引越し中

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    引越しの荷造りをしています。引越し先は以前紹介した、国場のマンションです。

    1年2ヶ月生活したレオパレスともお別れです。

    荷造りの進捗はこんな感じ。



    これで半分くらいでしょうか。レオパレスは家具、電化製品付きですから、荷物は少なくて済みます。

    軽自動車にきっちり積んで3往復。いいかげんに積んで5往復といったところでしょう。

    記念(?)にレオパレスのシーサーを撮っておきました。

    ライト君と



    レフト君です。



    引越し先は古波蔵の隣町で、距離も1kmほどのところですが、また新しい発見をしてブログに投稿するのが楽しみです。

    てだこの城 浦添グスク(2)

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      今日は昨日に続き、「ようどれ」に葬られている、もう一人の王、尚寧(しょうねい)について投稿します。

      尚寧王は島津藩による琉球征伐(1609年)の時の琉球国王です。
      昨年でちょうど400年だったのですね。

      島津軍の船80隻3千人が琉球に到着し、まず今帰仁城を陥落しました。

      その後、読谷に再上陸し、海路と陸路で首里を目指します。

      偶然ですが、沖縄戦の米軍の南下ルートと同じですね。その行程で浦添グスクは焼き払われてしまいます。

      浦添グスクはこの時と沖縄戦の二度、ひどい被害にあったことになります。

      写真は浦添グスクから首里へ向かう石畳道です。



      ここまで来れば、首里まであとわずかです。

      琉球王朝軍は海路の島津軍を三重城や、屋良座森城からの砲撃で一時退けるなど、ある程度抵抗したようですが、結局は鉄砲を装備した島津軍には歯がたたず、以降、江戸幕府に従属することになります。

      尚寧王は薩摩を経由して江戸まで連行され、琉球へ帰ってこれたのは2年後のことだったそうです。

      なぜ、琉球は征伐されることになったのか。

      これは「言い掛かり」のような理由なのですが、結局のところ、中国(明)との交易権が欲しい徳川幕府が、難癖をつけて琉球王朝を従属させたのですね。

      太陽の子(てだこ)英祖の時代から尚寧まで続いた琉球王朝は、この時、独立国家としては終焉したことになります。

      ようどれは終戦後から50年をかけて、三度にわたる復旧作業を施され、現在の姿となりました。

      もう少し手を加えれば、世界遺産に追加登録されるかもしれません。

      なお、英祖と尚寧が眠るようどれの内部は、近くの「ようどれ館」で実寸大のレプリカを見学できます。

      沖縄県もやる気になればこんなことができるのに、もっと他の遺跡でもやる気を出してほしいよなぁ。

      てだこの城 浦添グスク(1)

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        浦添グスクは13世紀に建立され、15世紀に首里へ遷都するまでの間、琉球王朝の王府のあった場所です。

        浦添グスクの主、英祖(えいそ)は太陽の子(てぃーだのこ)と呼ばれていました。浦添市のキャッチフレーズ「てだこ」の語源です。

        ある日、英祖の母親が体内に日輪が入ってくるのを感じ、英祖を身ごもったのだそうです。日輪は、太陽の周りにできるリングのことです。



        英祖は中国との貿易で富をなし、評価の高い王でした。

        最近になって、英祖の墓が発掘され、公開されています。この墓所を夕凪(ようどれ)と呼びます。

        白い壁は、日輪の色をイメージするものなのでしょう。



        ようどれへの道は、まず、浦添グスクから急な坂道を下り、暗しん御門(くらしんうじょう)を通ります。



        現世とあの世を結ぶ役割の門です。

        二番庭(にばんなー)に入り中門を抜けたところが一番庭で、そこが墓所となっています。



        浦添グスクのある丘は前田高地と呼ばれ、沖縄戦の激戦地でした。

        浦添グスクからの風景です。

        まず、東シナ海側。宜野湾から北谷、読谷まで見渡せます。



        次に北側。嘉数(かかず)高台公園とその先に普天間基地の滑走路が見えます。



        次に太平洋側。写真右側が海です。そして左の丘の上に琉球大学が見えています。



        読谷の海岸に上陸した米軍は南下し日本軍司令部のあった首里を目指しました。

        前田高地は首里の北側で防御壁の役割を果たしていて、米軍はここを突破しないと首里に到達できません。

        そして、日本軍はこの場所に兵力を集中し、米軍を迎え撃ったのです。

        日本軍の徹底抗戦により、米国の戦史で「ありったけの地獄を一つにまとめた戦場」といわれた戦いが繰り広げられました。

        結局、前田高地は陥落し、浦添グスクは完膚なきまでに叩かれたのですが、関係者による長年の地道な発掘・復旧作業で、古琉球の風景がよみがえりました。

        ようどれには、もう一人の王、尚寧王(しょうねいおう)が葬られています。島津藩による琉球征伐の時の王です。

        長くなりますから、その話題は次回にします。

        北谷町 美浜アメリカンビレッジ

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          美浜アメリカンビレッジの観覧車です。この観覧車とザ・ビーチタワー沖縄は、とにかく目立ちます。



