コザのタコス屋「チャーリー多幸寿」

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    沖縄料理と言えば、沖縄そば、ゴーヤーチャンプルーなどを思い浮かべますが、もうひとつの沖縄の味はアメリカンフードです。

    アメリカ統治下にあった沖縄では、ハンバーガーなどのファーストフードが県民食と言えるほど人気があり、本土では今ひとつのタコスが、沖縄では人気です。

    コザのパークアベニューの坂道を登ったところに、タコスの老舗「チャーリー多幸寿」があります。
    「タコス発祥の店」となっていますが、他にも元祖を名乗る店があるので、真偽は不明です。



    2,3年前にここのタコライスを食べて、美味しい記憶があったので、昼食に寄ってみました。

    本来、タコスはメキシコ料理ですね。とうもろこしで作った柔らかいパン生地に、いろいろな具を載せて食べます。

    沖縄のタコスは、やはりアメリカ風で、折り曲げたパン生地をカリッと揚げてあり、そこに具が挟んであります。

    タコライスは、タコスの具の部分(牛挽肉、たまねぎ、ニンニクなど)を、ご飯に載せて食べます。牛そぼろ御飯を思い浮かべると、見た目は、まあ似ています。

    "茹で蛸"と野菜にドレッシングをかけるのではありません。わかってますね。

    このお店、写真のとおり、沖縄では珍しく店構えに「やる気」があります。

    店のスタッフは感じが良く、厨房の奥で店主のチャーリーさんが、温厚そうな顔でこちらを見ています。店内の雰囲気は、いかにもアメリカの食堂といった感じです。

    ここのタコライスは美味しいです。おすすめできます。

    香辛料が口の中でピリピリして、ビールも美味しく飲めます。

    パークアベニューの坂の入口にあった、喜屋武マリーのライブ・バー「Asian Rose」は閉店していました。

    コザの灯が、またひとつ消えたのですね。残念ですが、そんな気がしていました。

    沖縄の軽便鉄道(1)壺川〜古波蔵

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      那覇の壺川東公園にある線路跡です。

      沖縄戦で米軍に破壊されるまで、沖縄にも鉄道が通っていたのですね。ケービン(軽便)と呼ばれていたそうです。

      旭橋の那覇バスターミナルの場所にあった那覇駅から線路は東へ進み、この公園のあたりに古波蔵駅があったようです。

      左への分岐は、現在のひめゆり通り付近を北上し嘉手納まで。直進する線路は古波蔵大通り付近を東進し、与那原まで繋がっていました。




      左への分岐を追ってみます。

      古波蔵交差点付近を左折する線路はゆるやかなカーブを描きます。

      円形の建物に沿って、線路が向こうから手前へ、そして右手へ抜けていきます。

      線路の敷地は県有地でしたから、この建物は、その敷地に沿って建てられたようです。



      左の交通量の多い道が、ひめゆり通り方面へ進む道ですが、細い建物の右手の道が、線路跡です。

      道路と線路跡と交差する箇所には、このような細い三角形の土地が残るのですね。



      次に直進する線路を追ってみます。つまり与那原線です。

      私の住んでいるマンションは、古波蔵大通りに面してしますが、マンションの裏手を線路が通っていたようです。

      ありました。

      先ほどと同じように、三角形の土地に建物があって、その右手の細い道が線路跡です。

      沖縄鉄道は、現在の線路より幅が狭く、この程度の幅でよかったのです。

      前々から、細い道なのに、ずっと向こうまで真っ直ぐ伸びていることを不思議に思っていたのですが、謎が解けました。



      この場所から、回れ右をすると、突き当たりに建物があります。白い3階建ての建物です。

      この建物の幅が、道路の幅と同じなのです。つまり、この幅の狭い建物は線路跡に建てられたのですね。



      この道路の右手は急な斜面になっています。左手は、古波蔵大通り、住宅街、漫湖公園と続き、その先が漫湖です。

      そのほとんどは漫湖の埋め立て地で、ここを線路が通っていたころは、列車から漫湖が良く見えたのではないでしょうか。

      古波蔵に引越して来て4ヶ月。少しは、この街のことがわかってきました。


      私の住んでいるレオパレスの駐車場です。

      雑草の生えている土地は何なんだと、ずっと不思議に思っていました。

      ひょっとして。


      決算の季節です

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        仕事のことは投稿しないように努めていますが、いよいよ決算時期となり、今日はとうとう午前様となりました。

