えよ。」とあきれています。(全部、推測です)

      Yシャツ君が向かいの路地へダッシュして、5分もしないうちに、ホカホカの卵を買ってきてくれました。

      それから、「卵はこうして割れ。」、「スプーンはこう入れて。」、「香辛料をいれて。」と、まあ色々と世話を焼いてくれます。

      私が一口食べると、全員シーンとしてこちらを見ています。

      「うまいっ!!(日本語)」と言うと、全員が「やったー。」、「よかったー。」と大喜びです。

      またまた、「この草は毒消しだから一緒に食べて。(美代子)」、「男なら2つ食べろ。(Yシャツ)」などと、世話を焼き始め、落ち着いて食べれません。

      孵化直前の卵を茹でて食べるビッ・ロンは、日本ではグロテスクな印象でしたが、味は普通のチキンでした。殻の中に溜まったスープもこくのある良い味でした。

      これはお勧めです。

      街に出て行く楽しみと、ホテルに戻ればマダムやスタッフとの楽しみに、予定の日数がすぐに過ぎてしまいました。

      ある日の昼過ぎ、Yシャツ君に、「おい。写真をとってあげるよ。」と言って、ホテルの前に連れ出しました。
      試しに、「きをつけぃ!!」と日本語で言うと、本当に「きをつけ」をしたのには、笑いました。

      本当に気持ちの良い男です。




      近藤紘一一家が暮らした、ファングー・ラオ通りの幽霊長屋は、今は、薬の問屋が入居していると、何かの記事で読みました。

      探してみたのですが、なにしろ看板が読めないので、場所はわかりませんでした。

      また、ナウさんの実家は、ファングー・ラオ通りから徒歩圏内にありますが、言葉が通じないのに、訪ねてみても迷惑なだけでしょうから、やめました。

      いずれも、現地で通訳を雇えば、簡単にわかると思います。

      ホーチミン・シティの風景(1)

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        少し前に、ベトナムのホーチミン・シティを一人で旅行しました。

        元産経新聞記者、故近藤紘一氏の眺めた風景を、同じ場所に立ち、眺めてみたかったのです。

        写真は、マジェスティックホテルのスカイバーから見たサイゴン川の風景です。



        サイゴンを訪れた近藤紘一ファンなら、あの文章を思い出しながら、この風景を見たいと思うはずです。


        今も、はっきりと覚えている。
        あのとき、私は、はるかに連なる緑と水と南国の大空を見渡しながら、自分がいつか必ず、この心広がるような風景の中に戻ってくるであろうことを、予感した。
        別に自分の職業とはかかわりのない予感だった。
        仕事のためではなく、ここを自分の人生の重要な場とし、ここで何かをつかむために戻ってくるだろうと思った。(「したたかな敗者たち」)


        近藤紘一について投稿するのは、別の機会にして、今日は、サイゴンで滞在したホテルの様子について投稿します。

        ウチナーンチュが沖縄市をコザと呼ぶように、ベトナミーズはホーチミン・シティを、誇りとともに「サイゴン」と呼びます。

        サイゴンでのホテル選びは、一泊20ドル以下、ホットシャワー、清潔なベッドを条件にしました。

        ファングー・ラオ通りから、一本南のヴィ・ビエン通りにある、ブーチャウというホテルに最初に入りましたが、上の条件をすべて満たしたので、そこに決めました。廊下がベランダのように使えて、通りを見渡せる、眺めの良い4階の部屋でした。

        ブーチャウには、中国人のボス、ベトナム美人のマダム、男女4人の若いベトナム人スタッフがいます。マダムと4人のスタッフは、本当に気持ちの良い人たちです。

        料金の安いミニホテルですから、接客の教育など受けたことなど無いはずですが、マダムもスタッフも客のことを、実によく見てくれています。

        沖縄より1ランク上の猛暑にやられて、フラフラになってホテルに戻ってくると、本当に心配そうな顔で迎えてくれます。

        部屋に戻って、シャワーを浴び、エアコンをつけ、ベトナムのビールを飲み(うまいっ!)、少し昼寝をすると、たちまち元気が戻ってきます。

        「さあ。また街に出よう。」と、ロビーに降りると、全員が、「元気を取り戻したんだな。良かった。」という顔で、こちらを見ています。

        (この記事、続きます)