          アメリカンビレッジは1981年に返還された米軍ハンビー飛行場の跡地を再開発してできた街です。

          人工ビーチを造り、大規模商業施設、個性的なショップ、レストラン、シネマ、ライブハウスなどを誘致し、魅力的な街ができあがりました。

          街の中心に広い駐車場を設けたことはいいアイデアです。無料なので、そこに車を停めて街をゆっくり歩けます。

          沖縄で人の集まる場所と言えば国際通りですが、観光客中心の国際通りに比べてアメリカンビレッジは地元客が多いことが特徴です。

          もともと、北谷町は沖縄市、宜野湾市に隣接し、那覇市からも近いため、集客のポテンシャルが高かったのですね。

          お客を奪われた沖縄市はすっかり寂れてしまいました。

          アメリカンビレッジのライブハウスは、老舗の「MOD'S」と、



          りんけんバンドの「カラハーイ」です。



          いずれも沖縄市からここへ移ってきました。

          沖縄市は北谷町がうらやましくて仕方がありません。

          沖縄市は、「アメリカンビレッジが成功したのはビーチがあったからだ。」、「ビーチさえあればなんとかなる。」と考えたようです。

          そこで、美里町を吸収合併することで強引に東海岸を手に入れ、泡瀬の干潟を埋め立てて、ビーチを造ろうとしています。

          干潟の自然を破壊したあげく、商業的にもうまくいかないでしょう。

          アメリカンビレッジが成功したのはビーチがあったからではありませんからね。

          琉球八景(6)泉崎夜月

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            北斎の琉球八景6作目は「泉崎夜月(いずみざきやげつ)」。泉崎橋を描いた作品です。



            次の絵は、新城喜一画集 「忘れられた沖縄風景」に描かれた泉崎橋です。

            沖縄戦でこの美しい石橋は失われていますので、現在の泉崎橋ではありません。



            夕暮れの中、橋の上を人力車が通っています。是非、見てみたい風景です。

            橋の下に円形の緑地がありますが、これは洪水時に橋への圧力を逃がすための波除けです。

            さて、琉球八景は中国冊封副使による琉球國志略の球陽八景図を北斎が描き直したものですが、その琉球國志略に、孔子廊が久米村の泉崎橋北にあると記載されています。

            戦前の那覇地図を見ると、確かに泉崎橋の北詰に孔子廟明倫堂と描かれています。



            泉崎橋と同様に孔子廟も沖縄戦で失われ、今は他の場所へ移転されています。

            今、その跡地は那覇商工会議所で、その敷地内に孔子像が建てられています。



            そして、現在の泉崎橋は、孔子像から国道58号線を旭橋方面(久茂地川の下流方向)に100mほどの場所にあります。



            まあ、ご覧の通り、何の変哲も無いコンクリート橋です。

            旧泉崎橋の位置は孔子像の前になるのですが、今そこは国道58号線です。

            さきほどの地図と今の地形を照合すると、国道58号線はかつての久茂地川を埋め立てて建設されていて、道路幅の分、川は南にずれたことになります。

            今の泉崎橋横の歩道橋から孔子像方向を写真に撮りました。



            左手の道路が国道58号線、右手の川が久茂川です。中央の高架はゆいレールです。

            旧泉崎橋は、久茂川が右にカーブしている場所の、ゆいレール高架下あたりに架かっていたことになると思います。

            当然(と言いたくなります)、橋の架かっていた場所には何の案内もありません。

            まあ、しかし、何も無いこの風景を眺めて、あの美しい橋を思い浮かべることができるのは、幸せなことです。


            旧泉崎橋は読谷村のむら咲むらに復元されています。



            ちょっとショボイ感じですが、泉崎橋の雰囲気は出ていますね。

            同じ作るなら、もう少し原型にこだわってほしかった気がしますが、橋を残そうとした点は評価できます。

            むら咲むらには、海の上に屋良座森城も復元されていて、こちらも一見の価値ありです。

            琉球放送「琉神マブヤー2(たーち)」

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              沖縄の子供たちに大人気のテレビ番組。うちなー版仮面ライダーです。

              今、放映されているのは、Story2の「琉神マブヤー2(たーち)」。



              県内各地のスーパーマーケットなどで、毎週のようにマブヤーショーが開催されていて、多い時には観客1,000人。場所取りのために3時間待ちなどということもあるそうです。