        広島カープがコザの野球場で自主トレを始めていて、明日は応援に行きたいので、つい頑張ってしまいました。

        決算が確定するのは来月中旬ですが、今のところ、利益が出るような出ないような。

        税理士事務所のスタッフと決算内容に手を入れるたびに、プラスになったり、ならなかったり、本当に微妙な勝負になっています。

        私としては、会社の経常利益がプラスになることを、沖縄生活継続の目処としているので、計算結果を確認するたびに息を呑む思いです。

        ところで、広島カープのキャンプは、沖縄市運動公園の野球場です。

        毎日の通勤に使っている琉球バスの113系統を、いつもと反対側のバス停で乗ると、何と、野球場の前まで行ってくれます。当然ですが、帰りは野球場前で乗ると、自宅前に着きます。

        なんて素晴らしい!!。
        通勤途中、何気なく車内の路線図を見ていて、このことに気付きました。

        広島カープは、今年から野村監督が指揮をとります。広島が強かったころの遊撃手です。
        若いチームなので、これまでは、ここ一番で萎縮してしまいましたが、今年は何としても勢いに乗って欲しいところです。

        それで、明後日の日曜日は仕事です。

        まあ、私は、あと2〜3週間の間、数字と格闘すれば、それで終わりですが、年中、数字を追っている税理士さんは、どんな神経構造をしているのでしょうか。頭が下がるような、呆れてしまうような。

        ともかく、私には勤まらない職種ではあります。

        投稿が無い日があったら、オフィスで決算書とにらめっこしているのだと思って下さい。

        おーい、JAL! 頑張れ!!

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          今日の夕方、那覇空港を飛び立ったJALの伊丹便が、離陸直後のエンジン・トラブルで、あわてて空港へ戻ってきました。
          勤務の後で大阪へ帰る時など、よく使う便なので、少し心配しました。

          20年ほど前に、Janet Jacksonの「ただいま、JALで移動中!」という、JALのCMをめちゃくちゃ気に入ってしまい、「よしっ!、移動はJALだ!」と決心しました。(お恥ずかしい)
          それ以降、他社便しか運航していない路線を除くと、ほぼ100%、JALを利用しています。

          JALが頻繁にトラブルを起こそうが、山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読もうが、この信念?が揺らぐことはありませんでした。

          とにかく、機体のカラー、CM、機内誌、ミュージックチャンネルの選曲、何もかも気に入ってしまうのです。

          JALの機内で、いやな思いをしたことは、一度もありません。

          搭乗直後の機内に流れている、David Fosterの「I will be there with you」を聞くと、「旅が始まる」という気持になります。少し古いですが、藤原紀香を使ったマイレッジバンクのCM(Over and over)も良かったですね。

          つまり、JALの販促活動に完全に乗せられてしまっているわけですね。わかってます。

          JALの機内誌「SKYWARD」の表紙です。

          「いつか行きたかった場所へ、今」と言われると、「そうなんだ。今だ。」と真面目にそう思います。

          この機内誌の表紙と特集記事をファイルするのが、私の趣味です。万一、一度も搭乗しない月があれば、通販で買います。



          海外へ出発する時、出発ゲートに駐機しているのは、いつもJAL。帰国の時、日本まで送り届けてくれるのもJAL。

          そうなると、どんどん旅の思い出が蓄積されてきて、ボストン・ローガン空港、ロンドン・ヒースロー空港、バリ島のデンパサール空港など、懐かしい空港をJALの機体とともに、思い出します。

          去年、マイレッジクラブから記念品が送られてきてわかったのですが、10年前にクラブの会員になって以来、500回搭乗しているのだそうです。ひぇー。

          法的整理をされようが、これまでの放漫経営を非難されようが、私のJALに対する信頼は、まったく変わりません。

          JAL従業員の皆さん、辛い時期が続きますが、頑張ってください。

          ANA派の皆さん、つまんない投稿ですみませんでした。

          名護市長選挙が問うもの

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            昨日、名護市長選挙の投票が行われ、稲嶺進さんが当選されました。

