葛飾北斎の琉球八景の4作目は「龍洞松濤(りゅうどうしょうとう)」です。
奥武山が漫湖の入江に浮かぶ島だったころ、そこに龍洞寺というお寺がありました。
そのお寺と周辺の松林を描いた作品です。
今日は、この絵の描かれた場所を訪ねてみました。
北斎は、琉球八景の他の作品に富士山を追加するなど、かなり原画をアレンジしていますが、この作品では、とうとう沖縄に雪を降らせてしまいました。
現在、奥武山は埋め立てにより完全に陸地となり、龍洞寺も残っていませんから、この絵の場所を特定することは困難です。
ヒントはこの地図です。
奥の山と示された島が奥武山です。その島の中央右岸に龍洞寺の位置が示されています。
また、奥武山と漫湖の右岸との間が狭くなっている場所があり、陸地側から岬のように湖に突き出た箇所があります。
岬のように見える部分は漫湖に浮かぶ小島で、その名前が「赤畑(アカバタキー)」です。
赤畑も埋め立てにより、現在は陸地の一部となっています。
現在の壷川2丁目あたりの旧地名が赤畑で、赤畑マンションなど、その地名をとった建物が残っています。
つまり、モノレール壷川駅のやや南あたりですね。
現在のその場所に、この樹があります。アカギの巨木です。
このあたり、漫湖の湖岸は直線的に護岸されていますが、この樹の場所だけが、ポコッと湖に出っ張っています。
また、周辺の樹は、最近植えられた街路樹のようですが、このアカギだけは街路樹ではなく、元々、この場所にあったように見えます。
私の想像ですが、このアカギの立っている場所が、かつての小島「赤畑」のようです。
そうだとすると、龍洞寺はモノレール壷川駅の対岸あたりということになります。
そこで、モノレール壷川駅から奥武山を撮ってみました。
手前の橋は、壷川と奥武山を結ぶ、歩行者用の橋です。
龍洞松涛の背景には山が描かれていますが、モノレール壷川駅から奥武山を眺めた風景で、背景が山になるのはこの角度だけでした。
つまり、龍洞寺は、現在の奥武山運動公園の陸上競技場か武道館のあたりにあったことになります。
さきほど掲載した古い地図にあるように、かつての漫湖は広い湖で、奥武山や赤畑、
ガーナ森などの島々が湖面に点在する美しい湖だったようです。
現在の漫湖は
マングローブの湿地帯にその面影を残すだけで、湖とは呼べないくらいにやせ細ってしまいました。そして運河のような国場川に姿を変えています。
大都市「那覇」の開発で、多くの美しい風景が失われてきたことは、これまで記事にしてきましたので、同じ愚痴を繰り返すのはやめますが、残念ながら現在の漫湖に、龍洞松涛に描かれたような魅力的な風景は見つかりません。
やっぱり、愚痴ってますけど。