              沖縄の翼JTAは機体にマブヤーをペイントしたジェットを全国に向けて飛ばしています。


              ナイチャーの私がこの番組を見てウケるのは、登場キャラクターが喋るうちなーぐちです。

              例えば、主人公のマブヤーは悪の軍団マジムン(うちなーぐちで「魔物」)と戦う時に、「たっぴらかす。」などとつぶやきます。



              たっぴらかすは叩きのめすという意味ですね。

              そして、必殺技はスーパーメーゴーサー。メーゴーサーはゲンコツです。

              相手に殴られた時は、当然「アガァ」。

              ティーダヤーチューという技もあります。これは太陽のお灸。

              マジムンのリーダーの名はハブデービル。デービルは悪魔の「デビル」に引っ掛けているのですが、うちなーぐちの「でーびる」は「いい正月でーびる」などと使い、直訳すると「〜です」の意味。

              つまり、ハブデービルを翻訳すると「ハブです」となります。

              マジムンのメンバーにはマングーチュというキャラクターがいます。これはマングースですね。

              かわいいです。



              一応、特撮番組となっていますが、それほど手の込んだ特撮は行わず、マブヤーとマジムンが近所の公園で殴り合っている感じで、戦いが続きます。

              大事なことを忘れていました。

              マブヤーは、魂(まぶい)にerをつけたもの。つまり、魂の戦士です。

              それから、番組タイトルの「たーち」も素敵です。

              うちなーぐちで数を数える時は、てぃーち、たーち、みーちと数えます。だから、たーちは2ですね。

              沖縄ローカルの番組でも、うちなーぐちが使われることは意外と少なく、琉神マブヤーはうちなーぐち初級講座としても最適でしょう。

              放送時刻は知りませんが、たまたまテレビをつけた時にやっていると、最後まで見ます。一応。

              新城喜一画集 「忘れられた沖縄風景」

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                新城喜一さんの 「忘れられた沖縄風景」は、昔の沖縄の風景を描いた画集です。

                以前紹介した青い目が見た「大琉球」は、実際の風景を見て描いたものでしたが、新城さんがその時代を生きているはずはなく、昔の絵画や写真をもとに描かれたものです。

                写真に比べるとリアリティに欠けますが、一方で画家の想像力が絵画に反映されますので、より郷愁を誘う仕上がりとなっています。



                この絵は、現在の浦添市牧港に残っている大岩です。

                手前の橋を渡っている道は、後に、沖縄本島の大動脈国道58号線となりました。

                那覇から国道58号線を北上し、宜野湾バイパスが分岐するあたり、左手にこの大岩があります。

                国道の拡張工事により大岩は破壊され、この絵の半分程度の大きさになっています。



                サイズが小さくなった上に、自動車教習所の陰になったり、崩壊した箇所にコンクリートがうたれていたり、岩の上にホテルのような老人施設があったりで、絵画に描かれた時代のような存在感はありません。

                私の勤務先のすぐ近くで、この場所は何度も通っているのに、私はこの大岩を思い出せませんでした。

                かつての牧港は、水深が浅い欠点がありましたが、深い入江の良港だったそうです。

                沖縄では、本土に負けず劣らず、埋め立てや護岸工事により自然の海岸線が失われています。

                沖縄本島には平地が少なく、遠浅のリーフは埋め立てが容易ということもあって、片っ端から埋め立てしています。

                私は、普天間基地の辺野古移設には反対ですし、あの美しい海を守りたいと思いますが、一方で、ここまで埋め立てを進めておいて、辺野古の海に限って駄目という理屈は、少々無理があるかなと思ってしまいます。

                味噌と塩は家ヌ主(やぁぬぬし)

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                  来週末はいよいよ国場へ引越です。

                  先日、ウチナーンチュの友人Hが「最初に味噌と塩を運んでね。」と言ってました。

                  そもそも引越は、大安の日の満潮の時刻に合わせて行うのだそうです。

                  来週末は土曜が先勝、日曜が友引で、さっそくダメじゃん。

                  と、なってしまうので、引越前の大安の日に味噌と塩を部屋に持ち込んで、引越を済ませたことにする、と。

                  なぁるほど。

                  それで、何で味噌と塩かと言えば、沖縄では「味噌と塩は家ヌ主」という言葉があるほど、何にも代え難い大事なものとされているのだそうです。

                  その他にも、味噌と塩は県産品の新品でなくてはならないとか、玄関を入る前に挨拶をせよとか、塩は部屋に撒いてほうきで掃けとか、諸説色々とシキタリがあります。

                  ところで、友人Hは、国場のスーパーMに勤めています。

                  私は引越前の大安の日、満潮の時刻に、スーパーMへ味噌と塩を買いに行くことになりそうです。

                  それを見て、友人Hは、「そうそう。それでいいはずよ〜。」と、安心してくれるのですね。

                  部屋の神様のためなのか、友人の手前やってるだけなのか、微妙になってきましたが、でもそのようにいたします。

                  シキタリですからね。

                  自炊の強い味方・・・・か? (2)

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                    これと、

                    __.JPG

                    これを

                    __.JPG

                    パウチに入れて、レンジで4分チンすると、

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                    素晴らしい!!!!