            仮に、私が名護市民だったら、稲嶺さんに投票したと思いますので、いいニュースでした。

            辺野古への基地移設を日米間で合意して以来、6万人の市民は、基地容認か反対かを問われ続け、そのことで市民は二分され、対立を続けた13年でした。

            この13年間、名護市長は、常に基地を容認してきましたので、その「ご褒美」として、国や県から「振興費」の名目で巨額の予算を得ることができました。

            高速道路が通り、立派な市役所、公民館、図書館などが次々に建設されましたが、この街は、少しも振興しなかったのです。

            例えば、高級マンションのような市営住宅が建設されても、建設後の維持費は市民が負担しなければなりません。元々、空き室の多かった地元のマンション、アパート業者は大打撃を受けました。

            長い目でみると、市の財政は真綿で首を絞められるように悪化し、税金を負担する市民の生活は苦しくなるのばかりなのです。

            数百億と言われている名護市への投資を、知恵を絞って、産業育成、企業誘致、観光資源整備など、街が豊かになれる用途に使えば良かったのですが、そうはいかないのです。

            何もしなくても得られる予算に、知恵を使う気持になれないのです。

            例えば、ある家庭が充分な生活保護費を得られたとしたら、その家族は働く気持になれるでしょうか。

            名護市民は、これまで基地容認派市長を選んできましたが、それは結局、「ゆるやかな衰退」を意味しました。一方、今回の選挙で、名護市民は、国や県の手厚い援助を失うことになるでしょう。

            基地に賛成か反対か、自然を守るのか守らないのかということだけではなく、いかにして生活してゆくのかを問われた選挙だったと言えます。

            名護市民は、ジュゴンの住む美しい海を守りましたが、同時に、これまで以上の「苦難の道」を選んだのです。

            いずれ、沖縄県民も、同様の意思決定を求められる時が来ます。名護が活気ある豊かな街となり、沖縄の進むべき道を示してくれることを、心から願います。

            津波古さんと小波津さん

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              同僚のウチナーンチュK君は、やさしい性格の実にいい男です。
              ところが、ヤマトンチュが多数派の職場では、テーゲーな気質のせいで、上司に怒鳴りつけられることがしばしば。

              営業を担当している割には、すぐに頭が真っ白になってしまい、取引先との電話ひとつでも、常に緊張しています。
              電話で伝言を受けた場合、会社名、名前、電話番号をメモするのが普通ですが、メモをとる習慣の無いK君は、へたをすると会社名を忘れたりします。

              先週も、大事な取引先の電話を受け、留守をしていた社長に、それを告げていました。

              社長 「そうか。O社からの電話だな。名前は?」

              K君  「津波古さんです。」

              社長 「すぐに電話しよう。番号をよこせ。」

              K君  「あっ、すみません。聞いていません。」

              社長 「おい!、お前はいつもそうだ。いつになったら、ちゃんとできるんだ。」

              K君  「すっ、すみません。すぐに調べますので。」

              社長 「ちょっと待て。いいか、伝言を受けたらだな、まず・・・・」

              私   「社長。名前を覚えているだけ、K君としては上出来ですよ。それより、連絡ですよ。」

              社長 「うーん。それもそうだな。K!、早く番号を持って来い。」

              K君が電話番号を社長に伝え、社長はその番号に電話をかけています。
              K君は席に戻って、小さくため息をついています。「また、やってしまった」と。
              その直後です、社長室から、とんでもない声が聞こえてきました。

              社長 「えっ、なんですって。津波古さんは半年前に退職されている。いえ、そんなはずは・・・」

              K君の顔が曇ります。私のほうを向き、「どうしよう。」という顔です。
              社長の電話は続いています。
              K君、今度は天井を見上げた後、下を向いて小さくつぶやいています。

              「小波津さん・・・・。だったかな。」

              この続きは可哀想ですから省略します。


              K君は、このブログにも何度か登場しています。皆さんもK君を感じてください(笑)


              沖縄のファーストフードチェーン「A&W」(1)

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                A&Wは米国のファーストフードチェーンです。

                本土ではまったく馴染みの無い名前ですが、沖縄には、日本返還前から出店していますから、マクドやケンタなどより早く日本に進出した、つまり日本初のファーストフードチェーンなのです。(写真は古波蔵店です)