        沖縄バスマップ

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          知人のお子さんがバス博士です。

          沖縄本島のバス路線を熟知しているだけでなく、各バス会社の持つ車両の型式を知り、バスで出かけるのが大好きなのです。

          本土の鉄道マニアに似ていますね。

          この写真を見て下さい。

          博士君がくれた沖縄本島バスマップの一部です。



          びっしりと、各地を網羅しています。

          本土では、鉄道が都心から放射線状に延び、バスは、駅と住宅地を巡回することで、鉄道を補完していますね。

          沖縄には鉄道がありませんから、本島各地の街を結ぶのは、バスの役目です。

          そう思ってこのマップを見直すと、まだまだ空白の地区が目立ちます。ウチナーンチュがマイカーに頼る理由がわかります。

          このマップ、私は大変よくできていると思いますが、博士君に言わせると、「まだまだ」だそうです。

          うまい! オリオンビール

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            沖縄のビールと言えば、「オリオンビール」です。



            県内シェアはダントツの1位で、アサヒ、キリンなど本土の大手が束になってもかないません。

            確かに美味しいのです。

            どうしたらこのような味わいが出せるのか、本当に美味しいビールです。その上、ゴーヤーチャンプルー等の沖縄料理に良く合います。

            那覇の沖縄料理店で、さぁ飲むぞと思っている時に、「当店はキリンです。」と言われると、ガクッときて、店を出ようかとさえ思います。

            ビギンの「オジー自慢のオリオンビール」という曲は本土でも有名ですね。

            三ツ星かざして高々と、ビールに託したウチナーの夢と飲むから美味しいさ、ワッター自慢のオリオンビール 新築祝いでありっ乾杯!、入学祝いでありっ乾杯!、卒業祝いでありっ乾杯!、にーびちさびたんありっ乾杯!、オジぃと一緒にありっ乾杯! わかりますね。(にーびちは結婚式です)

            歌詞にあるように、ウチナーンチュのオリオンビールに対する愛情は、並々ならぬものがあります。

            戦後復興の時期にオリオンビールは地元の夢、地元の星として、多くの県民の応援を得て、「県民ビール」として支持されたのです。

            本土で、題名や歌詞に「キリンビール」と入れて、その曲がヒットするとは、とても思えませんよね。

            つまり、ウチナーンチュが「オリオン」と呼ぶ時に、単なるビールのブランド名を超えた意味を持ち、強い思い入れがあるのです。自慢なのです。

            お兄さんが料理店のカウンターに座って、第一声は「オリオンとヒージャー」です。ビールとは言いません。(この時、ひーじゃーは山羊の刺身のことです)

            実は、私の場合、本土で飲むオリオンは、沖縄で飲むほどには美味しくないのです。

            それが不思議なのですが、やはり、沖縄の気候の中で、自分は沖縄に居るのだと喜びを感じながら飲むのが、一番ということなのでしょう。

            時間が遅くなりましたが、夕食がまだなので、これからオリオンを飲みに行ってきます。

            早く行かないと。

            伊江島タッチュー(2)

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              所用があって、今日は2度目の伊江島です。

              早めに本部港に着いたので、港からすぐの「みなと食堂」で早めの昼食をとりました。

              ご存知と思いますが、沖縄の食堂では、「おかず」や「みそ汁」がメニューにあります。「おかず」は煮物のこと、「みそ汁」は具だくさんで、どちらも、立派なおかずです。

              で、写真は「おかず」です。すごいボリュームでしょ。




              11時発の村営伊江フェリーに乗船しました。アイ・イーではなく、イエです。




              本島の小学校や、県外高校の修学旅行生がたくさん乗船しています。今日は臨時便も出たようです。

              関東から来た高校生が、船のデッキでお昼の弁当を食べています。今夜は島で民泊するそうです。
              いい考えですね。




              今日の沖縄は夏日です。予報では最高気温が26度でしたが、それは日蔭の温度ですから、実際はもっと高いでしょう。

              フェリーのデッキから見る海は、きれいな藍色です。




              11時30分、伊江港に到着しました。

              用事を済ませて、迎えのタクシーがやって来たのが12時55分。フェリーは13時発ですから間に合いません。次のフェリーが15時40分。覚悟していたこととは言え、3時間の時間が空いてしまいました。