                    「韓国風豆腐チゲ」のできあがりです。

                    キューピーレンジクッキングという商品です。

                    この他にも、牛肉とたまねぎを入れる「ハッシュド・ビーフ」とか、ブロッコリーを入れる「中華あんかけ」など、色々バリエーションがあります。

                    半年ほど前に紹介したVIV Silicone Steamerが、やや、宝の持ち腐れになりつつある中、安定して、自炊の強い味方になっています。

                    なお、パウチには上下があり、レンジに入れるときは、「こちらを上に」を上に、「こちらを下に」を下にしましょう。

                    そうしないと、取り出すときにスープが出てきて、「アチチチチッ」となります。

                    琉球王朝の街道「国頭方西海道」(3)

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                      少し間が空きましたが、国頭方西海道(くにがみほうせい)の3回目です。

                      現在、海道が整備されているのは読谷村の喜名番所から恩納村の仲泊遺跡までの間です。

                      まず、喜名番所(現在は道の駅)から琉球村西側の多幸山を越え恩納村に入ります。次に山田グスク付近の丘陵を越え、最後にイユミーバンタ付近の丘陵を越えて仲泊遺跡に至ります。
                      (喜名番所から多幸山へ続く海道の一部が途切れていますのでご注意ください。)

                      かつて、多幸山を越える海道は、周囲に集落もなく、山賊が出没する旅の難所でした。

                      写真は恩納村方向に向かう多幸山の道です。



                      恩納村の海がすぐそこに見えるのですが、ここから先が危険地帯です。

                      海道沿いにあるこの岩をフェーレー岩と呼びます。フェーレーはウチナーグチで山賊です。



                      この岩の付近にフェーレーの住家があり、この岩に登って、旅人を待ち構えていたそうです。

                      そして、女性が頭の上に載せて運んでいる荷物を、岩の上から釣り上げて、持ち逃げしたそうです。


                      沖縄民謡「多幸山」の一節です。

                      「多幸山の山猪(やましし)、驚くな山猪、喜名の高波平、山田戻り」

                      おい山賊、驚くなよ、俺は喜名の高波平で、山田から戻っているところだ。というような意味です。

                      高波平は、このあたりでは名の知れた屈強な男だったようです。それで、ここを通ろうとした(弱い)男が、自分は高波平だとウソをつき、フェーレーをヒビらせているわけです。

                      つまり、フェーレーは強そうな旅人は狙わなかったのですね。


                      当時、確かに山賊はいたのでしょうが、荷物の盗み方が滑稽で、しかも弱い人だけを狙うところなど、なにか愛嬌のある山賊だったようです。つまり、強盗というより、盗人と呼んだほうが近いのかもしれません。

                      真偽は不明ですが、旅人が多幸山で山賊に殺されたという記録は残っていないそうです。


                      次に、今のフェーレーを紹介します。



                      沖縄民謡界の大御所、知名定男さんがプロデュースする男性4人のユニット「ザ・フェーレー」です。男性版ネーネーズと言っても良いでしょう。

                      松田弘一さん、徳原清文さん、波田間武雄さん、松田末吉さん、いずれも沖縄民謡の実力派唄者であり師範です。一人一人がピンで民謡紅白に出演できる力量の持ち主なのです。

                      ザ・フェーレーは、山賊姿でステージに現れるとウチナーグチを炸裂させて、会場を大いに盛り上げます。

                      次に、ジャケット左の写真のように、黒か白のスーツで現れたかと思うと、ビシーーーッと三線を弾き始め、本格派の唄を聞かせてくれます。

                      実力があるので、何をやってもウケます。いいですねぇ。私は大好きです。

                      バラエティ番組のように、たいして芸の無いタレントが世間話のようなことを言ってるのとは訳が違います。

                      話が逸れましたが、このジャケットの右側に、山賊姿の写真がありますね。

                      これが、私が想像した、フェーレー岩に潜む山賊のイメージなのです。

                      悪人ではないけれど、一生懸命に働くのが嫌いで、読谷の山中に潜んで盗人をやってた人たちです。(知りませんよ。見たわけではないので。)

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