東御廻り(あがりうまーい)とは、沖縄本島南部の東海岸に点在する聖地を巡礼することを言います。
世界遺産の斎場御嶽(せーふぁーうたき)も、東御廻りの聖地のひとつです。
昨日、その巡礼コースを辿ってきました。昨日は慰霊の日、沖縄県は休日です。
このブログを続けて読んでいただいている方は、「とうとう、こいつも神頼みか?」と思われるかもしれませんが、半分は当たっております。
沖縄生活が続けられるように、熱心に拝んできました。
最初に訪ねたのが、
場天御嶽(ばてんうたき)です。
この階段の上に、数ヶ所の御嶽があります。
地元の人たちにとって、御嶽は今も大切な祈りの場所ですから、単なる遺跡巡りとは異なり、それなりのマナーは必要です。
例えば、自宅を出る前に、シャワーを浴びて身を清めておくということなどですが、そうした行為よりも、聖地を訪ねているのだという意識がより重要だと言えます。
また、あらかじめいくらかの知識を得ていないと、「なぁーんだ。何も無いじゃない。」と、がっかりしてしまうかもしれません。
次は、
佐敷上グスク(さしきうぃぐすく)。
琉球統一を果たした尚巴志(しょうはし)が建てたグスクで、グスク内に拝所があります。
小高い場所にあるので、中城湾、久高島、勝連半島、津堅島などが一望できます。
次は、
テダ御川(てだうっかー)。知名崎灯台近くの海岸にある泉の跡です。
テダはティーダ(太陽)。ここは太陽神が降臨した場所と言われています。 琉球国王が久高島へ参拝する時は、ここから船を出したそうです。
駐車場から少し歩きますが、リーフの眺めが良く、汗をかきつつもいい気持になれます。
続いて、
知念グスク。切り石積み城壁が美しいグスクです。
グスクの裏門を出て、坂道を下りたところにある泉が
知念大川(ちねんうっかー)。
沖縄本島に渡来した琉球民族の祖先が、最初に集落を作った場所です。泉のそばに御嶽がありました。
次は、百名(ひゃくな)ビーチにある
ヤハラヅカサ。
琉球民族の祖先が沖縄本島に上陸した海岸です。その場所に石碑が建てられています。この石碑、満潮時には海に沈んで見えなくなります。
琉球民族の祖先はニライカナイから久高島に渡来し、続いて沖縄本島にやってきました。
ニライカナイは神々の住む理想郷です。
もはや神話の世界ですから、「ニライカナイはどこにあるのか?」などという話は、まったく意味がありません。つまり、はるかに遠い海の彼方にあるわけです。
次は、同じく百名ビーチ近くにある
受水・走水(うきんじゅ・はいんじゅ)。
受水も、走水も泉の名前で、ここが沖縄本島の稲作発祥の地です。
今でも、地元の神事として、田植えが行われています。
そして、最後に訪ねた場所が
玉城グスク(たまぐすくぐすく)。
かなり急な坂道の上にありますが、木製の階段が整備されていて、楽に登れます。
写真は、岩盤をくりぬいて作られた本丸門です。この門はニライカナイのある東北東を向いていて、夏至の日は、太陽の光が真っ直ぐに射し込む造りとなっています。
ここからの景色は、この日一番の眺めでした。東御廻りのルート全域を振り返りつつ遠望することができます。
知念グスクや玉城グスクを訪ねても、首里城や勝連グスクのようなインパクトはありません。
受水・走水を訪ねて、ここが沖縄本島の稲作発祥の地と聞かされても、「ああ、そうですか。」と思うだけかもしれません。
ところが、東御廻りを行うと、その過程で、神々の島としての沖縄を強く意識しはじめます。そして次の聖地に向かうまでの間に、そのイメージが増幅されてきます。
そして、この日訪ねた聖地のそれぞれが頭の中でリンクして、その結果、一つ一つの聖地の意味、つまり、自然を敬う気持や神の存在を信じる気持が理解できるように思えてきます。
沖縄のあちこちに、御嶽や拝所はあります。そこで拝みをする人が、何を想い、何を伝えようとしているのか、この日、少しですがわかった気がしました。
斎場御嶽や、私有地にあるミントングスクなど、数ヶ所を省略しましたが、昼食の時間も含め、車で5時間の行程でした。