              そこで、伊江島のシンボルタッチューです。この写真の位置までタクシーで行けて、そこから約300段の階段を登ると山頂です。




              汗をたっぷりかいて、登りました。

              こちらが島の西側、一番奥に米軍基地があります。

              広角レンズで撮ったように見えますが、違います。島のエッジと水平線が丸くカーブしているせいで、そう見えるのです。




              先の戦争中、この島には日本軍の滑走路がありました。そのため沖縄上陸前の米軍が標的とし、猛烈な量の砲弾、爆弾が投下されたそうです。そのせいでしょうか、伊江島には赤瓦の民家がほとんどありません。

              爆弾のせいで、穴だらけになった一軒の建物が保存されていて、港からタッチューに行く途中で見ることができます。

              こちらが北側。伊是名島と奥に伊平屋島がよく見えます。写真では見えにくいですが、右端に伊是名島のさんかく山 が見えています。




              最後に山頂の様子がこれ。右端の裸の男は同僚のI君です。



              タッチュー山頂からの眺めは、予想を超えるもので、心に残る沖縄の風景となりました。

              対岸の美ゅら海水族館には来ても、伊江島まで足をのばす観光客は少なそうです。

              伊江島には小規模ながらもリゾートホテルがあり、美しいビーチもあります。

              是非、お越し下さい。お勧めの島です。

              旅のテーマ

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                夜、京都の鴨川沿いを歩いていた男性が、「ああ、この場所なんだ。」と突然、確信したのだそうです。

                「月はおぼろに東山・・・」で始まる祇園小唄は、今、自分が立っているこの場所で、この風景を見て作られたのだと。そう確信したのだそうです。

                以来、その男性の旅のテーマは、「歌の作られた風景を訪ねる」ことになりました。

                「ニューヨーク ニューヨーク」は30年以上前の、ニューヨークを舞台にした、大人の切ないストーリーの映画で、ライザ・ミネリ(後にフランク・シナトラ)が歌った同名の主題歌は世界的なヒットとなりました。

                その男性は、ニューヨークへ飛び、ハドソン川を周回する遊覧船のデッキの上で「その場所」を見つけました。

                そして、日本で充分に練習した「ニューヨーク ニューヨーク」を歌い始めたのです。

                最初は怪訝な顔をしていた観光客たちが、次第に彼のまわりに集まり始め、歌が終わった後は、「ブラボー」の声とともに大きな拍手を彼に贈り、次々に、握手を求めてきたのだそうです。

                何で読んだのか覚えが無く(沢木耕太郎か?)、その後、この男性がどこを旅したのかは忘れましたが、私は、この話が好きです。



                これは、沖縄在住の知人Oさんにいただいた、沖縄のとある海岸の写真です。

                Oさんの旅のテーマは「地図の向こう」です。

                道路の途切れた先の、地図に無いビーチを捜しては、このような写真を撮っています。

                Oさんは10年ほど前に沖縄に移住され、こちらで、しっかりとした生活の基盤をつくられています。

                何故沖縄に住んでいるかといえば、「地図の向こう」に行くためなのです。そうした場所として、沖縄は良い所だと言われています。

                いいですねぇ。300%共感できます。

                闘山羊??

