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琉球八社の3社目は、識名宮(しきなぐう)です。
16世紀の中頃、琉球王朝の尚元王が長男尚康の病気の回復を、ある仏像に祈願したところ成就し、この宮を建立することになったそうです。
次の写真は、沖縄戦で失われる前の識名宮です。
だいたい、同じ場所から撮ってみましたが、ずいぶん趣きが異なりますね。
尚元は20代の若さで即位しましたが、即位に至るまでには、王朝の権力闘争にまきこまれ、紆余曲折がありました。
沖縄のお正月に欠かせない古典「かぎやで風」の訳詞です。
「今日の喜びを何にたとえる事ができましょう。まるで蕾の花が朝露を受けて、ぱっと咲き開いた様な心持ちです。」
この歌詞は、尚元の即位を喜ぶ、尚元派の士官によるものだそうです。
士官の高揚した気持が伝わってきます。
一方で、尚元とかぎやで風との関係を、人気のあった沖縄芝居の筋書きにすぎないと言う人もいます。
国王となった尚元の政策は、薩摩藩との関係を重視したものでしたが、薩摩藩から接待に失礼があったと叱られ、無理難題をふっかけられてしまいます。
それは、次の三つを薩摩に運べというものでした。
1.琉球で1番高い山 2.灰でなわれた縄 3.雄鶏が産んだ雛
薩摩も馬鹿なことを言いますねぇ。
尚元は、
1は「山は運ぶが、船は用意しろ。」と言い、薩摩を困らせました。
2は縄を燃やして作りました。
3は「薩摩に行く予定の男の士官が子供を産んだので、行けなくなった。」と報告し、薩摩に「男が子供を産むはずがない。」と言わせ、解決しました。
ほとんど、一休さんです。
この話は薩摩の琉球侵攻の少し前のことですが、本当にこんな緊張感のないやりとりをしていたんでしょうか。
私は、かぎやで風の話は実話で、一休さんは創作のような気がしています。