                観光で沖縄に来て、

                「沖縄料理は美味しくないから、ハンバーガーにしましょうよ。やっぱり那覇は都会よね。マクドやモスがちゃんとあるもの。」

                などと、バーカなことを言ってるそこの女の子。沖縄をなめてはいけません。

                マクドが日本第1号店を銀座にオープンし、私たちナイチャーが「おいおい、マクドナルドって何だ?」と言っていたころ、沖縄ではとーっくの昔に、A&Wがオープンしていて、ウチナーンチュは、パクパクとハンバーガーを食べていたのです。

                なお、A&Wはエンダーと正しく発音しましょう。

                「なぁに。このエーアンドダブリューって。」などと言うようでは、ウチナーンチュに笑われます。

                ウチナーンチュの英語は米国人仕込み、と言うより、沖縄はアメリカだったのですから、パーティーをパーリー、ウォーターをワーラーと発音するのと同様、ウチナーンチュ、特にオジぃやオバぁは正しい英語の発音ができるのです。

                A&Wは、何度か本土上陸を試みています。まず東京で駄目、ならばと挑戦した大阪でも失敗。こっそり出店した鹿児島からも撤退と、散々な結果でした。

                「沖縄でうまくいったから、本土でも。」という気持、よーくわかります。でも、それは駄目なのです。

                オリオンビールが、本土でまったく売れないのと同じなのです。

                オリオンビールは沖縄の気候で飲むからうまい。ウチナーンチュが「わったービール」として深い愛情を注いでいるから売れる。

                同じ立場にいながらも、このことを、A&Wはすっかり忘れていたのです。

                以降、A&Wは心を入れ替え、「本土進出は一時の気の迷いだったの。」ということにして、ゴーヤーバーガーを売り出すなど、県産品バーガーの道を着実に歩み、ウチナーンチュはA&Wの浮気心を、広い心で許したのでした。

                石垣島の一等星マラソン

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                  台湾の台北より南に位置する石垣島は、鹿児島よりも、フィリピンのマニラのほうが近いのです。緯度が24度ですから、ハワイのホノルル(21度)まで、あと一息です。

                  その石垣島で先週、地上から見える一等星21個を一晩ですべて見てしまう「一等星マラソン」が開催されました。

                  夜の時間の長い今の時期、しかも新月の夜がチャンスです。

                  冬の星座オリオン座のリゲル、ベテルギウスなどは、誰でもどこでも見えますが、石垣島からは南十字星が見えるのです。明け方、南の水平線に浮かんできたのだそうです。

                  最後に、わし座のアルタイル(七夕の彦星ですね)を観測して、初めての完走、つまり21個全部を見ることに成功したのです。

                  7度めの挑戦で、初めての達成だそうです。すごいですねぇ。

                  今週前半の沖縄は、3日連続で日中の気温が25度を越え、私の職場では、とうとうエアコンをつけることになりました。

                  昼間の日差しが強く、車を走らせていると、濃紺のスーツを通して、太もものあたりがチリチリします。

                  昼食にハンバーガーを食べた日は、迷わず、アイスコーヒーを注文しました。

                  本部では桜まつりが始まり、春はもうすぐです。


                  追伸
                  一昨日の夜は、疲れて早く寝てしまい、元気になった昨日夜は、3時まで栄町のてびち屋で酔っ払っておりました。3日ぶりの投稿となった言い訳でした。

                  桜坂セントラル

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                    沖縄に来てすぐに、牧志の桜坂セントラルで、新良幸人率いるアコースティック・パーシャのライブを楽しみました。



                    桜坂は、かつては那覇の歓楽街として繁栄しました。東京の銀座、大阪の新地みたいなものです。ところが、少しずつ、時代の流れに取り残され、すっかり「場末」の街になってしまったのです。

                    沖縄本には、「ディープな沖縄」として紹介され、「怖いもの見たさ」の観光客が訪れたりしていました。本土で、「俺は桜坂のおでんやに行った。」などと言えば、「おぉっ。通だな。」と認められたのです。

                    桜坂セントラルも、かつては「ミカド」というキャバレーでした。ミカドが閉店した後は、ゲームセンターなどとして使われていたようです。

                    2000年ころ、那覇に「ゆいレール」が開通したことにより、この街に変化が起こります。

                    牧志駅に近い立地が見直され、おしゃれなカフェや大人の隠れ家レストランなどが増え始めたのです。更に、中核施設として「桜坂劇場」がオープンし、最近は、大人はもちろん、若い人でも抵抗無く歩ける街になったのです。