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                  日曜日に、石川で見た闘牛のことを職場で話したところ、ウチナーンチュが「闘山羊もある」と教えてくれました。名護近辺で盛んらしいです。

                  闘山羊はヒージャー・オーラセーと呼ぶのだそうです。ヒージャーは山羊で、オーラセーは喧嘩するという意味です。闘牛も、本来は、ウシ・オーラセーと呼ぶのが正しいとのこと。

                  そのウチナーンチュの話によると、ヒージャー・オーラセーでは、山羊が後ろ足で立ち上がって、前足で相手を牽制しつつ、「とにかく、頭突きで勝負が決まる。」らしいです。

                  一緒に話をしていたヤマトンチュが「負けた山羊は食べられてしまうのか?」とたずねると、「それはないけど、会場には、山羊汁や山羊刺しの屋台がたくさん出る。」とのこと。

                  山羊料理独特の臭いが充満した会場で、山羊と山羊が激しく頭突きをしているのです。

                  なんだか、ひるみますよね。

                  闘牛は、また見たいと思いましたが、山羊は遠慮しておきます。

                  以前、ヤンバルを車で移動中に「山芋すーぶ」という看板を見たことがあります。やまんむすーぶと発音します。すーぶは、勝負です。

                  つまり、自分の畑で採れた山芋を持ち寄って、その大きさを勝負するのです。

                  聞くところによると200kgを超える山芋が出るそうです。

                  ヤンバルという言葉には「田舎」のニュアンスがあります。

                  現在のヤンバルは、概ね名護以北を指しますが、以前は、「恩納村以北は全部ヤンバル」だったそうです。

                  昔、何一つ娯楽が無い土地で、村の人が広場に集まっては、牛や山羊を闘わせたり、山芋の大きさを勝負したりしていた風景が目に浮かびます。

                  豚は、喧嘩させようとしても、駄目だったのでしようね。

                  タイムスリップして、昔の、その場所に行けるのならば、ヒージャー・オーラセーも見てみたいと思います。

                  琉球バスで通勤(3)乗り遅れ

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                    今朝はバスに乗り損ないました。

                    バス停には時刻の少し前に着いたのですが、「まだ来ないだろう」と思い、バス停横のお店で買物をした2分ほどの間に、行っちゃったようです。

                    ウチナーンチュは雨が降ると、普段は通勤でバスやモノレールを使っている人でも、自動的に車通勤となり、道が混むのです。そのため、バスは遅れます。

                    今朝は雨でしたから、すっかり安心していたのが失敗でした。

                    那覇バスならば、携帯のバスロケで、バスがどこを走っているかわかるのですが、琉球バスにはそのシステムがありません。経営者は同じなのに。(九州のタクシー会社です)

                    20分待って、あきらめました。

                    古波蔵バス停のそばには、いつもタクシー(「さんごタクシー」)が1台停まっています。

                    バスに乗り遅れた、アホな客を拾うためです。

                    これまで客が乗るところを、見たことがなく、常々「辛抱強いなぁ」と思っていました。

                    久々に現れたアホな客は、タクシー運転手の辛抱に報いつつ、那覇空港に向かう車中で、このブログを投稿しています。

                    娘たちのアルバム(2)

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                      今日は一日、娘たちのアルバム作りでした。

                      作業は順調で、アルバムソフトを使って、ページの編集に入りました。ひょっとして、今夜、完成するのかとさえ思いましたが、今日はあきらめました。

                      NHKの「歌謡チャリティー 感動の14曲」という番組を、かけっぱなしにしていたら、樋口了一が「手紙」を歌い始めたのです。年老いた親から子供への手紙です。

                      娘たちが、まだ小さかった頃の写真を見ながら、一日中、アルバム作りをやっていたものですから、私は、この歌を受け入れる態勢が万全だったのです。

                      一人を良いことに、真面目に泣いてしまいました。少し長いですが、ご存知でない方は、是非どうぞ。


                      「手紙」

                      原作詞:不詳/訳詞:角 智織/補足詞:樋口了一/作曲:樋口了一

                      年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても どうかそのままの私のことを理解して欲しい

                      私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

                      あなたと話をする時 同じ話を何度も何度も繰り返しても その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

                      あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の暖かな結末は いつも同じでも 私の心を平和にしてくれた

                      悲しい事ではないんだ 消え去っていくように見える 私の心へと 励ましのまなざしを向けて欲しい

                      楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい

                      あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

                      悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい

                      いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない 足も衰えて立ち上がることすら出来なくなったら

                      あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい

                      私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらいことだけど 私を理解して支えてくれる心だけ持って欲しい

                      きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです

                      あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように 私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

                      あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

                      私のこどもたちへ 愛するこどもたちへ


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