                    桜坂セントラルは観客150名ほどの、ほど良い大きさのライブハウスで、音響が良く、上質感が漂います。

                    そこで、次の写真をごらんください。

                    20110402071915_0.jpg

                    火事で燃えた建物ではありません。昼間の桜坂セントラルです。

                    いいじゃないですか。素敵です。

                    昼間は、なんともダラシナイ感じの、この建物が、夜になるとシャキッとするのです。

                    こんな雰囲気が充満している街の代表がコザでした。退廃的な昼と、熱狂の夜。

                    だからこそ、コザは多くの人に愛されている(愛されていた)のです。

                    悪口を言うので、写真は小さめにしますが、コザの「音市場」です。



                    沖縄市が、コザのど真ん中に建設したミュージックホールです。

                    まったくわかっていないのです。悲しいほどに、わかっていない。

                    こんな巨大ピカピカは絶対に駄目なんです。

                    ウェッブサイトのabout usです。

                    「ミュージックタウン音市場」は、沖縄市の「コザチャンプルー文化」ともいわれる独特の文化を育んできた地域性を活かし、音楽の産業化や人材育成、市民文化の向上や地域の活性化を図っていくことを目的としています。

                    笑わせるな!  と言いたい!

                    音市場の観客動員数がどの程度なのかは知りません。

                    ウェッブサイトのscheduleを見る限り、量、質ともに駄目みたいです。ひょっとすると、閑古鳥状態かもしれません。

                    沖縄のまちづくり研究所と「つる」の唄

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                      先々週、大阪のUさんとの電話を投稿しました。

                      石垣島出身のUさんが、私が沖縄での生活を始めたことを知り、那覇在住のIさんを紹介してくれたのです。
                      紹介と言っても、「Cさん(私です)の電話番号をIさんに伝えておいたから。役にたつはずよ〜。じゃあね〜。」だけでしたが、数日後、さっそく、Iさんから電話がありました。

                      お互いの名前と、Uさんの友人であるということ以外、何も知らないものですから、その電話では、「近々、お会いしましょう。」とだけ約束しました。

                      昨日のお昼、沖縄の私立大学に勤務しているIさんを訪ねました。お互いに仕事の合間で短い時間でしたが、私は、「この人とはウマが合う」と確信できたのです。

                      Iさんは6年前に神戸から那覇に移住され、ウチナーンチュの女性と結婚されています。

                      沖縄の「まちづくり」を研究する機関に所属されていることと、元新聞記者というキャリアのせいでしょう。私の沖縄に対する好奇心に、深く、正確に応えてもらえそうな気がします。

                      帰宅後、Iさんのプログを見ていて、いい話を知りましたので紹介します。

                      一昨日、1月17日は阪神・淡路大震災の日でした。

                      15年前のその日の朝、私は大阪堺の自宅で眠っていました。

                      直ちには地震とは思えないような衝撃に、何が起きたのか理解できないまま、まだ幼かった娘たちに、おおいかぶさる姿勢で、じっとしていたように思います。

                      新聞記者として神戸を取材していたIさんは、ある日、仮設住宅で、ボランティアのコンサートを開いていたフォーク歌手が歌う、沖縄音階の唄を耳にします。

                      「つる」という唄でした。

                      Iさんは、そのフォーク歌手に、その唄が沖縄音階である意味をたずねます。

                      震災後、那覇に住む小学生の女の子が、クラスメートと一緒に折った千羽鶴は、その女の子が作った一遍の詩とともに、神戸の小学校に届けられました。

                      それを受け取った先生は、心に染みるその詩を、子供たちの前で、泣きながら朗読します。

                      聞いていた子供たちも、他の先生方も、同じように涙を流したそうです。

                      やがて、その詩は、被災者の間に広まり、評判になりました。

                      Iさんの聞いた唄は、その詩に、フォーク歌手の岡本光彰さんが曲をつけたものだったのです。


                      「つる」  

                      つるを つなぐたんびに 家が なおってくれたら どんなにいいだろう
                      つるを つなぐたんびに 人が いきかえったら どんなにいいだろう
                      つるをつなぐと 願いがかなう そんなつるがいたら どんなにいいだろう

                      作詞:山田かの子(那覇市立城北小学校4年生) 作曲:岡本光彰


                      いい方を紹介してくれたUさんに感謝です。

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                      念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
                      沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。 (y_mizoguchi@yahoo.ne.jp)
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